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2018年1月14日日曜日

【劇評99】新春の国立、菊五郎劇団の娯楽作を楽しむ。

歌舞伎劇評 平成三十年一月 国立劇場 

新春の国立劇場、菊五郎劇団の公演は、独特のカラーで観客の期待に応えてきた。
 近年では、平成十八年『曾我梅菊念力弦(そがきょうだいおもいのはりゆみ)』や平成二十八年『小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)』などが思い出深い。久しく上演されない演目を、復活狂言という名目で大胆なテキストレジをほどこす。新春らしい愉しい演出をほどこす。菊五郎らしく時事ネタを大胆に取り入れた場面を作る。観客は期待にたがわぬ理屈抜きの初芝居を楽しんできた。
 今回もその路線を踏襲しているが、少し趣が異なる。『世界花小栗判官(せかいのはなおぐりはんがん』は、語り物のおおもとにある説経節にある小栗判官の伝説を取り入れた「小栗物」である。近年では、猿翁の『當世流小栗判官』や『オグリ』が記憶に新しい。菊五郎も、『児雷也豪傑譚話』では、俊徳丸、浅香姫のいざり車のくだりを入れ子にしている。
 今回は、通し狂言としての上演で、「鎌倉扇ヶ谷横山館奥庭の場」での名馬にして気性の荒い「鬼鹿毛」を小栗判官兼氏が乗りこなす件がまず見物だ。膳所の四郎蔵(坂東亀蔵)がすすめる碁盤乗りの曲馬もなんなくこなしてみせる。「鬼鹿毛」が芯となっての大立ち回りもなかなか楽しめる。
 菊之助の颯爽たる貴公子ぶりも、第三幕では暗転する。青墓宿では、流浪の果てに足利の重宝「勝鬨の轡」を探索しているが、万屋という地元の長者の婿に迎えられる次第となっている。後家のお槇(時蔵)、判官に一目惚れしたお駒(梅枝)。女中頭のお熊(萬次郎)に苛められる小萩(右近)は、実は小栗判官の許嫁照手姫(右近)との趣向。お駒と小萩の恋の鞘あてが見物となっている。菊之助は序幕での得意の絶頂から、流浪の果てにいる身の哀れが、より対照的に描き出したい。
 あいだの二幕目は、漁師浪七(松緑)と悪事を企む鬼瓦の胴八(片岡亀蔵)のだましあいが見どころ。松緑、亀蔵の芝居が弾んでいる。
 盗賊風間八郎の菊五郎が要所要所を締める。大詰、絵面に決まるときの大きさは比類がない。ただ、以前よりも菊五郎の比重が少なく、時蔵、松緑、菊之助、梅枝、右近による芝居となって、ここでも世代交替が進みつつのを感じた。時蔵の立役もなかなかの風格。
 菊五郎はこうした芝居では全体を引き締める役にとどめて、他の月、世話物の第一人者としての芝居を期待したい。二十七日まで。

【閑話休題75】いのうえひでのりの『近松心中物語』。

昨夜、いのうえひでのり演出の『近松心中物語』を観た。のちに劇評を書くと思うが、まずは簡単なご報告を。
この芝居は近松門左衛門の浄瑠璃、歌舞伎を原作としている。俳優に歌舞伎役者に対するコンプレックスがあると、
歌舞伎のコピーとなってうまくいかないのをこれまで感じていた。「封印切」や「新口村」の様式的な演技の鍛錬が欠けたまがいものに見えてしまうのである。
今回、堤真一、宮沢りえ、池田成志、小池栄子のふたつのカップルには、こうした歌舞伎コンプレックスがなく、清新きわまりない。
それに対して、いのうえの演出は歌舞伎の演出技法を遠慮なく取り入れている。演技陣の歌舞伎離れと演出の歌舞伎への固執。
このアンバランスがなかなか上手く働いている。あたりまえだが、歌舞伎の焼き直しではなく、秋元松代戯曲の新解釈となっている。