長谷部浩ホームページ

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2015年12月14日月曜日

【劇評31】歌舞伎の実質

  歌舞伎劇評 平成二十七年十二月 歌舞伎座 

十二月大歌舞伎は、玉三郎が中心の一座だが、重量感のある演目を並べたにもかかわらず、実質がともなっていない。
まず、昼の部の『十種香』だが、七之助の品格、児太郎の慎重で、八重垣姫と濡衣を勤めるが、義太夫狂言の厚みに乏しく、現代劇を見ているかのようだ。そんな目で見てしまうと恋を引き替えに、父謙信を裏切れという勝頼の難題が疑問に思えてくる。これは松也の勝頼の問題でもある。単に美貌だけではなく、勝頼が花作りに身をやつしている感覚が薄い。亀寿の白須賀六郎、亀三郎の原小文治は気のいい役だが、颯爽としているだけではなく、武士の一直線な生き方が伝わってきた。右近の謙信はさすがの貫目。
さて、中車を生かすために久々に取り上げられた『赤い陣羽織』。お代官(中車)とおやじ(門之助)が外見上そっくりでありながら、立場によって立ち振る舞いが異なり、なおいえば、人間としての本質に変わりはないとする戯曲の要諦を玉三郎が演出する。お代官の奥方吉弥に気品。おやじの女房児太郎にひたむきさ。木下順二作品だけに、ドタバタに傾かず、人間の本性を掘り下げたい。
『重戀雪関扉』は、常とは異なり常磐津ではなく、常磐津と竹本の掛け合いで再構成している。竹本を加えたことで重量感は増すが、その必然性となると首をかしげたくなる。ついには富本、清元へと流れる豊後節浄瑠璃の古風な調子があってこその『関扉』ではないか。関兵衛実は黒主の松緑が健闘。大きさはおのずと滲み出るものだと考えているようだ。七之助の小町姫は可憐。松也の宗貞。玉三郎の墨染実は小町桜の精。
夜の部は『妹背山婦女庭訓』の通し。めずらしい「杉酒屋」が出て「道行恋苧環」「三笠山御殿」と続く。たしかに通せば求女をいかにお三輪が慕っているかがよくわかり、「御殿」でのひたむきさ、そして「凝着の相」を顕すまでのこころの移り変わりに説得力がある。一幕目、二幕目のお三輪は七之助、橘姫は児太郎。次代を担う女形だけに、将来が期待される。昼の部の十種香などは、いずれ役柄を交代しての舞台も見てみたい。
「杉酒屋」は團子の達者な子役も見物。後家お酉の歌女之丞が芝居を下支えする。
「道行恋苧環」でも松也は求女。若衆でしかも踊りとなると難易度が高い。もっと踊り込んで身体に所作をなじませる努力が求められる。
さて「御殿」だが、さすがに玉三郎の代表作だけあってお三輪は非の打ちどころがない。松緑の鱶七実は金輪五郎も手に入ってきた。五郎となってから大きさが出てきた。   注目の豆腐買のおむら。中車には気の毒だがやはり荷が重かった。初の女形だからというのではない。歌舞伎の滋味が凝縮された役だからだ。歌六の曽我入鹿の大きさが夜の部を引き締める。

2015年11月27日金曜日

【閑話休題27】極私的歌舞伎大賞

演劇界12月号のために、近年恒例となった「極私的歌舞伎大賞」の原稿を書く。
400字のコラムだけれど、「極私的」とあるので、自由な選出が出来て楽しい。
何を挙げたかは本誌を見ていただきたいが、奇をてらいたいと思っても、
なかなかそうもいかないのが古典芸能の宿命かもしれない。
「伝承と創造」という切り口から、二本、いや三本の芝居を挙げた。
本来は一本かひとりの俳優で、しぼり切れなければ三本までという依頼だから、
はてさて、潔くない原稿になってしまったと報告しておきます。

2015年11月26日木曜日

【閑話休題26】劇場のロビー

都内にはたくさんの劇場があるけれども、こじんまりとしていて気に入っているのは、三軒茶屋にあるシアタートラムのロビーだ。
バーカウンターがあったはずだが、飲食物の提供はない場合が多いけれど、
芝居が終わった後に、ざわざわとした雰囲気のなかで、偶然会った友人と少し話すのは楽しい。
これも方形ではなく、ちょっと変わった形に設計されているからだろうと思う。
昨日は演出家の藤田俊太郎さんと偶然会って、少し話した。
今は、もう取り壊されてしまったけれど、デヴィッド・ルヴォーとTPTが拠点としていたベニサン・ピットのロビーも忘れがたい。
古い染色工場を改造しただけで、豪華な絨毯とは無縁だったけれど、当時は、ここがもっとも光り輝いていた。
ある時期に不思議なオーラをまとった空間も、いつかは取り壊されて人間の記憶のなかにだけ住まっている。
劇場の雑踏には、そんな不思議な力がある。

2015年11月13日金曜日

【劇評30】海老蔵の急展開

 歌舞伎劇評 平成二十七年十一月 歌舞伎座 
顔見世の季節となった。この公演の幕が開くと、年の瀬が迫っていると感じる。秋も深まり、朝夕の冷え込みが厳しくなった。
今月は、十一世市川團十郎五十年祭で、ゆかりの演目が昼夜に並ぶ。なかでも父十二世を亡くしてから、市川宗家を背負って立つ海老蔵がその仁にあった演目で個性ある芝居を見せている。収獲の秋となった。
昼の部の『若き日の信長』では、海老蔵が信長を勤める。今回とりわけ優れていたのは、子役たちとのやりとりである。柿をもいで食べる様子と、無断で採ってはいけないと子供に教えられる件り、そして遠くから聞こえてくる読経の声。亡き父を慕いながらも、作り事の法要になじめぬ信長の切ない心情がありありと伝わってきた。
『毛谷村』の六助のように「善人」を演じるとなぜか破綻してきた海老蔵だが、ここでは「うつけ者」を演じて心の襞を覗かせる。 
左團次の平手中務は死をもって信長を諫める。ここで信長はもう一人の父を失ってしまった。大佛次郎の巧みな作劇もあって、海老蔵は悲嘆に暮れる人間の絶望、感情の振幅を見せて観客を引き込む。
孝太郎の娘弥生が可憐。市蔵の林佐渡守がいかにも憎々しい。左團次が忠臣の誠実を見せる。人物配置がよく、それぞれが個性を生かし充実の舞台となった。
夜の部の『河内山』がまた、いい。松江邸広間の場からの上演だが、書院に登場してから、いかにも人の悪い河内山宗俊が生き生きと大名家の人々を翻弄する。十五万石の大名が、宗俊の寛永寺の使僧になりすました「演技」に翻弄される。柔らかに真綿で首をしめるように、出雲守を追い込んでいく過程を表情豊かに見せた。
もちろん海老蔵が引き立つのは、まず相手役となる梅玉の出雲守があってのことだ。その癇性、やり込められた悔しさ。いずれも行き届いた性根が伝わってくる。左團次の家老高木の思慮深さ。市蔵の北村大膳が家老とは対照的に役をつくって精彩がある。
昼の部は、染五郎の『実盛物語』と菊五郎の『御所五郎蔵』。五郎蔵は江戸の男の短慮と意気地が描出される名品。
夜の部は、海老蔵長男、堀越勸玄の初お目見得。仁左衛門の『仙石屋敷』。幸四郎、染五郎、松緑の『勧進帳』。歌舞伎にはなじみにくい重厚な台詞劇を成立させるのは仁左衛門の技芸の充実があってのことだ。二十五日まで。

2015年10月14日水曜日

【閑話休題25】四万ページビューを達成

平成二十七年、今年の一月に「長谷部浩の劇評」ブログを立ち上げた。書いた劇評は、わずかに29本。
決して褒められた数字ではないが、統計を見るとページビューは順調に伸びて4万ビューを今日超えた。
個人ブログの長所は、自覚さえあれば、観劇の翌日でも劇評を発表することができる。即時性のメディアである。
難点は、編集者や校正者の目を経ないために、誤字脱字はもとより、思い込みによる間違いが起こりかねない。
私の場合は、大学院の修了生のひとりに、目を通してもらうようにしてきた。
これだけでも、自分ひとりで書き、アップロードするよりは、安全性が高くなる。

特に今月、変わったなと思ったのは、新橋演舞場の「ワンピース」についての反応だ。
これまでの歌舞伎劇評のおよそ二倍のビューを即座に刻んだ。
コミックの読者が若いために、ネットとの親和力がいいこともある。
それだけではない。
勘三郎が懸命に生涯を賭けてやっていたように、
演劇は事件であり、社会現象にならなければ生き残れないのだなと思う。

一方、多摩美の講義で、今回からある作品の映像を、ほとんど数分ごとに止めて、
演出の技法を解析していく仕事を始めている。
私なりに新しい講義の技法を開発している手応えがある。
繰り返しはいけない。常に自分を変えていく。淀みをつくらない。
そんなことを思いながら、上野毛から帰途についた。

2015年10月11日日曜日

【閑話休題24】東京オリンピックと交わる。野田秀樹監修の「東京キャラバン」

 昨夜、「東京キャラバン」公開ワークショックを駒沢オリンピック公園特設会場で観てきた。2020年の東京オリンピックへ向けての企画で、「アート旅団」「文化サーカス」と呼べばいいのかとあるように、移動型の文化イベントのショーケースをご披露した。
まだ、準備段階で、作品としてうんぬんするには気が早い。むしろこうしたイベントが日本の全国の都道府県を巡回したときのインパクトについて思った。
会場は名和晃平による空間構成に加え、音楽、照明が効果的に使われ、この場にいる楽しみ、ざっくばらんにいえば「わくわくする感じ」が開演前から高まっていた。
野田秀樹の監修・構成・演出。日比野克彦の監修補とクレジットされている。「旅立つ前夜 一九六四年の子ら」によって全体がサンドイッチされ、さらに祝祭のマレビト(客人)と題した民俗芸能の披露がある。単なるページェントと一線を画するのは、言葉を大切にしているところだろう。冒頭と祝祭の前には、松たか子と宮沢りえによる朗読があり、言葉とその連なりによる物語を、パフォーマンス集団の身体によって展開していく手法は、演出家野田秀樹がもっとも得意とするものだ。闇の中に浸透していく言葉、そして変容していく空間のダイナミズムは、このショーケースからも容易に読み取ることが出来た。
全体を貫くテーマは「交わる」である。異質なもの、たとえばクラッシックの弦楽と津軽三味線の競演であったり、宮沢りえが演じる人魚とドラァグ・クイーンの交錯であったりするが、この夜もっとも感動的だったのは、前の場で踊り狂ったドラァグ・クイーンたちと次の場をになう松たか子が舞台上ですれ違うときに、さりげない挨拶がお互いの間に交わされた瞬間であった。異質なものが反発し、憎み合い、殺し合う時代を乗り越え、他者を認め、そしてぶつかりあい、理解し合う人間社会への憧憬が、この瞬間に込められていたように思う。私たちの不幸な時代をなげくのではなく、このキャラバンを東京から出発した無償の贈与としたい野田の意思が読み取れたのである。
このキャラバンの終結点として東京オリンピックがある。そこは日本人ならではの柔らかな思想が込められた祝祭の場でありたい。公開ワークショップが終わっても、バックヤードに、そして舞台上に登って人々は、思い思いの時間を過ごしていた。その時間をこれから四年あまりをかけて、育てていければいいと思いつつジョギングやウォーキングの人が絶えない駒沢公園を後にした。

【劇評29】 吉と出た『ワンピース』のスーパー歌舞伎化

歌舞伎劇評 平成二十七年十月 新橋演舞場  
コミックの『ワンピース』が歌舞伎になると聞いても、正直言ってイメージが湧かなかった。今回、舞台を観てから、対象となったシリーズの原作を読んで、なるほどと腑に落ちた。
歌舞伎の多くの作品は、忠節と自己犠牲をテーマとしている。大義のなかに踏みにじられていくアウトローの集団の破滅がたびたび描かれる。特に序幕は、白浪物と八犬伝物が容易に思い出され、ルフィを中心とした海賊の集団の離散。そしてルフィが貴種流離譚の変型として、女だけの島に渡り、その助けを得て、「海軍」に捕らえられた義兄弟のエースを救い出そうとする筋立てとなっている。
演出を中心になって勤め、ルフィとその難儀を救うハンコック、そして「止め男」に相当するシャンクスを演じる猿之助の奮闘公演といえば紋切り型に過ぎるだろうか。麦わら帽子を背負い、少年の無垢と勇気を代表するルフィは、まさしく適役で、役を生き生きと演じている。衣裳や化粧などがコミックに忠実なデザインでありながら、歌舞伎として違和感がないのは驚くべき翻案である。また、若女方に相当するハンコックは、ロングドレスを着るなど工夫をこらしつつ、後ろ姿とはいえ裸体も見せるから、これもまた忠実といって差し支えない。
役者のなかでは、ロロノア・ゾロ、ボン・クレー、スクアードの三役を演じた巳之助が自在な芝居を見せる。特に道化役ともなっているボン・クレーのゲイとしての描き方に精彩がある。単に笑いを取るのではなく、純情と傷つきやすさが役に込められている。「麦ちゃん、あんたならできるわ」とルフィに語りかけるときの誠実さが胸を打つ。また、花道の引っ込みでは、奇抜な衣裳にもかかわらず、歌舞伎の骨法を忠実に守ろうとしている。さすがは三津五郎家の継承者としてのたしなみと感心した。
白ひげの(市川)右近は、さすがの貫禄。マゼランの男女蔵も近年の憂鬱を払うかのような出来。歌舞伎では時に難となる長身を生かしてひたすら「かっこいい」隼人も見物だ。現代演劇の畑から来た福士誠治の身体能力の高さと様式的な演技への挑戦。幅広い役をなんなくこなす浅野和之の自由さも舞台を引き立てている。
サーフィンを使って、客席を斜めに横切る宙乗り、また戦闘のための技をいかに歌舞伎の引き出しとテクノロジーで舞台化していくか。さまざまな工夫が詰まっている。
単にこの舞台はコミックの歌舞伎化にとどまるのではなく、歌舞伎演出とは何か。歌舞伎役者の技芸とは何かに対する鮮烈な問いかけともなっている。少年コミックの典型で物語は、若い世代の成長譚の枠組みを取るが、このスーパー歌舞伎を通して、出演の役者たちがより自由で生き生きとした役作りの愉しさを身にまとうのではないか。そんな期待をこめて『ワンピース』を観た。十一月二十五日まで。

2015年10月3日土曜日

【劇評28】二世松緑追善の大舞台

 
歌舞伎劇評 平成二十七年十月 歌舞伎座。

二世松緑の二十七回忌追善。以前にもどこかに書いたことがあるかもしれないが、十五年ほど前、『演劇界』の編集者に突然「今まで見た中でもっともすぐれた役者はだれですか」と問われ、言下に「松緑」と応えた。時間の余裕があれば、他の答えもあったろうと思うが、とっさの場合はときに真実を指し示す。そんなことを思いながら、ゆかりの演目を観た。
昼の部は『音羽嶽だんまり』の一幕。権十郎を上置きに、松也、萬太郎、児太郎、右近、梅枝らが出演。若手花形の個性を観る楽しみがある。第二場の「だんまり」は、歌舞伎役者としての身体の味が問われる。シンプルな所作が、もっともむずかしい一例だ。全体を通していうと、梅枝がこの世代では頭ひとつ抜けている。けれど、幕切れの引っ込みで、松也の夜叉五郎が花道の七三に立ったときの大きさには驚いた。技術うんぬんよりも
、役者っぷりがよくなったのだろう。自信はなにより役者を成長させる。
松緑の五郎時致による『矢の根』。稚気と勇壮さのバランスがよく、祝祭劇の本質に迫ろうとしている。十郎は藤十郞。短い登場だが、追善に花を添えた。
東京でははじめて観る仁左衛門の『一條大蔵譚』。松島屋のやり方というよりも、仁左衛門の好みで創り上げた舞台だが、何度も手がけているだけに、お京の孝太郎とともに安定感がある。時蔵の常盤御前の哀しみ、家橘の鳴瀬の懸命、いずれも胸を打つ。鬼次郎の菊之助は、おおよそこの人の仁にない役だが、意外に健闘。男臭い武芸者ではなく、妻の心情もおもんばかる二枚目として造形しなおした。その是非はあると思うが、ときには役を引き付けるやり方もあってよい。
菊五郎の極め付け長兵衛が楽しめる『人情噺文七元結』。もはや東京では風前の灯となった江戸弁が、菊五郎に息づいている。時蔵のお兼もすでに定評があるところだが、役を作っていく作為が消えて、長屋のおかみさんの苛立ちと裏のなさがよく出ている。出色なのは、梅枝。お店のお金五十両を無くしてしまった大川端で身を投げようとしている文七の必死な思い。リアリズムに過ぎるというのは、性格ではない。役の心情を掘り下げた末に出てきた激情なので説得力がある。おひさの右近もずいぶん成長した。子供の哀れさではなく、少女の健気さが出るようになり、役が大きくなった。篤実な左團次の清兵衛。ざっけない玉三郎のお駒。
夜の部は『壇浦兜軍記』。俗に言う阿古屋の琴責めで、琴、三味線、胡弓の三曲で、心の内を表現する難役である。歌右衛門以降、この役を引き継いできた玉三郎が藝の頂点を示す舞台。出から遊君のあでやかさ、美しさ、その底流にある哀しさが劇場いっぱいにしみわたる。乱れなく三曲を弾き終えるのは至難の業だが、もはや玉三郎に乱れなどあるわけもなく、ただ遠い日々の記憶と未来への予感が感じ取れる。敵役の岩永を亀三郎が滑稽に演じる。近年の充実振りは目を見張るばかりで、舞台を楽しんでいる。白塗りの捌き役重忠は菊之助。身体的に動けずしんどい役だが、微動だにせず、芝居のたしなみのよさが伝わってきた。
夜の部の切りは、今月の眼目となる『髪結新三』。松緑初役だが、上総無宿の入れ墨者、悪党の性格が強く出た。十七代目勘三郎のやり方を感じたのは、柄や仁の問題だろうか。家主の左團次は手慣れたもの。團蔵の弥太五郎源七は、『文七元結』の角海老手代喜助とともに、ていねいな芝居で盛り上げる。下手な器用さよりも、誠実な芝居の組み立てがいい。秀調の車力善八は、もはやこの人のもの。菊五郎劇団のベテラン達に支えられ、松緑は恵まれている。亀寿の下剃勝奴にしたたかさ。梅枝のお熊は序幕の見世先で本物の煩悶を見せて役を大きくした。いささか貫禄がありすぎるが肴売り新吉を菊五郎が勤める。これぞ「ごちそう」で、急に初鰹がうまそうに思えてきた。二十五日まで。

2015年9月13日日曜日

【劇評27】銃と自由 野上絹代演出『カノン』の疾走感

 現代現劇劇評 『カノン』平成二十七年九月 東京芸術劇場 シアターイースト
演劇系大学共同制作Vol.3『カノン』(野田秀樹作 野上絹代演出)は、野上の戯曲の言葉に対する徹底したこだわりによって、水準を超えた舞台となった。
私はこれまで野田以外の演出家による野田作品も出来るだけ見るようにしてきた。それぞれに長所短所があったが、野田の劇作家としての能力が傑出しているために、それを超える読解を示した例は記憶にない。
今回の野上演出は、戯曲にある「走れ。何故走らない、走れ、共に盗りに行くぞ、この限りない夜の闇に潜んでいるあの『自由』を」に注目し、若い世代の俳優たちを縦横無尽に走り回らせる。この徹底した「走る」ことへのこだわりは初期の夢の遊眠社を思い出させる。舞台はつねに限られたスペースしかなく、映画とは違って演劇は「走る」表現が苦手なメディアである。だからこそ野田作品は、その「不自由さ」を逆手にとって「走る」ことによって束の間の「自由」を獲得しようとする。六大学からピックアップされてきた俳優たちは、なによりまず「走る」ことによって『カノン』の登場人物となりえたのであった。
もちろん難点がないわけではない。言葉のダブルミーニングにこだわりすぎるために、台詞が説明的に聞こえてしまう。意味の伝達よりは、間を詰めていくことを重要視しなければいけない場面もあったろう。これもまた作品に疾走感を与えるために必要な作業ではなかったか。
太郎の今川諒祐にまっすぐな精神が宿る。沙金の秋草瑠衣子には、誘惑者が持つかりそめの自信があふれている。次郎の大橋悠太には、知性と欲望のただなかで裂かれる魂があある。天麩羅判官は、野田自身が演じた困難な役だ。小島彰浩は、自分自身を突き放して嘲笑する部分がより意識されるといい。小林風の猫は、観察者としての突き放した目と、生きることの哀しさが同居している。刀野兵六の瘧師光一郎、猪熊の爺の大石貴也、猪熊の婆の青木夏実、海老の助の八木光太郎ら、実年齢と役年齢が隔たりのある役もあるが、劇の一部であり、全体であることをよく意識して健闘している。
全体を通じて、俳優の身体を駆使したシーンメーキングが、劇にスペクタクルな見る喜びを与えている。幕切れ、「銃」と「自由」を掛け合わせた戯曲の言葉を愚直に信じ、その意味を舞台上に具体化した演出の手腕は賞賛されていい。九月十五日まで。東京芸術劇場 シアターイースト。

2015年9月6日日曜日

【劇評26】意欲あふれる秀山祭。

 歌舞伎劇評 平成二十七年九月 歌舞伎座
初代吉右衛門の俳号が由来の秀山祭が十年目を迎えた。
昼の部の注目は、歌舞伎座では半世紀ぶりとなる『競伊勢物語』(戸部和久補綴)。映像などはなく、演芸画報の連続写真や音源をたよりに復活したと聞く。こうした復活狂言は、補綴からはじまり、すべてを新たな創作で埋めていく作業になる。私が観た九月三日は初日の翌日。まだまだ、芝居が固まっていないが、滑稽な笑劇が一転して理不尽な悲劇へ転じていく。米吉、児太郎、京妙の三人娘の絹売りが、同輩の娘信夫(菊之助)とその許婚豆四郎(染五郎)の仲を冷やかす件り。舞台面が明るいのは、新しい世代が育ってきているからだ。信夫と豆四郎のあいだは、滑稽なくらい親密で、三人が冷やかしたくなるくらいのベタベタぶりでよい。又五郎の銅鑼の鐃八(にょうはち)がいかにも一癖ありそうな小悪党ぶりで絹売たちと対照的だ。
続く「玉水渕の場」鏡を争って鐃八と信夫がだんまりを見せるが、気力の充実ぶりがわかる。技芸のよしあしはこんなところであらわになる。
さて眼目の春日野だが、東蔵の小由(こよし)と吉右衛門の紀有常(きのありつね)が、現在の身分の違いを振り捨て、仲よくはったい茶をのむ件り、さすがに芝居になっている。この平穏な時間も長続きはしない。菊之助の信夫が琴を聞かせるが、音色に悲しみがあり、続いて有常が、信夫、豆四郎の首を落とす。残酷な結末への導入となり、惨劇を予感させた。琴の上手い下手よりも、信夫の気持ちを大切に作っている。
朝幕に梅玉の『新清水浮無瀬』がめずらしく、趣向の芝居。染五郎の更科姫、金太郎の山神の『紅葉狩』が出た。
夜の部は玉三郎の政岡による『伽羅先代萩』の通し。序幕花水橋の場、梅玉の頼兼はひたすら柔らか。ここでも又五郎は絹川谷蔵で時代物の空気を感じさせる。
「竹の間」は、松島をださずに菊之助の沖の井ひとりで、玉三郎の政岡、歌六の八汐と渡り合う台本。そのため沖の井の役割が重く、政岡の情、八汐の怨に対して冷静な女性官僚とでも呼びたくなるような造形となった。のちの「御殿」で政岡、八汐の女性性が強調されるだけに、竹の間では曲がったことが大嫌いな沖の井を貫いて、かえって芝居をさらっていく。
「御殿」は、久しぶりに飯炊きが出た。飯炊きが現在の目からするとまだるいからか、そのあとの芝居がせわしなく急ぐ。千松の死をなげく眼目の芝居は、よりたっぷりと観たい。続く「床下」は、吉右衛門の仁木弾正が花道を行くとき妖気が漂い出色の出来。男之助は松緑だが、口跡はさらに爽やかでありたい。「対決」は、染五郎の勝元に捌き役としての貫禄、そして明晰さが足りないために、仁木を押さえ込む説得力を持ち得なかった。「対決」「刃傷」の渡辺外記は歌六で、歌昇、種之助を従え、篤実な人柄を見せて上出来だった。

2015年9月1日火曜日

【閑話休題23】いよいよ大詰

書き下ろし203枚。ついに200の大台を超えた。勘三郎と雑誌『演劇界』がもめたときの話にまで筆が届いた。次の章は勘三郎襲名になるか。間に一章入れようか迷う。いずれにしろ、いよいよ大詰にかかるわけだけれど、まだまだ文章が荒く、直すところは数限りない。ともかく今は最後の時間に辿り着くまで、走り抜けようと思っている。
今回の書き下ろしに先立って、大学院生の関根さんが私が勘三郎と三津五郎について書いた原稿をきちんとコピーしてファイリングしてくれたのが大きい。自分の文章を読むと、その当時の歌舞伎界の様子までもが、急に甦ってくる。それにしても、ふたりについて、こんなに書いてきたのかと驚くばかりだ。
菊五郎さんについて「菊五郎の色気」を書いたとき、
「はじめに」で「私は正直言って、菊五郎にとってよい観客ではなかった。同世代に中村勘九郎(現・勘三郎)、坂東八十助(現・三津五郎)がいたこともあって、彼らの清新な演技を見続けるのが自分の仕事だと思ってきた」としるしている。当時は、なにげなく書いた一文が、今となっては別の意味を持って胸に迫ってくる。

【閑話休題22】重版出来。

【閑話休題22】重版出来。
昨日、岩波書店のNさんからメールがあり、六月に文庫化した『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』が重版になったと聞いた。
単行本のときに三刷りまでいっているので、かなりの数の読者に迎えられたことになる。
なかなか紙の本が売りにくい時代にこうして迎えられたのは、やはり時間をかけて、丁寧に本を作ったからだと思う。
また、今年の2月に、三津五郎さんはこの世を去ってしまったが、ひどく忙しない時代にあっても、
三津五郎さんの舞台の記憶が、今もなお観客に刻まれているのがわかった。
今もまた、三津五郎さん、勘三郎さんの仕事を一冊にまとめている。
時間をかけて、ていねいにを、今度も心がけるつもりだ。
来年、二月、三津五郎さんの命日には、この新しい本を仏前に届けたいと思う。

2015年8月30日日曜日

【閑話休題21】年表作成が終わり、死が過去になった

「天才と名人」(仮題)の書き下ろしために、
執筆と並行してふたりを比較対照する年表作りをしてきた。
それぞれの活動がわかるだけではなく、共演の月や演目が一目瞭然となる。
また、私が劇評を執筆した公演も
書き込んでいくと考えさせられることが多い。この二ヶ月、毎日、毎日進めてきたが、昨日、ようやくというべきか、
それとも、ついにというべきか平成27年にまで達してしまった。
勿論、年表が完成したのはうれしいけれど、
ほぼ同年齢の私にとっては、死が急に間近に見えてきた。

夏風邪を引いたらしく、今日は用事を辞退させてもらって家にいる。
ネット中継で国会前の中継を見ると、雨交じりの天気にもかかわらず、
戦争法案に反対する若い世代、いや幅広い世代が抗議行動を続けている。
民主主義を失わない強い意志を感じた。

勘三郎や三津五郎とは、政治向きの話をしたことはないが、
まだ、存命だったらどんなことをいうのだろう。
あの世に無線電話、いや携帯を掛けてみたくなった。

2015年8月25日火曜日

【閑話休題20】歌昇、種之助が地力を示した勉強会

土曜に続いて月曜も三宅坂の国立小劇場で勉強会。又五郎を父にもつ歌昇、種之助が清新な勉強会を開いた。
荒事に才能を示してきた歌昇が、本格的な義太夫狂言に挑む『毛谷村』。
お園に芝雀、微塵弾正に松緑、お幸に京紫。しかも竹本は葵太夫という完璧な布陣で臨む。
歌昇は、なにより竹本の詞章をよく聞いているのがよく、男ひとりでいたいけない子供を抱えている淋しさ、そして優しさがにじむ六助だった。
妙にあてこむところがなく、弾正の悪行があばかれ仇討ちを決意してからも、無理に力まず、張るべきところは張っている。
田舎住まいの純朴さ、その性根を最後まで失わない。言いかえれば、後半、急に武士としての貫禄を示したくなるところだが、
きちんと自分を律する賢さがあって好ましい。吉右衛門の指導、父の訓育があってのことで、初役として次へ向けた階段を上った。

さて種之助の『船弁慶』。いわずとしれた舞踊劇の大曲だが、出色の出来だった。期待の若武者颯爽たる出陣である。
又五郎の弁慶、染五郎の義経、長唄は里長、鳴り物は伝左衛門と本興行でも揃わない布陣でこれもまた恵まれている。
前シテの静は、出からよい。兄頼朝に追われて流浪の身の義経。別れを予感して沈んだ心を飼い慣らそうとこらえる。
その悲しみが舞台に静かにしみ通っていった。愛妾の身の孤独があふれんばかり。
続いて後シテになってからも、内に気をためて大きさが出た。
知盛の霊の怨念には乏しいが、力感、体のキレともに過不足ない。幕外も小気味よい。
正月浅草の『猩猩』と比べても、たった半年あまりでまたしても成長している。
今後の活躍が期待されるが、女方の踊り、しかも大曲を第二回には観てみたい。
『藤娘』などいいだろうなと思わせるだけの力量を示したのだった。

2015年8月23日日曜日

【閑話休題19】勉強会のすがすがしさ

昨日夕方、国立劇場小劇場で行われた研の會に行った。
尾上右近の勉強会で、『義経千本桜』の「吉野山」の忠信実は源九郎狐と『春興鏡獅子』の小姓弥生のちに獅子の精を踊った。
「吉野山」の静は、市川猿之助。ぎっしり満員の客席で、なによりだった。
右近は言わずと知れた名子役の岡村研祐だが、近年は菊五郎のもとで、女方を中心に修業している。
その成果もあって、今回の踊り二題では、きっちりとまっすぐに踊ってすがすがしい。
そればかりではなく、ほのかな色気がそなわってきている。
生来、器用だと思うがそれを表に出さずに、しっかり自分を見つめているのがわかる。
欲をいえば、踊りとしての完成度とともに、役になりきる姿勢があっていい。
「吉野山」の舞台面は、華やかだが、静に付き従う狐の悲しみが底流にある。
「鏡獅子」は、獅子の精に身体を突き動かされた弥生のよるべなさが観たい。
巧い踊りから、見せる踊りへ迫っていくところが、今回の課題となった。

勘三郎と三津五郎の年表がほぼ完成しつつある。
ふたりは確かに納涼歌舞伎が立ち上がるまでは、本格的な役に恵まれなかった。
そのなかで「勘九郎の会」「登舞の会」を開き、よく勉強している。
猿之助の今日の成功は、なんと十回を数えた「亀治郎の会」あってのことだと思う。
右近さんは才能にめぐまれているだけに、あせらず本格の役者に成長してほしいと願った。

2015年8月15日土曜日

【劇評25】勘九郎、七之助、巳之助らの清新

 歌舞伎劇評 平成二十五年八月 歌舞伎座
今年も納涼歌舞伎の八月がやってきた。勘三郎ばかりではなく、三津五郎もいない。その哀しさ、淋しさを振り払うように、若い世代が力いっぱい舞台を勤めている。
第一部は、七之助のおちくぼの君、隼人の左近少将、巳之助の帯刀、新悟の阿漕が清新な芝居を見せる。中世の落窪物語が原作だが、実質は平安時代の衣装をつけた現代劇。継子イジメにあうおちくぼの君が晴れて左近の少将に迎えられるシンデレラ物語だ。
七之助は絶望的な状況でも健気に生きる少女を活写する。隼人は爽やかな公達ぶりだが、いかんせん上背があり、衣装の着付に難がある。純古典の演目ではないだけに、色柄に独自の選択があってもよいのではないか。巳之助と新悟は、ときに剽軽なやりとりを難なくこなす。芝居心があるからだろう。亀蔵、高麗蔵、彌十郎のベテランが劇を底支えした。
勘九郎の次郎冠者、巳之助の太郎冠者、彌十郎の曽根松兵衛。勘三郎と三津五郎の当り狂言を継承したかたちだが、冒頭の十五分がむずかしい。春風駘蕩たる空気を醸成するのはなまなかなことではない。酔い始めてからも、勘九郎、巳之助ともに「演技としての酔い」が立ってしまっている。このコンビで長く踊り続けることによって、次第に成熟していくのだろう。
第二部は橋之助の『逆櫓』。松右衛門実は樋口次郎兼光だが、大きさはあるが貫目が足りない。義太夫の詞章をよく踏まえた舞台でありたい。時代物の次を担っていく橋之助だけに、遙かな高みを望みたい。女房のおよしはさすがに今の児太郎には荷が重すぎた。彌十郎の権四郎、扇雀のお筆。時代物には脇もまた年輪と経験が求められる。脇が揃ってこそ芯となる松右衛門の特に前半の芝居が生きてくる。
続く『京人形』は遊び心あふれるファンタジー。勘九郎の左甚五郎、新悟の女房おとく、七之助の京人形の精。柄にはまって、よくまとまっている。ただし、踊りとしての妙味に乏しく、後半、立廻りとなるまでが厳しい。洒落を愉しむ職人とその女房の粋を感じさせたい。
第三部は、『棒しばり』と同様、十世坂東三津五郎に捧ぐと副題のついた『芋掘長者』。治六郎を勤めてきた橋之助が藤五郎に回り、巳之助が治六郎に。藤五郎、治六郎がお互いを思いやる気持ちが伝わってくる舞台となった。いずれ巳之助が藤五郎に回り、あえてへたくそに見える踊りを踊る日がくるのだろう。愉しみになってきた。秀調の後室にさすがの安定感。七之助の緑御前は息をのむほどの美しさ。
切りは『祗園恋づくし』。さすがに小幡欣治の作だけあって、人物配置がうまく、戯曲の力で役者を生かす。扇雀の大津屋次郎八と女房おつぎの演じ分けがおもしろい。勘九郎が戯画化された江戸っ子留五郎を巧みに演じた。こうしたときに喜劇センスのあるなしがよくわかるが、七之助のあっけらかんとした当世風の芸者染香。巳之助の手代文吉は、台詞だけではなく、身体の表情がおもしろい。代役の鶴松のおそのもお嬢様らしいおっとりとした様子を見せる。歌女之丞、高麗蔵、彌十郎のいぶし銀のような芝居があってこその新作だ。

2015年8月9日日曜日

【閑話休題18】勘三郎と三津五郎の納涼歌舞伎

8月の1日に、納涼歌舞伎を記念して、勘三郎と三津五郎についての書き下ろし執筆に入った。
あれから10日、ようやく400字詰で70枚を超えた。このあたりまでは、
私自身が子供で舞台を観ていないか、観ていても鑑賞眼などなかったので、
どうしても資料に頼らざるをえないので、本の山に埋まっていました。

ようやく時期も昭和の終わりから平成に入り、納涼歌舞伎が始まった時代に差しかかりました。
私自身は現代演劇の劇評家でしたが、徐々に本人たちとの接触がはじまります。

たぶん、このあたりで筆致がどうして変わっていくので、
書き進めるのが慎重になってしまいます。

けれど手元の日記やメモ、自分が書いたインタビュー記事や劇評をもとに、
ふたりのことを書き継ぐのは楽しい。

この夏休みは、ふたりから与えられた楽しみを、大切に味わいたいと思っています。

平成二十年、納涼歌舞伎について演劇界に寄稿した原稿で私はこんなことを書いています。

「勘三郎、三津五郎という大きな名跡を継承し、五十の坂を越えたふたりにとって、こうした役は、もはや八月でなくとも、その身にふさわしい。
観客にとっておもしろく、なお実験の場でもある。こうした納涼歌舞伎の精神は受け継がれ、遠からず、納涼歌舞伎もそのかたちを自ら変えていくことになるのだろう。
平成二年から、もう二十年の年月が過ぎた。強い期待を集めていたふたりは、ひとかどの役者になりおおせたのである。
その道筋で、納涼歌舞伎がどんな役割を果たしたかは、八月の公演を愉しみにしてきた観客がよく知っている」

遠い昔をみるような気持ちになりました。

2015年8月3日月曜日

【閑話休題17】天才と名人 勘三郎と三津五郎

『天才と名人 勘三郎と三津五郎の短すぎた人生』(仮題)で、
ほほ同世代にあたるふたりの藝に生きた人生をたどる試みをはじめました。

先月来、書き下ろしのために、年表作りをしてきました。
七月中に年表の完成を予定していましたが、ふたりの仕事量は精力的で、
なかなか終わりまでいきません。
なので八月一日より、年表制作と平行して原稿の執筆に取りかかりました。

『天才と名人 勘三郎と三津五郎の短すぎ人生』(仮題)で、
ほほ同世代にあたるふたりの藝に生きた人生をたどる試みです。

今回の執筆にあたって、このふたりについて書いた原稿を集めたのですが、
自分でも驚くほどふたりについて劇評を書き、インタビューをしてきたことがわかりました。
今回の書き下ろしは、すでに書いた評論やインタビューも折り込み、
私の劇評家としての集大成となればと願っています。

先週、文春の編集者と打ち合わせをしたのですが、
2月の三津五郎さんの命日には、書店に並ぶように、
執筆を進めたいと思っています。

まだ三日目で、400字詰め原稿用紙30枚あまりにすぎませんが、
このふたりについては、書くべきことがたくさんあるのが実感できました。

むしろ、いかに枚数を絞り込むかのほうが大変です。

厳しい暑さが続いています。
しばらくは家に籠もって、この仕事に専心するつもりです。
どうぞ、ご期待ください。

2015年7月20日月曜日

【閑話休題16】「学者100人記者会見」に参加します。

25歳で雑誌「新劇」に劇評を書き始めてからもう、33年になる。
ずいぶん長い間、新聞や雑誌に原稿を書いてきた。この10年は、インターネット上で活動することも増えてきた。
ただ、執筆してきたのは、主に演劇とその周辺に限られる。ときに、政治的な主張が盛り込まれた舞台について書くとき、
私自身の立場を明らかにしたことはあるが、それも例外に過ぎない。
ほとんどの場合、私自身は物書きとして、政治的には、沈黙してきたことになる。

ただ、20年ほど前から教壇に立つようになった。はじめは中央大学の総合政策学部で、現代哲学を教えていた。
はじめての講義の日、まだ4月なのに緊張のためにシャツの背が汗でびっしょりになったのを思い出す。
私なりに、大学人となったことについて自負と責任を持った。

今でもありありと思い出す。
このとき、大学から戦場へ学生を送り出すようなことがあってはならないと考えた。
第二次世界大戦を振り返るとき、大学人として省みなければならないのは、
学生が、大人達の妄想や狂騒によって、戦場に駆り立てられていったことだと思った。
この考えは、折々にふれて、教壇から学生に語ってきた。

安全保障関連法案が衆院を通過した。
このまま黙視することはできない。
はじめて教壇に立った日の決意を改めて思い返す。

今日の夕方17時から「学者100人記者会見」に参加します。
http://anti-security-related-bill.jp/

2015年7月13日月曜日

【劇評24】海老蔵の藝域とその未来について

 【歌舞伎劇評】平成二十七年七月 歌舞伎座
海老蔵は、『勧進帳』の弁慶、『助六由縁江戸桜』の助六、『伽羅先代萩』の仁木弾正など輝かしい肉体のなかに埋蔵されている野性を解放することで評価を得てきた。その野性を発揮するべき演目は限られるために、藝域を広げられず、やむなく停滞していると感じてきた。今月の歌舞伎座で見せた海老蔵の芝居は、垂れ込めた曇り空を払う気概に満ちていて、難点はあるものの面白く観た。
まず昼の部は『与話情浮名横櫛』の与三郎だが、「見染め」は宿命の恋に落ちた坊ちゃんの空気感をよく出していた。平成十六年、平成十九年の与三郎と比べても、おっとりとした育ちが無理なく伝わってくる。
「源氏店」は、まず、玉三郎が極上のお富を見せる。湯上がりの風情といい、雨宿りする藤八(猿弥)との軒先のこなしといい、家内に入ってからの化粧を直しながらの台詞に囲い者の倦怠がある。この丁寧な仕事を受けて、蝙蝠安(獅童)と海老蔵が登場する。門口の外での退屈そうなそぶりに、強請り騙りに成り下がっても、なおも純な心を失わない男の愛嬌が感じられた。与三郎は元々、いい役者が、いい男に成りおうせるかが勝負である。台詞回しに問題があるにしても、この輝きはかけがえのないものと思う。玉三郎が海老蔵に良質の緊張感を与えているのがわかる。
多左衛門は中車だが、心理主義では解けない役柄は意外にむずかしい。獅童は生なリアリズムで勝負するしかないために、全体の空気を乱している。登場する役すべてが醸し出す場の空気が重要な芝居なのだと、改めて実感させられた。
昼の部は他に梅玉の円熟が見物の『南総里見八犬伝』と、猿之助が六変化をみせて女形に精彩がある『蜘蛛糸梓弦』。
夜の部の『熊谷陣屋』は、吉右衛門に教わったと聞くが、海老蔵が規矩正しく演じようと心がけているのがわかる。弥陀六の左團次、相模の芝雀、魁春の藤の方、梅玉の義経と現在望むべき最高の布陣を得て、ここで成果を出さなければいつ出すというのか。そんなプレッシャーのなかで、一子、小次郎を犠牲にした男の絶望がよく出ていた。また、「出」ののち本舞台にかかり、相模を叱るくだりから、この夫婦が平坦な道のりを歩いてきたわけではないとわかる。この点がすぐれている。芝雀、会心の相模であり、歌舞伎座の立女形としてのたしなみが備わってきた。左團次がまた、いい。世にまじらわず、内省を重ねつつ生きてきた元武士。その枯淡の境地がしみじみと伝わってくる。ここに至って、ついに澄んだ藝境をこの役者は手に入れたといっていだろうと思う。
墨染めの衣となってからは、さすがに海老蔵の年齢では、武将としての生を断念した諦観を示すのはむずかしい。けれども幕外に出てからがよく、「十六年は一昔、夢だ」も無理に張らず、観客の心に届けた。海老蔵がさらに藝域を広げて、古典の継承をまっすぐに進める転機となるべき七月となった。
夜の部は玉三郎演出による『通し狂言 怪談牡丹灯籠』。大西信行の脚本だが、第二幕、お国のくだりを大胆に整理し、伴蔵(中車)と女房お峰(玉三郎)のもつれ合った人生をしみじみと見せた。中車は玉三郎という場の見える演出家を得て、のびのびと芝居をしている。これほど安定した中車を観るのははじめてで、この顔合わせで『刺青奇偶』を観たいと思った。押せば引き、引けば押す。芝居の緩急にすぐれている。
狂言回しの円朝は猿之助。本職の落語家の技巧には及ばないが、ないものねだりというもの。鏑木清方の円朝像からよく盗んで、思わず、にやりとさせられた。二十七日まで。

2015年7月12日日曜日

【劇評23】時代物の立役として 菊之助の進境

 【歌舞伎劇評】平成二十七年七月 国立劇場
「柄があっている」とか「仁にない」といいならわす。柄は身体的な条件だろうし、仁は本質的な性向を指している。菊之助は、これまで女形と二枚目を中心に役を勤めてきたこともあって、『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」の渡海屋銀平実は平知盛は、柄にも仁にもあっていないとだれもが思っていた。
ところが、七月の国立劇場の舞台を観ると、柄にあっており、仁もなかなかに思えたから不思議である。舞台成果をあげるごとに、役者の柄や仁も次第に変わっていく。そのよい例をみたように思った。
まずは「渡海屋」から。菊之助の銀平はまず「出」がよい。厚司を羽織った姿がすがすがしい。七三でふっと止まって家内の様子を察する。亀三郎の相模五郎、(尾上)右近の入江丹蔵の無理難題に困惑する梅枝の銀平女房お柳。この無体を菊之助の銀平は、単純な暴力ではなく、人間の厚みで押し返しているところがいい。亀三郎もチャリをよくこなすばかりではなく、身体に強さがある。右近は踊りで鍛えているためか安定感がある。
梅枝は町家の女房でありながら、芯に位の高さが漂い出色の出来。亭主自慢の件りも夢中になっていく様子がよく、近い将来、『吃又』のお徳が観たくなった。
上手屋体では全身白の狩衣となって、彫像のように現れるときの静謐さ。ただし、眉を強く引きすぎてはいないか。萬太郎の義経が出てからは、銀平が海へ、そして戦へと向かう気持ちが高まっていく様子がよく伝わってくる。出立の前の謡いも焦らず荘重に舞って大きさが出た。大きさとはすなわち強さではない。余裕を持って事にあたり、感情の振幅があれば、大きさが出る。
さて「大物浦」子役の安徳天皇を奉じた典侍の局(梅枝)が、知盛の敗北を知って入水を心に決めていく。このむずかしい件りも梅枝が丁寧に勤めている。深手を負った知盛が順を追って心境を変化させていく。まずは義経への恨み、そして局が自害してからの絶望、そして平家の専横を振り返る嘆き、ついには父清盛を例に取り、人間が陥る「三悪道」と向かい合うことになる。こうした段階を持ち前の美声を響かせることをあえて封じ、黙阿弥調で台詞を歌うことに慎重になって演じたために、碇を持って死へと向かう件りが説得力を持った。
時代物の立役の芯を取る役者として菊之助が一段上へいったことがよくわかる。次は『逆櫓』の樋口か。亀三郎、右近、梅枝、萬太郎がそれぞれ全力で役を勤め、舞台水準は鑑賞教室と思えぬほど高い。弁慶は怪我で休演した團蔵に替わって菊市郎。「歌舞伎のみかた」の解説は萬太郎。客に媚びずにきびきびと語り清々しい。二十四日まで。

2015年7月5日日曜日

【再告知】「扇田昭彦さんを送る会」のお知らせ   2015年6月3日 当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。この時間帯においでいただく場合は、事前のご連絡と会費は不要です。

*当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。
会費やお香典は、必要ありません。
ゆかりのある方は、どうぞ、遠慮なくいらしてくださいとのことです。

「扇田昭彦さんを送る会」のお知らせ  
2015年6月3日

去る5月22日に急逝された演劇評論家、扇田昭彦さん(元朝日新聞編集委員)を送る会を下記の通り催すことになりましたので、ご案内申し上げます。

日時 2015年7月6日(月)午後6時半開会(6時より受付)
場所 東京芸術劇場プレイハウス(中ホール・2階)
東京都豊島区西池袋1-8-1

呼びかけ人
巖谷國士、大笹吉雄、小田島雄志、唐十郎、川本三郎、串田和美
桑原茂夫、出口典雄、蜷川幸雄、野田秀樹、福田善之、別役実

◆当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。この時間帯においでいただく場合は、事前のご連絡と会費は不要です。

◆どうぞ平服でお越し下さい。御香典などはご辞退申し上げます。

◆当日は劇場休館日のため、午後4時に開扉いたします。それより前には、お入りいただけません。どうぞご了承ください。

2015年7月1日水曜日

【閑話休題15】友人たちの急逝に学んだ

「菊之助の色気」を新潮社から刊行したとき、PR紙の「波」に向けて、評論家の矢野誠一さんの原稿をいただきありがたかった。
今回、「坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ」「坂東三津五郎 踊りの愉しみ」を岩波現代文庫に収めるにあたって、岩波書店発行の「図書」7月号に、
原稿を書く機会をもらった。舞台と伝承と題して、三津五郎さんの思い出を書いたのですが、演劇界のような専門誌とは違った追悼文になった。
文庫化をはじめとして、私も全力で動いた。嘆いているよりは、ずっとはなむけになると思ったからだ。
哀しみに沈んでいても何もならないと、渡辺好明教授、勘三郎さんの逝去のときに学んだ。
三津五郎さんのときは、私に今すぐ、出来ることはなにかと探した。

「図書」7月号大きな書店のカウンターなどで無料で入手できます。
東京の神保町であれば、「岩波ブックセンター 信山社」に行けば、確実に手に入ります。
他にも充実した読みものが並んでいます。
どうぞ、品切れにならないうちに。
http://www.iwanami.co.jp/tosho/

2015年6月19日金曜日

【劇評22】藝が至るべき境地

 二○○五年の初演から十年。伝説の『敦 ー山月記・名人伝ー』が帰って来た。キャストの大きな変更がある。初演と翌年の再演では「名人伝」の甘縄・老紀昌を勤めた万之介が亡くなったために、万作がこの役に替わった。また、「山月記」の李徴は、万作から萬斎となった。相手役は石田幸雄で変わらない。狂言師としての萬斎が充実期を迎えたために、全体に輝かしい身体が炸裂する。能・狂言の枠組みにとらわれずに、フィジカル・シアターとして自立した舞台となった。
「山月記」は、原作者中島敦の自意識がもうひとりの主人公でもある。冒頭、萬斎が演じる敦が、三人の分身を生み出す。舞台中央奥にいる萬斎の背後から、深田博治、高野和憲、月崎晴夫が次々と同じ衣装、扮装で立ち現れる。そこには名だたる詩家をめざして、狂い、虎となった李徴の狂おしいばかりの自意識が視覚化されている。自意識は自己愛と同義ではない。己の狂いを冷酷に突き放して観る自嘲までもが含まれている。そして、虎となった萬斎の跳躍が素晴らしい。この身体のように、詞章もまた華麗な言の葉を綴りたかった。その切ない願いと煩悶が込められていた。
「名人伝」は、藝が至るべき境地についての話である。日本の藝能者はついには、なにもしないところへゆっくりと歩みを進めていく。気力体力が充実し、技術も身につき、心境も安定したとき「名手」と呼ばれる。そののち「名人」となりおおせるためには、動きすぎる身体、溌剌たる精神を封じ込めなければならぬ。若き日の紀昌を勤める萬斎は、文字が創り出すイメージと格闘する。そこには耐えることのない修行がある。その先にある藝とは何か。
今回の名人伝は、すでに「名人」たる万作が老紀昌を勤めたために、藝能がいかなる境地をめざすべきかが示された。身体は一見、静かで淀みがないかに見える。けれどもその存在はひたすら大きい。身体のフォルムの美しさや動きのシャープさを超えて、内心の描き出すイメージが観客と共有される。その摩訶不思議なありようが手に取るように差し出されたのである。

2015年6月13日土曜日

【閑話休題14】ご仏前に文庫を供える

 昨日、金曜日に岩波書店から見本本が出ますとの知らせがあった。
この間、単行本から文庫化を進めていた『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』の二冊が、十六日の発売を前にして、見本が整ったという。私は都合があったので自宅に郵送してもらうことにしたが、単行本のときに尽力してくださった編集者の中嶋さんが、三津五郎さんの事務所に連絡を取って、届けに伺うことになった。巳之助さんは歌舞伎座に出勤しているので不在だったが、ご仏前に案内され、できたての二冊をお供えしてきたと聞いた。
今、この二冊を手に取ってみると、単行本の装幀をそのまま生かしている。写真も三津五郎さんがご自分で選んだものを踏襲している。印刷、造本もよい出来である。もし、ご健在だったら、きっとよろこんでくださると思う。
書籍の奥付には、著作権者のクレジットが掲載される。校了のときに気がついたのだが、今回の岩波現代文庫版では、「坂東巳之助、長谷部浩 2015」となっている。ふたりのお姉様も賛成して、巳之助さんが著作権継承者と定まったと聞いた。当然といえば、当然のクレジットだが、これまで無意識に避けてきた三津五郎さんの逝去が、急に現実になったかのように迫ってきた。
悲しんでばかりはいられない。巳之助さんは、三津五郎さんの急逝にもかかわらず、それ以来、芝居を休むことなく、毎月歌舞伎に出勤している。
私も歌舞伎についての次の著作が待っている。迷いを振り切って、仕事を重ねたいと思う。それが、歌舞伎の未来を案じていた三津五郎さんへの供養になると信じている。

2015年6月7日日曜日

【劇評21】『新薄雪物語』と顔揃い

【歌舞伎劇評】平成二十七年六月 歌舞伎座

『新薄雪物語』は、上演困難な狂言である。歌舞伎の主要な役柄を網羅しているために、大顔合わせでないと成立しない。そのわりにドラマとしての実質が十分とはいえないから、顔合わせの豪華さの割には、観客が劇に感動するのはむずかしい。こうした狂言の限界があるからこそ、今回の上演では昼の部、もしくは夜の部のみで『新薄雪物語』を通し、完結させるのをやめて、昼の部は『天保遊侠録』で幕を開け、夜の部は『夕顔棚』で打ち出したのだろう。労多くして、成果に乏しいのは、だれのせいでもなくこの狂言の性格によるのものだ。とはいえ「虫干し」ではないが、現在の大立者が健在なうちに、規範として上演しておかなければならない。だから歌舞伎興行はむずかしい。
さて『新薄雪物語』の序幕は、満開の桜が咲き誇る新清水が舞台の「花見」。奴妻平(菊五郎)と腰元籬(時蔵)が、それぞれ仕える園部左衛門(錦之助)と薄雪姫(梅枝)に恋の取り持ちをする。華やかな気分が満ち満ちた舞台ながら、奉納の刀を盗み取らんとする団九郎(吉右衛門)と続く国崩しの秋月大膳(仁左衛門)の登場から暗雲が立ちこめる。
若々しい吉右衛門が小悪党を徹底して下卑た調子で演じ、仁左衛門に巨悪の大きさがある。筋を追うよりも、歌舞伎の役柄がどのような身体によって成り立っているかを味わうべき一幕である。菊五郎に大勢の水奴がからむ。芯になる役者は最小限の動きで立廻りをさばくが、その典型を楽しめる。
続く二幕目の「詮議」は、大膳の計略に陥って、左衛門(錦之助)と薄雪姫(児太郎)が謀反の大罪の嫌疑がかかる。それぞれの父伊賀之助(幸四郎)と園部兵衛(仁左衛門)は苦渋するが、情にあふれた捌きを葛城民部(菊五郎)がつける。ややこしいのは前の幕で極悪人の秋月を勤めた仁左衛門が苦悩する父親に替わり、奴だった菊五郎が捌き役の上使に替わるところで、歌舞伎を見慣れた観客も戸惑いを隠せない。ただ、慣れてくれば、菊五郎の明瞭にして情味あふれる台詞回しと、幸四郎、仁左衛門の肚をじっくり味わえる。左衛門、薄雪姫の別れに、菊五郎が扇のかげでそっと手を握らせる件りに妙味。この幕の薄雪を勤める児太郎は当惑する姫を可憐に演じている。幸崎奥方の松ヶ枝は、芝雀。歌舞伎座の立女形にふさわしい位取りを出るだけでみせる。
夜の部に移って「広間」から「合腹」へ。左衛門は錦之助で変わらないが、薄雪は三人目の米吉。梅枝、児太郎、米吉、三人の個性と現況を楽しむのが配役の趣向となる。仁左衛門と魁春の夫婦が沈痛な面持ちで、預かった薄雪姫を嫁と思い落ちのびさせようとする。他方、左衛門を預かった幸崎がその首を打ったと首桶を持参し、怒りにかられて梅の方が自害しようとする件りがみどころとなる。魁春が六代目歌右衛門の品位と気迫を受け継いだ出来。父そっくりといわれるのは、歌舞伎役者にとって名誉だろう。
「合腹」では、すでに腹を切っている「陰腹」の肉体的な苦痛と内心の苦悩を、幸四郎と仁左衛門がそれぞれの個性を生かしつつ見せる。さらに仁左衛門にそくされて、妻の梅の方と三人で笑う「三人笑い」となる。リアリズムからは遠い表現が、どこまで観客に届くのかが勝負となる。梅の方、園部兵衛、幸崎の順だが、魁春に女性が子を思う悲痛さがあり、仁左衛門は肉体と精神が一体となる。さらに、幸四郎は自らの奥底を深く探る笑いでありながら、役の大きさをみせた。
大詰となる「正宗内」「風呂場」「仕事場」と進んで行く。この劇の締めくくりは正宗伜団九郎の吉右衛門が背負っていく。それを助けるのが正宗娘のおれん(芝雀)、下男吉介実は国俊(橋之助)五郎兵衛正宗(歌六)。歌六に精神と肉体を鍛え上げた刀匠の風格、職人がゆえの気むずかしさが漂う。吉右衛門はぶれることなくこの芝居をならず者の小悪党で通して、なお役者振りのよさを貫いた。
昼の部の『天保遊侠録』は三度目だが、不器用な生き方しかできぬ男を技巧に頼りすぎず、まっすぐに演じて好感が持てる。私が観た三日の子役が秀逸で、芝居をさらった。芝雀、魁春のふたりが対照的な女形の役を好演。国生がこれまた不器用な庄之助役を全身で演じている。児太郎の柳橋芸者も仇な風情が備わっていた。
夜の部の打ち出しは『夕顔棚』。踊りのよしあしよりも、菊五郎、左團次の洒脱な藝境を楽しむことに尽きる。踊りは巧いばかりがよいのではない。観客の心をいかに遊ばせるかなのだとわかる。また、巳之助、梅枝のふたりが若々しく、しかも狂いなく踊ってなんともすがすがしい。盆踊りへと行く人々を見つめながら、近づいてくる夏を想った。二十五日まで。

2015年6月4日木曜日

【転送】扇田昭彦さんのお別れの会

芸劇から来たメールを転送いたします。


 「扇田昭彦さんを送る会」のお知らせ  
                         2015年6月3日

去る5月22日に急逝された演劇評論家、扇田昭彦さん(元朝日新聞編集委員)を送る会を下記の通り催すことになりましたので、ご案内申し上げます。

日時 2015年7月6日(月)午後6時半開会(6時より受付)
場所 東京芸術劇場プレイハウス(中ホール・2階)
東京都豊島区西池袋1-8-1
 会費 5千円

呼びかけ人
巖谷國士、大笹吉雄、小田島雄志、唐十郎、川本三郎、串田和美
桑原茂夫、出口典雄、蜷川幸雄、野田秀樹、福田善之、別役実

◆ご出席いただける方は、お手数をおかけしますが、6月20日までに、
FAX(03-5391-2215)かメール( geki0706@gmail.com )で、お名前、ご所属、お電話番号をお知らせ下さい。

◆皆様からお供えいただくお花で、会場を飾りたいと考えております。
供花いただける方は、金子総本店(電話03-3469-2894)へ、お申し込み下さい(1口=1万5千円)。お名前を記し、会場に掲示させていただきます。ご協力賜れれば、ありがたく存じます。

◆当日は午後4時から5時半まで、会場内にどなたでも献花していただける場所を設けます。この時間帯においでいただく場合は、事前のご連絡と会費は不要です。

◆どうぞ平服でお越し下さい。御香典などはご辞退申し上げます。

◆当日は劇場休館日のため、午後4時に開扉いたします。それより前には、お入りいただけません。どうぞご了承ください。
実行委員 代表 桑原茂夫

2015年5月25日月曜日

【追悼】扇田昭彦、現代演劇の良心

 まったく予期しない訃報を聞いて、唖然としている。毎月のように何度か劇場でお目にかかる日々が何十年も続いていたので、これからは扇田昭彦さんの笑顔に会えないのだと思っただけで、こころに空白ができたような気がする。現代演劇評論の第一人者であり、また、生粋のジャーナリスト、そして温厚な紳士が亡くなった。その損失は計り知れない。
私がはじめて扇田さんにお目にかかったのは、劇評を書き始めたころだったからもう、三十五年前のことになる。なにかのご縁で見知って頂き、折に触れて、芝居の後、お話をうかがう機会があった。私は中学生のとき、今はもうない白水社の『新劇』で扇田さんの劇評を読み、演劇評論家になろうと志した。その出自からしても、扇田さんと日常的にお目にかかり、劇場で隣り合わせになれば、ちょっとした雑談をし、ときには宴席でご一緒できる機会を与えられるようになったのは、なによりの喜びだった。
憧れの存在だったし、目標でもあった。私が一九九三年に『4秒の革命』を上梓したとき、出版記念会で扇田さんの祝辞を受けて、お礼の挨拶を申し上げた。
「扇田さんがはじめての著書『開かれた劇場』を出版されたのが三十六歳で、ようやくその年齢に間に合って本を出せたのがうれしいです」
ずいぶん小生意気な物言いだと思うが、扇田さんはその言葉を喜んでくださったように思う。
私が唐組や第七病棟の宴会に出ることも間遠くなり、さまざまな劇場でお目にかかるばかりで、親しくお話しする機会も少なくなっていった。
扇田さんは朝日新聞を定年で退社されてからも、健筆をふるわれていた。こうして着実に、前を向いて書いていくことが、劇評家の仕事なのだと、無言のうちに教えて下さった。

現代演劇のもっとも良心的な部分を発見、世に紹介することに賭けた生涯だったと思う。
思い出深いのは、劇団太陽族が『ここからは遠い国』ではじめて東京公演を行ったとき、公演期間が短く新聞のシステムといえども、上演中に掲載できないにもかかわらず、敢然と劇評を書かれたときのことだ。
有名無名にかかわらずに、よいものはよいと知らせていく。
自らの審美眼に自信を持ち、しかもそれを活字としていく場を持っていなければできる仕事ではない。扇田さんは才能と努力で、その両者を持ち続けた方だった。

最後に公の席でまとまった話をしたのは、扇田さんが長年、非常勤講師を務めた早稲田大学文学部演劇映像コースを退任される記念の鼎談だった。
二〇一〇年だったと記憶する。題目は『新聞劇評をめぐって』である。
歌舞伎がご専門の児玉竜一教授と三人で、劇評についてまとまった話をした。終始、淡々と、控えめに劇評の役割について話して下さった。

その内容は、学会誌の『演劇映像』五十二号に収録されているので、興味のある方は大きな図書館で探されるようにおすすめする。
扇田さんが劇評について考えていらしたことを、考えるきっかけになればと思う。

現代演劇はその最大の擁護者を失ってしまった。残された私たちに課せられた責任を思う。

曇り空が天をおおっていたが、夕方になり青空が見えた。初夏に差しかかっている。
扇田さんは空の向こうにいて、今までと変わらず劇場と舞台を見つめているのだろう。
けれど、もう、客席で扇田さんにお目にかかることはない。
哀しみばかりが胸にあふれてくる。

2015年5月23日土曜日

【訃報】演劇評論家の扇田昭彦さんが亡くなった。

今、現代演劇の批評を二本書き終えて、なにげなくTwitterを観たら、演劇評論家の扇田昭彦さんの訃報を知った。私が二十代前半からの長いお付き合いで、ずっと憧れの存在だった。中学生のときに扇田さんの劇評を白水社の『新劇』で読み、私は劇評家を志した。急なことで言葉が出てこない。

【劇評20】大竹しのぶは、重戦車のように舞台を蹂躙していく

 【現代演劇劇評】二〇一五年五月 Bunkamuraシアターコクーン

大竹しのぶのレイディによる『地獄のオルフェウス』(フィリップ・ブリーン演出 広田敦郎訳)は、きわめて特異な演劇体験を私たちにもたらす。テネシー・ウィリアムズが書き付けたこの戯曲には、まさしく地獄がある。ミシシッピ・デルタの閉塞感のなかで、相互監視と暴力にがんじがらめになった人間たちがうごめいている。
なかでレイディは、今ともに住んでいる夫ジェイブ(山本龍二)によって、父とそのかけがえのない果樹園を焼き尽くされた過去を持つ。蛇皮のジャンパーを着て、ギターを抱えた流れ者の男ヴァル(三浦春馬)が現れてから、その魅力に町の女達は熱狂していく。レイディも例外ではない。長い抑圧された生活のためにねじ曲がった性格を、ヴァルの前ではあけすけに解放していく。
大竹しのぶは、まさしく重戦車のように舞台を蹂躙していく。そのエロキューション、その身体、その存在、すべてが女性の深淵を物語っているかのようだ。感情の振幅激しく、見てはならない地獄の釜を開けてしまった人間の歓喜と恐怖が描き出されている。
フィリップ・ブリーンの演出は、この戯曲をアメリカ南部の暗部を描いているわけではない。妖術師の男(チャック・ジョンソン)や道化を効果的に使って、幻想の街を出現させようとする。また、露出狂の女キャロル(水川あさみ)や看護師ポーター(西尾まり)を個性的な存在として際立たせたがゆえに、世界のどの街にもこんな恐怖が待ち構えていると語っていた。さらに、ビューラ(峯村りえ)、ドリー(猫背椿)、エヴァ(吉田久美)、シスター(深谷美歩)による意味を失った囁き声も効果的だ。だれとも知れない噂話が、狭い街を支配していく実体をあぶりだしている。
大竹しのぶの振幅をさらりと受け止める三浦春馬のクールビューティぶりも見事だ。このふたりは、水と油のように混じり合いはしない。この対照があってこそ、悲惨な結末へと転落していく幕切れを避けようのない事態として観客は受け止める。ヴァルがレイディに「あんたを心から愛しているよ」と跪いて語る場面は、腐敗した世界を一瞬輝かせたのだった。三十一日まで。大阪公演は六月六日から十四日まで。
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/15_orpheus/index.html

【劇評19】人間存在への希望を語る『海の夫人』

 【現代演劇劇評】二〇一五年五月 新国立劇場小劇場

イプセンの『海の夫人』は、私にとって思い出深い戯曲である。T.P.T(シアター・プロジェクト東京)は、一九九四年五月『ヘッダ・ガブラー』で高い窓から流れ込む風の気配を感じ、七月の『エリーダ〜海の夫人』では、海の暴力的な叫び声を聞いた。十月には同一の装置で『ヘッダ』と『エリーダ』を交互上演するイプセン・プロジェクトが、今はもうないベニサン・ピットで上演された。いずれもデヴィッド・ルヴォー演出の舞台である。これまで新劇のレパートリーとしてさしたる関心を持たなかったイプセンを、私は衝撃として受け止めた。
今回、新国立劇場が上演した『海の夫人』(アンネ・ランデ・ペータース、長島確翻訳、宮田慶子演出)を観て、このときに衝撃が甦った。一九九四年の八月にT.P.Tは麻実れい主演で『双頭の鷲』を上演しているから、当時の状況からして麻実がこの上演を観ていることはまず、間違いないだろう。なぜ、こんな話を始めたかというと、今回の宮田演出は、ルヴォー演出に対しての尊敬に充ち満ちているように思える。エリーダ(麻実)とヴァンゲル(村田雄浩)の関係性、またボレッテ(太田緑ロランス)とヒルデ(山崎薫)の亡き母への思い。彫刻家志望のリングストトラン(橋本淳)の浮遊感、アーンホルム(大石継太)の実直、バレステッド(横堀悦夫)の飄逸、見知らぬ男(眞島秀和)の脅威。いずれも、かつての舞台をまざまざと思い出させた。非難しているのではない。こうしたリスペクトに基づいて、丁寧に再度、テキストを読み込み舞台に立体化する作業は、なにより貴重である。日本の演劇界にとって大きな転機となった舞台と演出の方向性が、今もまだ通用することを示して見せた。
ここにあるのは、単純な夫婦関係の修復の物語でもなければ、家族の再編成の美談でもない。人間の身体になかに埋めこまれている自由への憧れ。そして海という自然がいかに美しく、そして恐怖に満ちているかが読み取れる。この絶望的な時代に、人間存在への希望が語られている。着実でしかも誠実な仕事となった。31日まで。http://www.nntt.jac.go.jp/play/performance/150501_003733.html

2015年5月17日日曜日

【閑話休題13】命の音

岩波現代文庫から6月15日に発行される『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』の校正などを進めてきました。二月の急逝を受けて、三津五郎さんの言葉のひとつひとつが、単行本刊行時とは、また別の意味をもって胸に迫ってきました。たとえば、父九代目の晩年について、舞台を踏む音を「命の音」と呼んだ件りは、重く、悲しく、読むことになりました。

『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』の現代文庫版あとがきの一部を引用します。

亡くなった父九代目の生き方を尊敬されていた。本書の二十一頁に、九代目の晩年を振り返ったくだりがある。
「舞台を踏むといっても、日本舞踊、歌舞伎舞踊の場合は所作台を舞台の上に敷いてありますから、よい音が出るようになっています。何気なく聞いていますけれど、踏む音というのは命の音なんですよね。『その人がそこにいる』というしるしです。
うちの父が晩年にだいぶ体が弱ってきていて、ポンと音を出して踏んだとき、感動しました。
踏む音がするというのは、肉体があるということだと実感しました。普段は何気なく聞いていますけれど、そのときに、
『舞台を踏む音というのは、その人が生きていることの証なんだな』
と、そんな感想を持ったことがあります」
書き起こしたとき、父を語っていい言葉だなと思った。この一節が文庫版では、別の意味を持って胸に迫ってきた。
本書から、名人が残した命の音を聴いていただけれれば幸いである。

【閑話休題12】ベトナムのジャングルから

そういえば先々週、東京都現代美術館で「他人の時間」展を観てきました。
アジア、オセアニアの若手作家を中心とした企画展です。
なかでも、南ベトナム解放戦線ゲリラの覆面写真家として活動していた
ヴォー・アン・カーンの作品に感銘を受けました。限界状況に神々しいまでの美しさが宿っています。
あまり目立つところに展示されていないので、注意してごらん下さい。
今回、モノクロのそれほど大きくない二点「軍属移動診療所」「政治学の課外授業」を見ることができます。

vo an khanh
http://www.anothervietnam.com/Vo%20An%20Khanh%20slide%20show/vak1.html

「他人の時間」展
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/timeofothers.html

2015年5月10日日曜日

【閑話休題11】劇評を書くということ

1月のはじめに劇評のサイトを立ち上げて四ヶ月。次第に読者も定着してきたようで、
劇評をあげるとその日のうちに読んでくださる方が、500人はいるようです。
もちろん日をおけば、その興行の関心度によってさらに読者が増えていきます。
ブログをはじめてよかったと思うのは、そのアーカイヴとしての機能です。
ラベルを辿ると一覧が表示されるので、自分が何を考えていたか備忘録にもなるようです。
年のせいか健忘症がひどくなっていますので、かつて何を書いたか、どうも半年前でも記憶が怪しい。
また、書くという行為は、批評の対象だけではなく、書いた当時の自分とその周辺にある空気を封じ込める力があります。
頻繁な更新はできませんが、ぼちぼち書いていきますので、どうぞご愛読くださいますように。

2015年5月9日土曜日

【劇評18】小品ながら芝居の喜びにあふれる『あんまと泥棒』

歌舞伎劇評 平成二十七年五月明治座 昼の部夜の部

平成二十三年から明治座が歌舞伎公演を再開してからもう七回目となった。「五月花形歌舞伎」は、どんな観客でも手を叩き、共感し、一日の楽しみを得るための狂言立てを一貫して貫いている。この明解な姿勢は評価されていいだろうと思う。
昼の部は歌舞伎十八番の内『矢の根』から。まだだれも踏んでいない清浄な舞台に、稚気溢れる曽我の五郎が祭祀劇を演じる。市川右近は心理的な解釈を差し挟まずに、原石のように舞台にいて輝かしい。十郎の笑也も巧まずして柔らか。
石川耕士補綴・演出の『男の花道』は、長谷川一夫による上演を強く意識した舞台。第一幕第一場に大坂道頓堀の芝居前の情景を加えて、加賀屋歌右衛門(猿之助)の舞台を観て、盲目であると見破った蘭方医土生玄碩(中車)の出会いを描く。第二幕第三場は、江戸中村座の舞台で歌右衛門が観客に、玄碩の急を救いに芝居を中断したいと願う場。大坂から江戸へ。文化年間の歌舞伎風俗をたどる趣向だ。「たっぷり」と声をかけたくなるような執拗にだめを押し続ける演技だが、猿之助も中車もそして敵役の田辺を演じる愛之助もこのあたりのさじ加減は、よくわかってのことだろう。観客を泣かせ、同調させることを明白に意識している。ただし、幕切れに使う洋楽はいかがなものか。長谷川の舞台を意識してのことだろうが、緞帳が落ちるときにセンチメンタルな音楽がかぶさると、安い時代劇を観ているような気分に陥る。
加賀屋東蔵に竹三郎。女将お時に秀太郎。
今月の見物は、小品ながら夜の部の『あんまと泥棒』(村上元三作・演出 石川耕士演出)。まず、冒頭の中車によるあんま秀の市のひとり芝居がすぐれている。リアリズムを基礎としつ、様式性を獲得しているのは、この役者の成長を示すものだ。犬に吠えかけられたり、どぶにはまったり。さんざんな夜を活写している。猿之助の泥棒権太郎も実の達者で、中車の攻めの芝居をすべて受けきってニュアンスに富む。朝なりとうとう隠し金は見つからない。それどころか、市のみじめな様子に同情し、なけなしの金をめぐんでやるべきか、行きつ戻りつつある猿之助の身体のこなしがすぐれている。ためこんだ金をめぐる攻防に勝ちぬいた秀の市の高笑いが、朝の長屋に響き渡って爽快だった。
さらに愛之助による『鯉つかみ』(片岡我當監修 水口一夫脚色・演出)。序幕なぜ鯉が釣家に恨みをもっているのか筋を通した部分が、スペクタクルとしてもすぐれて、通し狂言とした利点があった。花見の場、壱太郎の小桜姫がいい。時分の花が咲き誇り、可憐な赤姫をよく演じている。愛之助の四役は、早替りのおもしろさに終わらず、いずれも役の本質をつかんで無理がない。この役者の守備範囲をよく理解した台本と演出が生きる。欲をいえば釣家下館の場、志賀之助と小桜姫の劇中の所作事により幻想性がそなわるとよかった。振付の問題よりは、照明により工夫があってよい。大詰の本水による立廻りは愛之助大車輪。観客をよく巻き込んで楽しく打ち出した。二十六日まで。

2015年5月7日木曜日

【劇評17】舞台面の大きな『め組の喧嘩』

 歌舞伎劇評 平成二十七年五月 歌舞伎座夜の部

歌舞伎座夜の部は、黙阿弥の『慶安太平記 丸橋忠弥』から、『蘭平物狂』と同様、第二幕第二場の「裏手捕物の場」での壮大な立廻りが眼目の芝居である。
第一幕の丸橋忠弥(松緑)は出から酔態を見せる。妻おせつの父、弓師藤四郎(團蔵)が貸した二百両を蕩尽してしまったことを責める。このとき、松緑はある種の狂気のひらめきを見せるが、あくまで生真面目な團蔵と好一対となる。さらに老中松平伊豆守(菊之助)が忠弥に傘を差し掛ける件りとなるが、謎めいたやりとりが噛み合わないところもおもしろくみた。ただし、伊豆守は菊之助の仁もあって、好人物にみえてしまう難がある。より不可解な存在でありたい。
第二幕は史実では「慶安の乱」といわれる幕府転覆計画を、忠弥は舅に打ち明ける。しかしながら、黙阿弥の台本も現在では冗長で緊張感に乏しい。ドラマがないだけに刈り込んでしかるべきと思う。
先にいった立廻りとなってからは松緑の独壇場だ。こうした身体を駆使した役のとき、ひときわ熱量を帯びるのが松緑のよいところだ。
続いて松岡亮作の『蛇柳』。歌舞伎十八番の復活狂言で、高野山の奥の院の霊木として知られた蛇柳を題材とする。高野山の僧定賢(松緑)と能力の阿仏坊(亀三郎)、学僧覚圓(亀寿)が、きりっとした佇まいを見せる。巳之助、尾上右近、種之助、鷹之資。いずれもいい。
彼らが闇のなかから現れた男助太郎(海老蔵)の妻の死を受け止めていくが、いかにも怪しく夜の闇が濃く感じられた。供養がどうしても必要なのだと切迫感が漂う。
それぞれの役がよく書き分けられ、役者によって立体的に造形されているのが、前半のおもしろさにつながった。
ただし、霊木を題材とするには、舞台上にある装置に神秘性が欠けているのが大きな欠点となる。のちに海老蔵は蛇柳の精魂となるが、九団次を身代わりにして、金剛丸照忠となって押戻しを見せるのは観客には親切だが、無用な間が空いてしまうのも確かだ。
夜の部の眼目は、菊五郎劇団総出演に又五郎らを迎えた『め組の喧嘩』。第一場は、島崎楼。菊之助の藤松の威勢。團蔵の亀右衛門の押し。権十郎の長次郎の僻め。三者を受け止める左團次の四ッ車大八の情理。いずれも役者が揃った上に、菊五郎の辰五郎が納めに現れると舞台面が大きくなる。
第二場の八ッ山下の場は、菊五郎、左團次、萬次郎、梅玉によるだんまりが見物。身体のキレよりは、こなしの確かさが肝要なのだとよくわかる。
芝居前の場では、九竜山(又五郎)の大きさが際立っている。さすがに時代物で鍛えただけに、こうした世話物の一役でも肚が太くおもしろく観た。
芝居としては三幕目の辰五郎内が大切だが、菊五郎の辰五郎と女房お仲(時蔵)の気っぷの良さ、情愛の深さに泣かされる。時蔵は近年、こうした江戸の粋を体現するような女を演じて、爽やかな空気を運んでくるようになった。役を生きている証拠だろう。
大詰、立廻りとなってからは、大勢出ている若手の力量を見定める楽しみがある。まだ若年ながら鷹之資の山門の仙太がさまになっている。芝居好きか、そうでないかが、群衆のひとりとしていてもわかってしまうから怖い。

2015年5月5日火曜日

【閑話休題10】初めての電子書籍『菊之助の礼儀』

昨年の11月に新潮社から出版した『菊之助の礼儀』が、電子書籍として、5月8日からダウンロードできるようになりました。
私の本が電子書籍となるのは、実ははじめてで、正直言って実感がありません。
先週大学のゼミで、「どうなるんだろうか」と学生にもらしたら、
「こうですよ」と学部3年の藤本さんが、スクロールする仕草をして見せてくれたのです。
「ああ」と急に実感が湧いてきたのですが、
「30人くらいはそうやって読むんだろうか」とぼやくと、
ドクター三年の知念さんは、「もう少し多いでしょ」と笑いました。
今年になってからですが、自分の本が紙の形にならずに、
いきなり電子書籍となる可能性について考えたりもします。
私は20代からApple2を触っていましたし、今の職場も「先端芸術表現科」ですから、
コンピュータに抵抗はまったくありません。
ですが、電子書籍で岡本綺堂や林芙美子を読むのは、別に日常的なのですが、
どんな感触が湧き上がってくるのだろうと、一冊購入してみることにしました。
念のためお知らせしますと、紙の本は著者の分として10冊もらえるのが普通ですが、
電子版では特に著者はダウンロードできますという連絡はありませんでした。
「あのう」と言い出すのもなんだか恥ずかしいので、
Kindole版を予約してみたのです。
どんな感触だったかは、またお話できると思います。
http://www.shincho-live.jp/ebook/result_detail.php?code=E021411

【閑話休題9】岩波現代文庫版『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』

ブログの更新が滞っていて、ご心配をお掛けしました。
先月から今月にかけて、岩波書店から出ていた『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』を、
岩波現代文庫に収録するにあたっての仕事をすすめていました。
ご承知のようにこの二月、十代目坂東三津五郎さんは、五十九歳の若さで急逝されました。
三津五郎さんから話を伺って作った二冊の本は、私にとっても思い出の深い編著です。
すでに重版を重ねてきた二冊ですが、これを機会に、本文や写真などは単行本そのままに、
文庫として長く残るかたちにしたいと思い立ちました。
三月、南座に出演中の巳之助さんを楽屋に訪ねたところ、快諾を得ましたので、
この仕事をすすめることになりました。
また、詳細については、このブログでもお伝えできると思います。
取り急ぎ、ご報告まで。

【劇評16】玉手御前を当り役とした菊之助

歌舞伎劇評 平成二十七年五月 歌舞伎座昼の部

五月の團菊祭は、昼の部『摂州合邦辻』の玉手御前、『天一坊大岡政談』の法澤のちに天一坊、夜の部『丸橋忠弥』の松平伊豆守、『め組の喧嘩』の藤松と、菊之助が四役を勤めた。一日に玉手御前と藤松のような性格の異なる役をひとりの役者が勤めた例を、近年知らない。若女方から立役へと役の幅を広げつつある菊之助の進境がよく見渡せる舞台となった。
なかでも三度目となる『摂州合邦辻』の玉手御前は、この役に格闘し続けた歩みが見えて、菊之助の当り狂言といっていい。平成二十二年五月の大阪松竹座。合邦に十代目三津五郎、俊徳丸に時蔵、浅香姫に梅枝、奴入平に團蔵、おとくに東蔵を配した「合邦庵室」のみのミドリの舞台だが、「十九、二十(つづや、はたち)」の詞章にふさわしく清新な「お辻」がいた。細い針がふるえるようで、花道の出から祈りとともに死へと至るその過程は、不器用ながら若さゆえの振幅として説得力を持った。このあたりの事情については、『菊之助の礼儀』(新潮社)の第十八章に書いたので、ご参照いただきたい。
続く同年十二月、日生劇場では久方ぶりの通しとして出た。配役は合邦が菊五郎、俊徳丸に梅枝、浅香姫に尾上右近、奴入平に松緑、おとくは変わらず東蔵である。が、同じ年にもかかわらず通し狂言として出した甲斐もあって、俊徳丸を見初めて、毒酒を呑ます件りにすぐれ、若さは勿論だけれども、誘惑者としてのしたたかさもそなわって、この女形のスケールの大きさが感じられた舞台だった。
そして今回、満を持しての歌舞伎座大舞台。しかも團菊祭の冒頭である。それだけの内実をそなえているのは勿論だが、なにより芸容が大きくなって、豊潤たる色気がしみわたるようになった。合邦は歌六。俊徳丸の梅枝、浅香姫の右近、おとくの東蔵は変わらず。奴入平は巳之助が抜擢された。
まず、花道の出がいい。人目を忍ぶ夜の道の心細さがしみ通っている。身体を押し殺して、袖模様だけが闇のなかに浮かび上がる。戸口に立っての「かかさん」の呼びかけ、父合邦と母おとくのやりとりを聞きながらのこなしも精密で、心の揺れが見事に身体化されている。
家内に招き入れられたのち「かかさんのお言葉なれど」からのクドキも、ここばかりは恋に身をやつした女の清新さをたもつが、いったん暖簾口へ母に手を引かれて引っ込んでのち、さらに現れて上手屋台にいるはずの俊徳丸の姿を追い求める必死さもすぐれている。
さらに現実の俊徳丸と対面してから、浅香姫への嫉妬。俊徳丸へのしなだれかかり。「恋路の闇に迷うたこの身」から、入平を戸口へ追い出すときの迫真力。ともに竹本をよく聞き、義太夫の詞章を詳細に検討した結果を踏まえての狂乱である。ただ頭の上で狂いをなぞっているのではなく、俊徳丸へのエロティシズムが横溢したために説得力を持った。梅枝、右近も役の理解がすすんで、このような重い時代物をよく運んでいる。
さらに計略を明かし、俊徳丸を本復させるとき「聞いたときのこのうれしさ」で女の身の法悦と歓喜が見えてきた。この色気があるからこそ、幕切れ世界と合一したかのような澄み渡った心境が生きてくる。もう、目が見えない。合掌する手もあわない。「恋路の闇」から「真の闇」へと去って行った女の祈りが浮かび上がる。
菊之助が玉手御前を自らの当り役とした舞台である。
続く『天一坊』だが、前半、序幕第一場「お三住居の場」で、法澤として婆さんを殺し、御落胤と証明する二品と、毒薬石見銀山を手に入れる残酷。
第二場「加太の浦の場」では岩見銀山の毒を用いて、法澤は既に、世話になった師匠を殺してしまっている。久助(亀三郎)に師匠殺しの罪をなすりつけるために、偶然通りかかった伊勢参りの男を殺害する残酷。この二場は悪の魅力にあふれており、もはや菊之助が白塗りの二枚目、貴公子ばかりが似合う役者ではないと明らかになる。
これまで用いられてきた台本では、お三ばあさんと法澤に関係があったとする奈河本があるが、この件りについては今回は採らない。
また、第二場、お伊勢参りの男を殺す件りを採用したために、久助との確執も明らかになって後の場に生きた。
二幕目、常楽院本堂の場では、かなりテキストレジを行って、天忠(團蔵)、赤川大膳(秀調)、藤井左京(右之助)との関わりが速度感をもってまとまっている。
海老蔵はこの伊賀亮を『伽羅先代萩』の仁木弾正を意識して作っているのか、終始、国崩しとしての重みを狙っているようにみえる。法澤から天一坊に変わって白塗りとなってからの菊之助は終始、御落胤を意識して格をたもつ。その格が高いだけにときに世話に砕けての黙阿弥らしい悪党振りが生きてくる。役の向こう側に『河内山』が見えている。いずれはこの役も射程に入れているのだろう。
さて、三幕目「広書院」では、我慢を重ねる菊五郎の大岡越前守と海老蔵の伊賀亮の対決が見どころとなる。
網代問答では、駕籠(乗り物)の格をめぐってのやりとりが眼目だが、海老蔵が台詞を作りすぎており、しかも語尾が流れる難点が目立ち、問答としての緊迫感が崩れてしまっている。
四幕目、大岡越前守が嫡子忠右衛門(萬太郎)妻小沢(時蔵)と死装束をまとって、詮議のために紀州に送った池田大助(松緑)の帰りを待つ。趣向としての面白みはあるが、芝居の実質がないので、より短く刈り込む手もあるのではないか。
大詰は、越前の叡智による上下逆転の場。菊五郎の口跡のよさと位取りのほどがすぐれて胸がすく結末となった。
重みのある時代ものと肩の張らない通し狂言。陽春にふさわしい舞台である。二十六日まで。

2015年4月13日月曜日

【閑話休題8】平成中村座の劇評について

今月は浅草寺境内で平成中村座の公演が行われている。すでに二日目には観劇を済ませた。舞台の内容も意欲的なもので、このブログでも劇評を書いてみたいのだが、この公演に関しては雑誌演劇界から劇評を依頼されている。すでに原稿を書き終わって、ゲラを待っているタイミングだが、さて、このブログではどうしようか考えていた。
演劇界の劇評は四○○字詰原稿用紙八枚。十分とはいえないまでも、かなりの紙幅がとってある。このブログに劇評を書くと内容的にどうしても重複してしまう。歌舞伎の劇評を書き始めたのは、この演劇界あってのことなので、義理立てしたい。演劇界が発売になってから、形を変えて書くことも考えたが、まったく違った原稿を書けるかというと自信がない。
これからもこういったケースが起こると思うが、そのときどきで対処していきたい。場合によっては、雑誌とブログを並行させるときもあるかもしれません。とりあえず今月に関しては、今のところ、ブログに劇評を載せることをためらっています。どうぞ、ご理解をお願いしたいと思っています。

2015年4月12日日曜日

【劇評15】鴈治郎、渾身の襲名。『吉田屋』『河庄』

 【歌舞伎劇評】平成二十七年四月 歌舞伎座 鴈治郎、渾身の襲名。『吉田屋』『河庄』

團十郎、勘三郎、三津五郎の急逝を受けて、立役が払底している。現在の大立物、藤十郎、菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門が七十の坂を越えたこともある。今回の翫雀による鴈治郎襲名は、その大きな断絶を埋めるべき人が、ようやく名乗りを上げた感がある。
襲名の狂言は、昼の部が『吉田屋』。夜の部が『河庄』。いずれも成駒屋鴈治郎家の当たり狂言である。この二本に鴈治郎が全力で取り組んでいる。
まずは『吉田屋』翫堂の阿波のお大尽にとぼけた味があり、餅つきで場を盛り上げたところに、鴈治郎の藤屋伊左衛門が花道から笠をかぶったまま登場する。勿論、衣装は,本来は零落した表現だが、歌舞伎では贅を尽くしたあでやかな紙衣、金糸銀糸に彩られたこの着物が似合うかどうかがまず第一。〽冬編笠の垢張りて」。鴈治郎は七三のこなしが柔らかくなかなかの風情である。迎えるのは通例は若い者大勢だが、又五郎ひとりでこの旧来の客を拒むところに、幸四郎の喜左衛門が出て窮地を救う。鴈治郎が編み笠をとった瞬間、愁いがこぼれる。
喜左衛門の女房おきさは秀太郎。この夫婦が廓にも情があることをさりげなく伝えるのが、ファンタジーとしての『吉田屋』の根底にある。
仮寝のあとの嘆き、盃から酒をこぼして膝を濡らしたときの哀しさ、零落した男が正月とはいえ、冬の寒い夜、ひとり馴染みの花魁を待つ。そのよるべなき身の上が胸を打つ。
ようやく夕霧が座敷に来る。懐紙で覆った顔を現したとき、最長老となったにもかかわらず、まごうことなく華がこぼれる。ここからは、駄々っ子のような伊左衛門と哀しみに暮れる夕霧のやりとりとなる。鴈治郎の愛嬌、藤十郎の一途な様子。長煙管を使ってのキマリもよい。一転してふたりが仲直りし、勘当が解けて身請けの金が届き、大団円となる。千両箱が積み上がっていく様子はご陽気で、いかにもめでたい襲名にふさわしい。常磐津は一佐太夫。三味線は一寿郎。
夜の部は『河庄』。風情だけで物語らしい物語のない『吉田屋』より、現在の鴈治郎にとっては与しやすい狂言だろう。
天満屋の丁稚三五郎は、虎之介。薄幸な紀伊國屋小春は芝雀。まずは、このふたりのやりとりが弾むが、明るさのなかにもしめやかな心持ちが感じられるのは、やはり、立女形の風格を備えつつある芝雀の地力があってのことだ。敵役の江戸屋太兵衛に染五郎、五貫屋善六に壱太郎。役の性根を踏まえて、チャリを含むが、なかなかいやらしい二人組だ。染五郎は既にこうした役柄を得意としているが、壱太郎は藝域の広さを示す。『碁盤太平記』の大石主税、『石切梶原』の梢、『石橋』の獅子の精とこの興行では大活躍で、いずれも穴がない。鴈治郎の襲名とともに、壱太郎のお披露目ともなっている。
加えて、粉屋孫右衛門の梅玉が出色の出来。武士に身をやつしているが、刀を置き忘れてふっとみせる身体のこなし、ちょっとした含羞はこの人ならではのもの。舞台が暖まっているから、鴈治郎も花道から出やすいだろう。
〽魂抜けてとぼとぼと」竹本に合わせて、ほっかむりした鴈治郎の紙屋治兵衛が身も心も虚ろになって歩いてくる。立ち止まり、足元を見る、右手で着物の裾をとる。型があって、なお自在でありたい上方狂言の役の後継者としての地力を示した。
紙屋治兵衛は、女房のおさんとのあいだに子をもうけながらも、新地の遊女小春となじみとなり、身動きがとれなくなる。治兵衛と小春は心中を覚悟しているが、おさんから手紙をもらった小春は縁切りを覚悟する。そこへ弟の身を案じた孫右衛門が侍となってやってきた。
ここからは、小春との別れを迫る孫右衛門と、未練をあからさまに嫉妬さえ見せる治兵衛の芝居となる。兄弟の相克を芝雀の小春は、細やかな受けの芝居を見せる。左の手で右の胸を押さえる仕草、ほつれ髪をいとう仕草、いずれも哀しみにうちひしがれた苦界の女の哀感がにじむ。勤めのなかにも実(ジツ)のある女のありようが胸を打つ。
鴈治郎は、三年ごしの小春とのゆききを兄に問わず語りに語る件りがいい。なんともやるせない男の未練を恥ずかしがることなく貫いてリアルであった。こうした心性は江戸と平成の隔たりはない。人間のどうしようもない苦しみ、哀しみに芝居が届いている。廓から立ち去る時がくる。花道の七三に座り込んでの断腸。初役にして十分な出来である。
廓に取り残された小春は襦袢の袖を口に噛んで嗚咽を耐える。その紅絹の色が目にしみた。
他に扇雀、染五郎、孝太郎、東蔵による『碁盤太平記』。大立物が連なる『六歌仙』。幸四郎、錦之助、高麗蔵、彦三郎の『石切梶原』。幹部勢揃いの『成駒屋歌舞伎賑』。染五郎、壱太郎、虎之介の『石橋』が出た。二六日まで。

2015年4月11日土曜日

【閑話休題7】蜷川幸雄の不屈

不屈の精神という言葉がある。
なにやら右翼がかった精神論だとばかり思っていた。
けれど、シェイクスピア作、蜷川幸雄演出の『リチャード二世』を観て、
どんなことがあっても、人は立ち上がらなければいけない。
その宿命を負って人は生きていると思った。
演出家が病におかされ、車椅子にあるからではない。
リチャード二世が、あらゆる障害、あらゆる中傷、あらゆる絶望のなかに、
ひとり泥濘のなかに立った杭のように生きている作品だからだ。
私たちはこのようにして世の中に突っ立っていることができるのだろうか。
考えに沈んだ。

2015年4月6日月曜日

【劇評14】特異と普遍 蜷川幸雄演出『リチャード二世』

【現代演劇劇評】二〇一五年四月 彩の国さいたま芸術劇場インサイドシアター
蜷川幸雄演出『リチャード二世』
『2012年・蒼白の少年少女たちによる「ハムレット」』『2014年・蒼白の少年少女たちによる「カリギュラ」』など、私たちの現在に突き刺さる秀作を生み出してきた、さいたまネクスト・シアターが、シェイクスピアの『リチャード二世』(松岡和子訳)に挑み、またしても傑出した舞台を生み出した。演出は蜷川幸雄。今回は、ネクストに加えて、五十五歳以上の俳優を擁するゴールド・シアターが加わっている。
劇の冒頭、ゴールドの俳優たちは、舞台奥の暗闇から車椅子に乗り、コの字型に組まれた客席へ向かって押し出してくる。その後ろに従うのは、ネクストの俳優たち。男性は、紋付き袴、女性は色留袖。礼服をまとった老若男女が迫ってくる。ル・クンパルシータが流れる。アルゼンチンタンゴを代表する楽曲である。ダンスが高まると、ゴールドの俳優たちは立ち上がり、ネクストの俳優と男女ペアを組んで扇情的にタンゴを踊る。老齢の男性と若い女性。若い男性と老齢の女性の組み合わせだ。一種、異様な光景である。劇空間全体を埋め尽くした人間たち、踊りに身をゆだねる老人と若者。そして、男性二人が紋付き袴を脱ぐと下はモーニング。ふたりのタンゴがはじまる。タンゴの性格もあってエロティックな空気が空間を支配する。生とは猥雑にして神聖ではないかと、演出家は冒頭の場面から観客に叩きつける。
イングランド王リチャード(内田健司)は、反逆を企てたとお互いをそしり合うヘンリー・ボリングフィールド(竪山隼太)とトーマス・モブレー(堀源起)をともどもに追放する。ボリングフィールドの父ジョン・オヴ・ゴーント(*葛西弘)が亡くなると、アイルランドとの戦費にあてるために、その財産を理由なく没収する。六年間の追放処分に処せられたにも関わらず、怒りに燃えたボリングフィールドは兵を挙げて、お追従をいう取り巻きに囲まれたリチャードを退位に追い込む。やがてポンフレット城に監禁されたリチャードは、神聖なる王位と生身の人間、その双方を生きる人間存在を厳しく問い詰める。
蜷川演出の特質は、リチャード王がゲイであることを、避けず、怖れず、まっすぐに、そして象徴的に描き出したところにある。劇の随所にリチャードは貴族たちとふたりでタンゴを踊る。冒頭のシーンとは異なり、このふたりのタンゴは上半身裸で踊られる。モーニングのジャケットと白いシャツをはぎ取ると、サスペンダーにかろうじて覆われた肌が現れる。ここでは舞踊すなわちセックスであり、リチャードが王でありながら、呼吸し、ものを食べ、寝床で眠り、そしてセックスをする生身の人間であることが指し示される。そして、友人を必要としているが、いない。なぜなら、不幸なことにこのセックスを結ぶ関係さえも、王の権力と抜き差しがたく結びついているからだ。
また、リチャードは宗教的な哲学者でもある。二場、戯曲の指定では ウェールズの海岸とされている。この場面を蜷川は、歌舞伎の浪布に似た布を床面でダイナミックに動かし、そのなかでリチャードのモノローグやオーマール(竹田和哲)の励まし、スクループ(高橋英希)の報告などが語られる。彼らは波にもまれ、蠢いている。自然の抗いがたい力には、王であろうとも打ち勝つことはできない。人間の運命に翻弄されているかのようだ。
さらに、第四幕第一場、ロンドン、ウェストミンスター教会でのリチャードが王冠と王笏を失う場面で、いかにこの王権を象徴する物質たちがはかなく、浮遊するものであるかを視覚化した。
リチャードの宗教的な哲学が凝縮して語られるのは、第四幕の第五場だが、そこで照明(岩品武顕)は、床面に光の十字架を刻印する。裸体となったリチャードは、白い腰布ひとつで十字架に磔となる。王の特権に溺れて、乱費を繰り返した王が、王冠と王笏を手放した末に、磔刑されたキリストに転生する。俗世間と神の国、この地獄と天国がひとつらなりになっている人の世の不思議が胸を打つ。
「私は時を浪費した、そしていま、時が私を浪費している。/時は私を時計にし、時を刻ませる。/一分、一分が私の思考だ、私の目は文字盤だ、/私という時計は夜も休まず動き続け、/私が溜息を一つ吐くたびに/ちょうど時計の針がカチッと動くように、/指が目もとに来て涙をぬぐう」
こうした困難な劇を立ち上がらせたのは、リチャード二世を演じた内田健司の肉体のありようであった。針金のような肉体に、貴重でかけがえのない精神が宿っている。よこしまな欲望の裏側には、気高い情理が隠されている。性に暴走しても、澄み渡った思考はひとつの身体に同居している。そんな二律背反したリチャードを見事に体現していた。
特異であることが、かえって普遍性を持つ。オペラ歌手やバレリーナや歌舞伎俳優を例にあげるまでもない。美を宿した肉体とは、ある種の畸形なのではないかと考えさせられた。
また、ネクストの俳優だが、メイクで老け作りをして車椅子に乗り、ゴールドの俳優に化け通したヨーク公爵エドマンド・ラングレーの松田信也、ノーサンバランド公爵の手打隆盛の手堅い演技も、劇を底支えしていた。
脇筋も観客の胸を熱く動かした。王妃でありながら、真実の愛からは見放されたかにみえるイザベル(長内映里香)の気品と情熱。王となったボリングフィールド殺害計画に加わった息子のオーマールを守ろうと必死に嘆願するヨーク侯爵夫人(*百元夏繪)の母性。リチャードの破滅を語る庭師たち(*遠山陽一、*小川喬也)の滑稽。
すぐれた演出が俳優を着実に成長させた。遠く見えた次の階段を、大きな踏み足で俳優の多くが昇ったとわかる。
幕切れ、冒頭のシーンが繰り返される。礼装の群衆がまたしても客席に迫ってくる。
この三時間に及ぶ劇を経て、同じ場面が別の意味をもって見えてくる。何度か床面に投影された丸い地球の映像が記憶にすり込まれていることもあるのだろう。
国境、性別、年代を超えた人類は、破滅へと向かって、今も、刻々と、絶望的な旅を続けている。人類の歴史はどこまで続くのか。切り立った崖はもう間近に迫っている。
(*印はゴールドシアターの俳優。無印はネクストシアターの俳優)http://saf.or.jp/arthall/stages/detail/2040

2015年3月24日火曜日

【閑話休題7】野田秀樹さんとのトークショー

昨夜3月23日19時半より野田秀樹さんとのトークショーを蔦屋代官山店で行いました。突っ込んだ話が出来て、何よりでした。3月初旬にパリのシャトレ国立劇場で上演された『エッグ』の話を皮切りに、『THE BEE』『パンドラの鐘』などNODA MAP設立以降の野田作品を概観する内容になりました。また、3.11を受けて書かれた『エッグ』と東北、福島との関連についても本人の口から語られた件りは、私としても貴重に思えます。

35年に渡るつきあいですが、公開の席で話をしたのは、これがはじめてです。インタビューとはまた違って、ライブならではの勢いがあり、一時間半をふたりで駆け抜ける爽快感がありました。作り手と批評家として、ずっと緊張感を持ってきましたが、この数年、お互い年齢を重ねたこともあって、意固地に距離を置く必要もないのではないかと考え始めたのも、大きいかも知れません。

1月の菊之助さんとのトークショーも楽しかったですが、私もこれからは教壇ばかりではなく、外部のこうしたトークショーに積極的に出て行こうと思い始めました。

2015年3月22日日曜日

【劇評13】若手花形が南座を沸かす

 【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 南座 午前の部 『流星』が示す本格

正月の浅草から弱冠メンバーを変更しつつ、博多座をめぐって、南座で花形歌舞伎の幕が開いた。いずれも大作揃いだが、真摯な姿勢で取組み、清新な舞台となった。また、昼の部、夜の部ではなく、午前十一時開演の午前の部と、午後三時開演の午後の部の編成とした。全体の上演時間を短く抑え、料金も一等席で一万円とした興行上の工夫もあって、私が観た日は、いずれも満員だった。若手の芸を楽しむ層には、こうした上演形態がふわさしいのだろう。
まずは『矢の根』。歌舞伎十八番の荒事である。歌昇の五郎時致に胆力があり、荒事役者としての可能性を示した。きっぱりとして稚気にあふれ、舞台を踏み抜くかと思われるほどの覚悟に満ちている。「ツラネ」に感情をいれることなく、「悪態」も力強い。荒事の条件を守りつつ、身体のキレで見せていく。隼人の文太夫。蝶十郎の馬士。種之助の十郎祐成に柔らかみ、幻のような存在に徹している。
続いて、これもまた歌舞伎十八番の『鳴神』。松也の鳴神上人、米吉の雲の絶間姫。
松也は元々色気のある役者である。姫の色香に迷うこの高僧に似合うかに思われるが、実はそう簡単にはいかない。出から上人の威厳を示すことができなければ、荘厳な行者が堕ちていく変わり目が見えない。高僧の潔癖さが必要である。
米吉もやはり出から色気にあふれすぎている。夫を亡くした姫の哀れさ、苦しみがまずあっての雲の絶間姫だろう。語りも工夫はよくわかるが、心の内の変化がついていっていないので、平坦になっている。破戒と墜落。勅定と計略。古劇の風格を目指さなければならない。ただし、後半、雲の絶間姫が注連縄を切る件り、また上人が憤怒の相となって六法を踏んで引っ込む件りは、様式があるだけに一応の成果を示した 
切りは『流星』。亡き十代目得意の演目だが、巳之助が自分なりに本格を目指して、懸命に稽古したのがよくわかる。
隼人の牽牛、右近の織姫がせりあがると、美男美女ぶりに客席からジワがきた。「ご注進」の声も高らかに花道から巳之助の流星が登場する。本舞台にかかって軸に狂いなくきっぱり踊る。〽聞けばこの夏流行の」から、雷の夫婦と老いた姑、幼い子供、この四役を踊り分けるが、単に百面相に終わるのではなく、身体全体をつかって変わっているのがよい。総じて趣向に流れず、それぞれの性根を掴んで踊ろうとする姿勢が明確だった。巳之助が坂東流の大曲に、次々と挑んでいくのが楽しみになった。二十七日まで。

2015年3月21日土曜日

【閑話休題6】十代の歌舞伎俳優とは。

20日初日のKAAT公演『葛城山蜘蛛絲譚』を観た。おもしろかった。
勘十郎の作・演出・振付。勘十郎、菊之丞、鷹之資、玉太郎と、花柳時寿京、花柳凜の出演。
「子役から大人の俳優への移行期」にある俳優をクローズアップした新作だが、今月三月南座、正月は浅草公会堂に出演していた花形たちが、十年から十五年前には、こんな風に芸と格闘していたと思うと興味深い。
これまで、「学業に専念する」とのお題目で、このむずかしい年代の役者がどのように芸に取り組んでいるかがあまり明らかになっていなかった。少なくとも二人は、次代を背負うべく自らの人生を見詰めているのがよくわかった。鷹之資の金時におおらかな味があり、技巧の洗練と役を生きることとの難しさと向かい会っているのがわかる。玉太郎の山神は巧まざる品位があり、こせこせしない芸風がそなわっている。
作品の全体としては、スペクタクルとしてよく演出されていて、新作の弊がない。『紅葉狩』『山姥』『戻橋』などの古典を巧みに取り入れている。
いわずとしれたことだが、勘十郎は歌舞伎の振付師であり、また、勘十郎と菊之丞は日舞の家元でもあるわけだが、歌舞伎と日舞の関係の複雑さがよくわかる。
勘十郎振付の才気がすぐれている。若手女流をツレての大胆な振付。奥のキャットウォークを使っての幕切れなどおもしろくみた。
また、菊之丞の台詞回しの見事さは玄人はだしで驚くほどであった。役者っぷりのよさを堪能した。
日舞の世界から若手女流の花柳時寿京と花柳凜が加わり、「新作歌舞伎舞踊」の枠組のなかで健闘している。
技術の正確さをめざしているのは日舞ならではだが、そこにとどまらない。時寿京には、身体に切れ味があり、性根へと向かっている。力が抜けて、扇を従えればもっとよい。
凜はあたりを払う品のよさを冒頭からみせる。ふたりにとって、よい修業の機会を与えられた幸運を思う。
歌舞伎役者の身体が年代を追って、どう成長していくか。歌舞伎役者と舞踊家の身体にはどのような差異があるか。興味は尽きない。
そのあたりに関心のある方には、ぜひおすすめしたい。
http://www.kaat.jp/d/wakatebuyou

2015年3月12日木曜日

【閑話休題5】ネットでの情報伝搬

ブログを始めて二ヶ月が過ぎました。
この一ヶ月は、三津五郎さんのご逝去もあって、
慌ただしく過ぎました。
現在のところ劇評は12本をアップロードしましたが、
意外なことにアクセス数が一番多かったのは、歌舞伎ではなく、
ケラリーノ・サンドロヴィチ演出の『三人姉妹』でした。
これもKERAさんがリツイートしたのが理由かと思います。
ネットでの情報伝搬の仕組みについて考えるようになりました。
また、ネットでの書き込みを読むと、歌舞伎についていえば、
渡辺保さんの劇評と併読されている方もいるようです。

この「長谷部浩の劇評」ブログについていえば、ページビューは9000足らず。
伸べの数字なので読者数は、もっと少ないと思いますが、
望外に多くの方に読んでいただいているように思います。
これからも更新を心がけますので、
どうぞご愛読下さい。

2015年3月10日火曜日

【劇評12】『髪結新三』の新たな展開

  【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 国立劇場 『髪結新三』の新たな展開

『髪結新三』は、河竹黙阿弥の代表作といっていいだろうと思う。七五調の音楽的な台詞を粋な身体のこなしとともに見せる。時鳥の啼き声、初鰹を売る声、「薩摩サア」の黒御簾。音、音楽が重要な役割を果たす狂言である。
私たちは七代目菊五郎、十八代目勘三郎の手に入った名演になじんでいるので、橋之助の新三に違和感を感じてしまう。特に序幕、白子屋見世先の場では、台詞が流麗に流れず、しかも忠七に駆け落ちを焚きつける件りでは、声が太く、張りすぎている。また、身体のまろやかな愛嬌が欠けるために「一銭職」のへりくだった感じがない。いいかえれば武張った新三で、町人で博奕打ちの空気が薄いのである。
永代橋川端の場も同様で、新三、忠七のやりとりには年輪が必要なのだろう。まるで武士が町人をいじめているかのようで、橋之助がこの役を手に入れるには、課題はまだまだあると思う。
ただ、菊五郎劇団のような脇の手練れがいないにもかかわらず、新しい配役を組んだために収獲があった。もっとも瞠目させられたのは、家主長兵衛の團蔵である。もともと敵役を得意とするが、ここでは家主の貫禄でぐいぐいと新三をやりこめていく。論理ではない。破綻した論理でも押し込んでいく小さな権力者の横暴がよく出ている。左團次、彌十郎の後を追うのは、團蔵になるとすれば、『助六』の意休も射程に入ってくる。
萬次郎の家主女房、秀調の善八はいずれもこなれていて、そのため家主長兵衛内での、團蔵、萬次郎、秀調のやりとりに破綻がなく、もっとも芝居になっている。
門之助は本来、忠七はこうあるべきだと思わせる仁と柄があるので、回数を踏めば、女形から来た忠七を寄せ付けない芝居を見せるのではないか。可能性を感じさせた。
錦之助の弥太五郎源七は、癇性なところがいい。新三にやりこめられるときの怒りを押さえつける表現にすぐれる。ただし、閻魔堂では橋之助の貫禄に押されている。落ち目の親分という役回りを考えれば、このバランスでもよい。
国生の勝奴は、裏での仕事の多い至難な役。深川の気の利いたおあにいさんの粋を追求するべきだろう。新三の次を狙う一癖ある男という造形だが、「次」ではなくあくまで「次の次」だ。今現在は、機知と愛嬌で新三に可愛がられ、大家にも子守を追い回しているとからかわれるくだりを自然に見せたい。
児太郎の白子屋お熊。美貌は輝かしいが、母お常と下女お菊に因果を含められ、婿をとるのを納得させられる場面、あまり芝居をしないほうがよい。耐えてこそ美しさが引き立つ。
白子屋後家お常の芝喜松、下女お菊の芝のぶ。確かな芝居をするふたりだが、いかんせん化粧が白すぎて、登場したときにぎょっとしたのを書いておく。

2015年3月9日月曜日

【閑話休題4】三津五郎と勘三郎、ふたりのやさしさ。

一昨日の土曜日から日曜日にかけて、坂東三津五郎さんの追悼文を書いた。
雑誌演劇界の求めによるもので枚数は2800字。編集部からの依頼にできるだけ紙幅がほしいと願った。

亡くなった当日、読売新聞の求めでコメントを出した。
追って翌日、時事通信に短い追悼文を書いた。いくつかの新聞社から依頼があったが、速報性のある追悼文は、一社限りとしたいと思った。

当日は特に、かなり取り乱していたから、とても原稿を書くような状態ではなかった。

個人的な思い出は、少し落ち着いてから、このブログに書いた。
役者と評論家の関係にとどまらずに、よく呑みにいったから思い出はつきない。
書いていると、にっこり笑った三津五郎さんの顔が思い出されてならなかった。

演劇界の原稿で、追悼文はもう終わり。
気が重いことの多い仕事だけれど、私は書くことで、自分を慰撫しているのではないかと思うことがある。
もとより書いただけではない。
三津五郎さんを知る友人たちと、とりとめなく思い出話をした。
こうやって人はだんだんに、事実を受け入れていくのだろう。

五年ほど前の秋、私の同僚だった渡辺好明教授が亡くなったとき、勘三郎さんと三津五郎さん、両方と約束があった。
両者に「心が折れていて、打ち合わせを延期したい」とメールした。

勘三郎さんは、「よくわかるよ、延期しましょう」といってくれた。

三津五郎さんは、「いや延期は困る、明治座の楽屋に来て下さい」と返信が来た。

家に閉じこもっていたので、息も絶え絶え、這うようにして楽屋に行った。
聞書きの仕事をして終わったら、
三津五郎さんは、ご両親を立て続けになくした話をしてくれた。
「人はね、忘れなければ生きていけないんですよ」
と、いった。
私を家から連れだし、慰めるために、あえて呼んでくれたのだとわかった。

勘三郎の優しさ、三津五郎の優しさ。どちらも当時の私にとって救いになった。

追悼文は終わりと思ったのに、また書いている。
思い出は尽きない。

2015年3月8日日曜日

【劇評11】『菅原伝授手習鑑』通し。『車引』の霊、 『賀の祝』の美と哀切

 【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 歌舞伎座夜の部 美と哀切

三月歌舞伎座夜の部は、『菅原伝授手習鑑』の『車引』から。愛之助の梅王丸、染五郎の松王丸、菊之助の桜丸、彌十郎の時平公と、これまで意外に顔合わせが少ない四人が揃って格別な舞台となった。
まず、深編笠をかぶっての梅王丸と桜丸のやりとり、身体のこなしがよく、言葉ばかりではなく物語る力がある。合理性はここでは重く見られない。言葉のみならず身体が語る物語は、霊的な存在を呼びさます。この『車引』は、人間たちの葛藤を描いているのではない。日常生活から離れて、ひとの無意識がうごめきだす時間を扱っているとわかる。
深編笠を取ると、剛と柔、ふたりの存在が顕現する。愛之助は折り目正しく荒事の梅王丸であろうとし、菊之助はなんとも柔らかで和事を踏まえた桜丸であろうとする。愛之助の飛び六方も力感があふれ無理がない。
牛車には、菅丞相を流罪に陥れた時平公が乗っているという。黒牛によってひかれ、黒に塗られた牛車はただそこにあるだけで古怪な雰囲気を醸し出す。「加茂堤」の牛車と対になっている。
染五郎の松王丸がまたいい。座頭の風格さえ感じるようになったのは、最近のことだ。力みが取れて、荒事では心理主義的な演技を周到に回避している。三人の見得もそれぞれいいが、菊之助の形のよさは、舞踊で鍛えた身体があってのことだろう。
彌十郎の時平公、本来の仁からは遠い役だが、牛車からの出から、硬質でしかも人間とはほど遠い超自然的な存在になりおおせている。なにより四者が絵面に決まっての幕切れが、歌舞伎の美を堪能させてくれる。
続いて五幕目は『賀の祝』である。
松王丸女房の千代(孝太郎)と梅王丸女房の春(新悟)のやりとりから始まるが、底を割らずに白太夫(左團次)の古希の祝いの気分がある。染五郎の松王丸と愛之助の梅王丸の米俵を使っての喧嘩「俵立て」も動きがよく、この世代の役者の充実を見る。
『賀の祝』は、三つ子を相手に複雑な心の内をみせる白太夫の芝居といってもいい。左團次は、主君菅丞相への忠義に貫かれており、また三つ子へ情もあわせもっている。ただし情を垂れ流しにはせず、あくまで強面である。菊之助の桜丸が暖簾を割って登場してからは、父親としての嘆きに終始するが、泪に溺れない。
菊之助の桜丸は、平成中村座に続いて二度目だが、格段の進境を見せる。出の「女房ども、さぞ待つらん」では「さぞ」を抜いて、文楽の本行を真似る。また、息継ぎで楽をせずに、竹本とまっこうから渡り合う気迫に充ち満ちている。
自らの失態によって、主君の流罪へと至った。その後悔と絶望が、父により九寸五分が与えられるうちに澄み渡った心境となる。ここでは祖父梅幸にならって、島台に乗るのは、腹切り刀ではなく、鞘のある刀である
「これまで馴染む夫婦の仲」では、梅枝の女房八重と目を見交わし情をみせる。
また、白太夫へ「親人、はばかりながら御介錯」からは、腹を切った痛みの向こうに、死へと向かう人間の法悦さえも漂う。
『仮名手本忠臣蔵』の判官、『摂州合邦辻』の玉手御前と切腹の幕切れを数多く演じてきた経験が生きている。まことに美しく哀れな桜丸であった。梅枝が行儀良く八重を勤めている。
幕切れは『寺子屋』。染五郎の松王丸、孝太郎の千代、松緑の源蔵、壱太郎の戸浪、高麗蔵の園生の前、廣太郎の涎くり。錦吾の下男三助、亀鶴の玄蕃。今回は丁寧に寺入りから出たので、源蔵の出が唐突にならない。また、昼の部から見ている観客には、『筆法伝授』でいかに、源蔵と戸浪が苦境にあったかとつながり、この幕におかれたふたりの心情がわかる。
ただし、理が通ったからといって舞台成果が保証されるわけではない。源蔵と戸浪の間に気持ちの通い合いが薄く、また松王丸に大きさはあるが、嘆きがしみ通らない。千代も子を犠牲にする親の強い覚悟が感じられない。全体に肚が薄いので、『寺子屋』が持つ不条理ばかりが立って、観客の共感を巻き込むには至らなかった。二十七日まで。

2015年3月7日土曜日

【劇評10】『菅原伝授手習鑑』通し。本格の意味を問う。

【歌舞伎劇評】平成二十七年三月 歌舞伎座昼の部  本格であることの意味を考える。

三月の歌舞伎座は『菅原伝授手習鑑』の通し。仁左衛門中心の一座に、左團次、秀太郎、魁春、歌六が加わり、松緑、菊之助も参加する。三大名作といわれる古典中の古典。義太夫狂言の代表的な作品である。それがゆえに、今、現在の歌舞伎俳優の力量が問われる舞台となった。
序幕は「加茂堤」。菊之助の舎人桜丸に、梅枝の桜丸女房八重。主君の色事を手伝う夫婦なので、下卑た笑いに堕ちるのを、このふたりの清潔な芸風がとどめている。反面、親王と姫が車に入ってから、むつ言を聞いて「女房ども、たまらぬたまらぬ」と抱き合うときの色気が薄い。この仲のいい夫婦の息は、日にちが経つうちに熟成されてくるだろう。梅枝は菊之助の女房役として、不足のない芸を見せるようになった。若女方の筆頭にいるといって差し支えない。萬太郎の齋世親王、壱太郎の刈屋姫は、いかにも初々しい。この悲劇の発端が、若い二人とまだ世知に乏しい夫婦によって起こったことがよくわかる。亀寿の三善清行はほどがよい。
二幕目は「筆法伝授」。昭和十八年の歌舞伎座で復活した幕がすっかり定着した。「奥殿」では、染五郎の源蔵、梅枝の源蔵女房戸浪の出が神妙。主家をしくじったふたりの沈潜した心持ちが衣装の工夫ばかりではなく、身体に通っているから場が落ち着く。迎える仁左衛門の菅丞相の威厳、御台園生の前の情味、いずれも源蔵、戸浪のありようと対になって、四人の複雑な思いがありありと浮かび上がってきた。橘太郎の稀世が、緊張した場を救う。橘太郎は幹部になってから、ますます芸が自在になってきた。
続く「学問所」は、菅丞相から源蔵が筆法を伝授される件り。稀世に邪魔をされながらも、苛立ちさえもみせず、筆写に打ち込む源蔵、その姿を端然と見守る菅丞相。仁左衛門、染五郎いずれも本格をめざして揺るぎがない。この場をきっちり成立させてこそ続く「道明寺」へ向けて菅丞相の肚が観客へ伝わる。「門外」は、菅丞相が引きたてられて、太宰府へながされていく。また、愛之助の梅王丸が、源蔵夫婦に菅丞相の嫡男菅秀才をあずける。愛之助は短い場面ながら、忠義の人であると伝えている。昼の部夜の部を通して、愛之助は一貫してよき梅王丸を見せる。
そして、昼の部の見どころとなる「道明寺」である。ちょうど五年前の歌舞伎座で仁左衛門は、玉三郎の覚寿を相手に「道明寺」を出している。そのときと比べても、仁左衛門の芸境はさらに澄み渡り、菅丞相の乱れのない心の内が伝わってきた。
今回の覚寿は秀太郎。枯れ果てた身体に一本芯の通った精神が見て取れる。刈屋姫とその姉立田を折檻する「杖折檻」の絶望の深さが比類ない。
歌六の土師兵衛と彌十郎の宿禰太郎が巧みな芝居を見せる。芝雀の立田を殺害して、鶏を早鳴きさせる「東天紅」の場面では、歌六、彌十郎、芝雀と腕のある三人が芝居を運び破綻がない。これもまた「本格」への意思にとどまらず、こうした場面でもおもしろさを観客に伝えようとする誠実が感じられる。芯をとる役者だけではなく、脇が充実してこその古典だと納得させられた。
菅丞相を迎えるのは判官代照国の菊之助。菅丞相と対になる役だが、軽さがみじんもなく、弁慶に対する富樫の位置づけで演じているようだ。媚びのない誠実がこもる。
菅丞相が木造と本物を演じ分ける件りは、どうも操り人形めいて、私自身は好きではない。けれど偽りの使いがわかり、ふたたび上手屋台に納まってからの仁左衛門の静謐なありようは、この年齢、この舞台歴をあってこそのことだろう。荒事や派手な演出に代表される動の歌舞伎がある。それとは対照的に、芯にある人の心の内を観客が息をつめて見詰める静の歌舞伎もある。二十七日まで。

2015年3月6日金曜日

【閑話休題3】魔法のランプ

昨日は歌舞伎座。『菅原伝授手習鑑』の通し。義太夫狂言の重い演目を昼夜通しで見るのはしんどい。
ロビーを歩いていたら、幕間に高校時代に古文をならった和角仁先生とばったり会う。三十五年ぶり。
思えば、蜷川幸雄が東宝で初演出した『ロミオとジュリエット』は、和角先生に連れて行っていただいたのだった。
日生劇場の三階席のチケットを私が買いにいったのを思い出した。
そのときから私が今の仕事につく準備がはじまっていたのだろうと思う。
もっとも、中学二年生のときに、唐十郎作・演出の状況劇場の芝居を上野の水上音楽堂に観にいったのが、自主的に観劇した最初の体験かも知れなかった。
お元気な先生のお顔を拝見すると、むかしの思い出が魔法のランプに触れたようによみがえってきた。いつか機会があったら昔話を書いてみたい。

2015年3月2日月曜日

【閑話休題2】新聞書評を読んで。誤解。

三月一日付の東京新聞読書面に、『菊之助の礼儀』書評が出た。
「新刊」のコーナーで十四行の評である。
新聞評が出るのはありがたいけれど、内容が誤解をまねくような表現ばかりで困ってしまった。

「一九九九年以来、菊之助に伴走しながら取材した演劇評論家のインタビュー集」
とあるが、本書のほとんどが地の文であり、「インタビュー集」というのは、あまりに内容とかけ離れているのではないか。
確かに、菊之助の発言は使っているが、本書は一問一答や大部分を括弧付きの発言で占められているような「インタビュー集」ではない。
「野田秀樹や蜷川幸雄など現代演劇劇作家による舞台にここ数年取り組んでいる」とある。野田秀樹が執筆予定だった『曾根崎心中』の企画は、平成二十六年に予定されていたが、勘三郎の急逝によって実現不可能になった。
また、蜷川との『NINAGAWA 十二夜』は、平成一七年に初演されている。
三演のロンドン公演は、平成二十一年に実現している。
この数年はまったく動きはない。
いずれも、「この数年取り組んでいる」と評するにはあたらないのではないか。
また、残念ながら、この数年蜷川らとの企画が、歌舞伎の舞台に乗っている例はないのにもかかわらず、
「取り組んでいる」とはどんな意味かわからない。

「芸に対する透徹した意思と創意を『曾根崎心中』や『勧進帳』などの作品に探り、その姿勢にエールを送る」とある。
『曾根崎心中』は先に述べたように実現しなかった企画である。
また、『勧進帳』は、菊之助は富樫、義経はすでに勤めている。
この本の末尾の趣旨としては、音羽屋菊五郎家の家の芸ではないにもかかわらず、
「弁慶を四〇過ぎやれたらいいなと思っています」
と語り、菊之助がいつか弁慶を勤めたいと思ってると結んでいる。
なぜ、本書で取り上げた多くの演目から、実現できなかった『曾根崎心中』や
これから弁慶を初役として取り組みたいとする『勧進帳』を、取り上げるのか理解しがたい。

いずれにしろ書評を書いた人物は、『菊之助の礼儀』をまともに読んではいないように思える。

ありがた迷惑である。

読者を混乱させなければいいと思っている。

2015年2月27日金曜日

【追悼】青空と白い雲と 十代目坂東三津五郎

 五十九歳の若さで三津五郎さんがこの世を去った。

昨年の秋に転移が見つかり、今年に入ってからは厳しい状況にあると聞いてはいたが、まさかこんな日がくるとは思わなかった。
勘三郎さん、三津五郎さん、私とは同世代の歌舞伎役者が相次いでなくなり、淋しくてならない。
歌舞伎界、日本舞踊界はかけがえのない人を失ってしまった。

はじめて三津五郎さんと会ったのは、いつだったか。記憶に確かなのは、平成十年一月の浅草公会堂に出演したときだったろうか。
公会堂二階のロビーで五重塔を眺めながら、三津五郎さんを私は待っていた。
演目は『河内山』。話の内容は忘れてしまった。

まもなく、十一月歌舞伎座昼の部、七代目中村芝翫が『紅葉狩』を勤めたとき、三津五郎さんは山神を踊った。
「『紅葉狩』は実は山神のためにあるんじゃないかと思っているんです」
と、おっしゃったのが印象的だった。すでに確かな舞踊の技術は認められていたが、名人の域には遠かった。
その後、断続的にお付き合いがはじまり、平成十七年の七月『NINAGAWA 十二夜』が歌舞伎座で初演されたとき、監事室でばったり会った。
満員御礼が出て、二階の隅にも席がなかったのがかえって幸いして、私は三津五郎さんの解説で歌舞伎を観る幸運を得た。
ガラス張りの監事室は、いくら話をしても外にもれる気遣いはない。
部屋にはふたりだけだったから、女形の袖のつかいかたや歌舞伎演出の詳細まで、あれこれ訊ねつつ『NINAGAWA 十二夜』を観た。贅沢な時間だった。
この体験を岩波書店の編集者に話したところ、すぐに、歌舞伎をみはじめて二年くらいたった観客を対象に。本を編むことになった。三
津五郎さんが快諾して下さったので、一年間の取材を経て、平成二十年には『坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ』を上梓した。さらに二十二年には、続編と言うべき『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』が出ている。

この平成十九年から二十一年までは、ほぼ毎月、取材のために三津五郎さんと会っていた。

三津五郎さんの話はいつも明晰で曖昧なところがみじんもなかった。
具体的かつ分析的で、文字に起こしても破綻がない。聞書きを担当する身としては、本当に楽しかった。
当時、私の歌舞伎に対する理解は正直言って浅かったと思う。そんな非力なインタビューアーを励ますように、懇切丁寧に答えて下さった。今でも感謝にたえない。

三津五郎さんも私もまだ五十代に入ってそこそこだったので、取材が終わると、時間の許す限り飲みにいった。
銀座のワインバーswitchや、クラブのブルームがお気に入りだった。
たいていはふたりだったが、彌十郎さんと三人でグレにいったこともあった。
「ひとつの店に長くいるのは野暮なので、一時間とはいられない」
と、言って笑った。屈託のない笑顔だった。

平成二十四年八月二十二日、NHKが主催した「芸の真髄シリーズ」で『楠公』『流星』『喜撰』の三番を踊り抜いた舞台が忘れられない。
名人としての舞台だった。今後どれほどの芸境に進むのか。ロビーで勤務先の大学にある日舞専攻の学生たちと興奮して話したのを覚えている。
その輝かしくも、規矩正しい踊りは、目も眩むばかりだった。

二年ほど前、私が本郷から大塚へ転居したとき報告すると、
「ごめん、僕は両親とも大塚の癌研でなくしているので、あまりいい思い出がないんだ」と、少し湿った調子で言ったのを思い出す。それから間もなく三津五郎さん自身が膵臓癌の病を得るとは、本人も私も思ってもみなかった。

三谷幸喜監督に認められて、巳之助君が『清洲会議』に配役されたときは、本当にうれしそうだった。
「本人が自分の力で取ってきた仕事です」
と、喜びを隠さなかった。

病に倒れてからは、巳之助君の舞台を観るたびに、私なりの考えをメールしていた。長男の成長を何より楽しみにしていたし、ひとかどの役者になるまでそばで見守ってやりたかっただろう。その気持ちを思うだけで、胸が張り裂けそうになる。
芸のことについては、来月の『演劇界』三津五郎追悼号に書く。今は、浮かんでくる思い出をとりとめもなく書き綴った。
冬の終わりを告げるように、今日は暖かい。青い空を掃くように白い雲が流れている。
青空と白い雲と。
三津五郎さんの人柄は、そんな彩りだったと思い返す。

2015年2月22日日曜日

【訃報】三津五郎さんが逝去された

坂東三津五郎さんが亡くなった。
20時に全国の坂東流のお師匠さんには連絡が入ったようなので、もう公にしてもいいのだろう。
勘三郎に続いて同年代の役者が相次いでなくなり衝撃を受けている。
岩波書店から二冊の聞書きを上梓できたのは、私にとって本当に幸せなことだった。
聞き手としての私はふがいないかった。その不満などけぶりにも出さずに、丁寧に答え、教えて下さった。
改めて追悼を書きたいと思うが、今は言葉が出てこない。
名人といわれる人がこの世を去った。それだけがずしりと肚に応える。

【劇評9】哀切きわまりない「陣門・組打」再見

 【歌舞伎劇評】平成二十七年二月 歌舞伎座夜の部 「陣門・組打」再見

昨日、二十二日に「陣門・組打」が急に観たくなって歌舞伎座へ行った。
気まぐれなようだが、今月の夜の部ではやはりこの『一谷嫩軍記』がとりわけすぐれている。吉右衛門、芝雀、菊之助の顔合わせも早々あるわけでないだろうから、脳裏に刻みつけておきたかったのである。
結論からいえば、招待日の四日に観たときよりも格段に緻密に組み上がっていた。特に菊之助の敦盛実は小次郎が、両の手を合わせて合掌するとき死を覚悟した敦盛の澄み渡った心境が劇場にしみわたってくるのがわかる。
平山が出て事態はさらに悪化する。
敦盛実は小次郎が「おろかや直実、悪人の友を捨て、善人の敵を招けとはこの事。はや首討って、亡き後の回向を頼む、さもなくば、生害しょうか」と吉右衛門の熊谷に迫るときの緊迫感は、またとない。。二十五日間繰り返す歌舞伎興行でありながら、一期一会、孤独な魂がふるえるようだった。
芝雀の玉織姫が敦盛の首がみたいと願い、すでに目が見えないとわかってから熊谷は首を渡す。身代わりと知れてはいけないという肚だが、ここでも過剰な思い入れを避けている。内心の葛藤をみせるばかりではなく、恋人をなくした姫への思いが立っている。
「どちらを見ても蕾の花、都の春より知らぬ身の」
敦盛実は小次郎と玉織姫の非業の最期を嘆く熊谷の絶唱が生きている。
そのため、母衣を使って、敦盛と玉織姫の遺体を海に流す件り、あ愛馬に敦盛の形見の鎧、兜、大小を背負わせる芝居も、段取りに終わらない。熊谷の重い心の内を写して、ゆったりと芝居を運び、哀切きわまりない。
〽右に轡の哀れげに、壇特山の憂き別れ」
葵太夫の竹本も、吉右衛門の芝居に寄り添うように、言葉を踏みしめるように語る。
右に敦盛の首を抱え、左に愛馬の轡を握って決まる幕切れの大きさは無類であった。
子役を使っての遠見の演出も生きる。
それにしても、海の青さと白波のなんとあざやかなことか。
網膜に焼き付いて離れない。

2015年2月21日土曜日

【劇評8】生きることのおかしさ 『三人姉妹』(アントン・チェーホフ作 ケラリーノ・サンドロヴィチ上演台本・演出)

 【現代演劇劇評】二〇一五年二月 シアターコクーン

生きることに懸命な人間を観た。
チェーホフの『三人姉妹』を、ケラリーノ・サンドロヴィチは古典としてひたすら礼賛するのではない。上演台本を作成し、戯曲の言葉をたどりながら、登場人物はどのように舞台上にいるのかを丹念に読み解いている。
オーリガ(余貴美子)は、婚期をのがした教師の枠に収まらない。ふたりの魅力的な妹を愛情をこめて見守り、ときにいらだちをかくさない人間として描いている。
マーシャ(宮沢りえ)も倦怠感あふれる美女ではない。もう一度生の感触を取り戻そうと、ベルシーニン(堤真一)との恋愛に燃え上がるひたむきさが前面に出る。
イリーナ(蒼井優)は、没落しかけた家のお嬢さんではない。自分が何も実現できないことに煩悶する女性として生き急いでいる。
求婚してくるトゥーゼンバフ(近藤公園)とソリョーヌイ(今井朋彦)を突き放してみるしたたかささえ見せる。
ナターシャ(神野三鈴)は育ちの悪い悪趣味な女ではない。信念を持ってこの沈滞した家を変えていこうとする野性に充ち満ちている。
女性ばかりではない。チェプトィトキン(段田安則)も人生に疲れた老軍医ではなく、過去の思い出にしがみつき、ときに狂気をほとばしらせるエネルギーを隠している。
クルイギン(山崎一)は、退屈で気取った教師ではない。自らが俗物であることに絶えかねている煩悶がほの見える。そして、まぐれもなくマーシャを愛し抜いているのだ。
堤真一のベルシーニンは哲学を繰り返すが、火事の場面では、だれも聞いておらず、自らの言葉が浮遊していく徒労感を描き出している。
新しい登場人物像が提示されたのは、台詞をうまくしゃべることに専心すのではなく、そのとき人間の身体はどうあるのかを徹底して追求したからだ。ときに人間は言葉とはうらはらに、奇矯な行動をみせたりもする。イリーナが火事の場面で洗面器の水を自ら顔に浴びせかけたり、マーシャがベルシーニンとの別れに我をうしなって足にしがみついたりもする。こうした唐突な行動を怖れず見せることで、とりすました「チェーホフの名作」が私たちのものとなった。人間の懸命な姿はときにおかしみを誘う。これほど笑いと共感をもって受け入れられた『三人姉妹』を私は知らない。演出の緻密さとそれを受けたキャストの自由なありようを観ていただきたい。三月一日まで。五日より大阪公演がある。http://www.siscompany.com/shimai/gai.htm

2015年2月17日火曜日

【エッセイ3】野田秀樹の軌跡3

事件としての演劇をめざして
一九九一年の八月、野田はこれ以降の拠点となる渋谷のシアターコクーンにはじめて登場する。客席数七○○の中劇場は、このとき開場したばかりであったが、広すぎず、狭すぎず、しかも渋谷の至便な場所にあって、 野田の作品世界を実現するには、もっとも適した場所であったろう。ロンドン留学を経て、九四年、『キル』をひっさげて、ふたたび東京に戻ったとき、野田が選んだのも、この劇場であった。
『TABOO』『ローリング・ストーン』『カノン』『オイル』『贋作・罪と罰』『ロープ』『パイパー』と、ずいぶんたくさんの作品をこの劇場で見た。日本経済新聞で新聞劇評を担当している間は、劇評を書くまでは野田と作品の話をしないように決めていたが、二度、三度、重ねて観たときは、会って話すのを楽しみにしていた。劇場下手の通路を通って、小道具を横目に、舞台袖を抜け、地下に降りる。野田は個室より、他の男優たちと大部屋にいるのを好んだ。芝居が終わったあとに、缶ビールを開けて、長話をするのが、いつもの習慣だった。
一度だけだが、野田と議論になったのを覚えている。幕切れの演出について、私が注文をつけたことに、野田が反論してきたのである。出演俳優たちが何の騒ぎかと集まってきたほどの勢いだった。一五分くらい議論は続いたような気がする。なぜ、私は、あんな余計なことを言い出したのだろうか。野田との距離を見失っていたのだろうか。今振り返ると恥ずかしく思う。
代表作というべき『パンドラの鐘』を観たのは、世田谷パブリックシアターである。このとき、雑誌『文学界』に、野田の戯曲とともに長文の劇評を書く予定であった。公演中に、新聞ではなく雑誌に、まとまった枚数の劇評が載るのはめずらしく、私は緊張していた。しかも、同時期に蜷川幸雄演出の『パンドラの鐘』が、シアターコクーンで幕を開けている。このときの初日ほど、張り詰めた気持で舞台に向かったことはない。
演劇的事件、いや事件としての演劇を、蜷川も野田も、めざしていたのだろう。舞台が演劇の世界にだけとどまることを潔しとしないところで、ふたりは共通していた。当時、私は蜷川を一年半かけてインタビューしていた途中だったので、この競演を興味深く観た。ふたりの演劇人としての出自の違いが、鮮明になった舞台だった。
新国立劇場中劇場では、『贋作・桜の森の満開の下』と『透明人間の蒸気』を観た。演劇がもっとも苦手とする表現は、全力疾走だろうと思う。シアターコクーンの舞台では、舞台を横切るように走っても速度がピークになる前に、壁につきあたってしまう。その意味で、広大なバックヤードを持つ新国立劇場は、野田のつねに疾走していたい欲望を満たしてくれる唯一の劇場であった。当時、野田は、新国立劇場がレパートリーを持ち、これらの作品を繰り返しキャストを変えて上演すればよいと主張していたが、結局、実現せずに終わってしまったのが残念でならない。

海外の劇場を走り抜ける

番外公演というのが適切かどうかわからないが、少人数のキャストによる作品を立て続けに発表した。『Right Eye』『農業少女』、タイ版『赤鬼』の初演は、シアタートラム。『売り言葉』は、スパイラルホールで観た。
俳優としての野田秀樹を味わい尽くすには、こうした小空間がふさわしい。拡大を続けてきた野田が、いとおしむようにこの一群の作品をつくりはじめたのも、時代の趨勢だろうか。生きることではなく、死ぬことを主題とした作品群が、こうした劇場で生まれていった。
ロンドンやソウルの劇場も、こうした作品を発表するために選ばれていった。『RED DEMON』のヤングヴィックシアター、『パルガントッケビ』(赤鬼韓国ヴァージョン)の韓国文芸振興院芸術劇場小劇場、『THE BEE』 『ザ・ダイバー』のソーホー・シアターに、これらの作品を観るために飛行機に乗った。
旅はどこか解放感がある。
日頃の敷居をまたいで、毎日のように野田と会った。特にソーホー・シアターは、劇場の一階にバーとレストランが併設されており、芝居が終わると野田は若い友人たちに囲まれて飲むのを好んだ。東京では近づきがたい存在に、もはや野田秀樹はなっていた。日本やアジアの留学生に囲まれ、友人として話し込む姿を何度も見た。
ひとしきり話すと向かいのインド料理店や中華街に繰り出した。私は東京で野田と食事に行ったのは数えるほどだけれど、海外ではよく話した。舞台についてだけ話していたわけではない。他愛もないばか話もずいぶんした。野田は飲むと陽気になった。しかも、笑顔の魅力がさらに輝きを増す。才能はもとよりだけれども、この笑顔に惹きつけられて、人々は野田のもとに集まってきたのだと思った。
すでに演劇界に確固たる地位を築いたにもかかわらず、野田が偉ぶるのを見たことがない。特に若い俳優に対しては、対等に接するのを好むのを目撃してきた。劇作家・演出家ではなく、同じ舞台を踏む同僚として、若い世代とかかわろうとしている。演出家は孤独である。野田は決して巨匠にならないことで、孤立を避けているように思える。
悲しい思い出もある。
ヤングヴィックシアターの二〇○三年『RED DEMON』は、過酷で理不尽な新聞評にさらされて、不入りであった。駒場小劇場から現在まで、つねに満員の客席に向かって芝居をしてきた野田にとって、これほどの屈辱はなかったろうと思う。評論家の私が言うのはおかしいが、ザ・タイムスの評を読んで、身が震えるような恐怖を味わった。
『RED DEMON』の不評をはねかえした『THE BEE』のときは、素直にうれしかった。三年が経過していた。ソーホーシアターのロビーが、興奮した観客の熱気で沸き立つようであった。ああ、これが成功の味というものだなと思った。野田はこうした夜をたびたび味わい尽くしてきたのだなと改めて実感した。
○一年、八月納涼歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』初日。今はもうない歌舞伎座でカーテンコールが巻き起こったのも、まさしく事件であったろうと思う。
『文学界』に書いた劇評の締めくくりに、私は、
「幕が引かれても、私はしばらく動けなかった。ただ、万雷の拍手が歌舞伎座に轟くのを聞いていた」(『野田秀樹の演劇』河出書房新社 二○一四年 一五七頁)
と書いている。
装置の堀尾幸男、衣裳のひびのこづえと手を取り合うようにして喜んだ。なぜか、この日は野田と会わなかった。ふたりは初日祝いの席に行ったように記憶している。私はひとり、夜の道を帰った。劇評家であることは寂しいものだなと、その日ばかりは思わずにはいられなかった。けれど、この作品がなければ、私が歌舞伎評に手を染めることはなかったと思う。
○九年、野田秀樹は東京芸術劇場の芸術監督に就任する。その記念プログラムとして、芸術劇場の小ホールで『ザ・ダイバー』の公演が行われた。ロンドンで観た作品の日本版である。芸術監督とは、劇場のまさしく顔であろう。これまでなじみが薄かったこの劇場に、これからは通い詰めるのだなと思った。
長い旅はまだ終わっていない。

【エッセイ2】野田秀樹の軌跡2

自然に向って開かれた空間を求めて
 八五年の第二六回公演『白夜の女騎士』からは、本格的な全国ツアーを行っている。紀伊國屋ホールで幕を開け、芦屋市ルナ・ホール、名古屋市民会館中ホール、広島市東区文化センター、岡山市立市民文化ホール、福岡市立少年科学文化会館ホールをめぐり、ステージ数は、四一回、観客数は二万三七五六人を数えている。『石舞台星七変化』と名付けられる三部作のはじまりである。
 『彗星の使者』は、科学万博―つくば`85エキスポホールで上演されたのも思い出深い。ニーベルンゲンの指輪を下敷きにした神話世界は、より開放感のある空間を求めていた。
 その頂点となるのは、『白夜の女騎士』『彗星の使者』『宇宙蒸発』を一日で一挙上演した舞台であろう。
一九八六年六月、バブルは頂点に達して、時代は浮かれていた。国立代々木競技場第一体育館で行われた公演は、演劇は劇場にあるものという常識を覆して、事件としての演劇を希求していたように思う。オリンピック用に建てられた体育館で、客席との距離は遠く、音響も最悪である。このような上演形態で、作品の実質を確保できないのは、もとより承知の上だったろう。
 のちに、私は夢の遊眠社の解散にあたって、まとまったインタビューを行う機会があった。一九九二年の八月の時点で、野田はこの時期を振り返って、「つくば万博に出ようと思ったのは、芝居はもちろんお祭りの近所にいるのが正しい姿だろうし、事件にならなくちゃいけないんだというのはありました。今、マスコミとか情報誌とかの事件のつくり方というのが、事件のように見せる切り口がパターン化して、結局、事件じゃないんですよね」(前掲書 四六二頁)
 と、当時の考えを示している。

 初の海外公演を行ったのは、八七年八月、エジンバラ国際芸術祭に参加した『野獣降臨』である。出発前、言葉遊びに満ちた戯曲の言葉をいかに日本語を母国語としない海外の観客に伝えるか、野田は腐心していた。
 野田は、字幕やイヤホンガイドを取らず、DJの小林克也を起用し、舞台上手に文楽の義太夫のような役割を与えて、筋の説明を劇の一部に織り込んでいく方法を取った。めずらしく私のところに制作から連絡が入り、海外公演にそなえて劇場を借り切っての舞台稽古を行うから来てほしいとの求めがあった。通し稽古が終わって、野田、演出補の高都幸雄と私の三人で、問題点を洗い出したのを覚えている。
 私がすでに批評家になっていたこともあって、駒場小劇場からこの時点までは、ほとんど個人的な接触はなかった。
 インタビューのような公式の場で会うことはもちろん何度もあった。しかし、終演後、楽屋を訪ねた記憶がない。お互い若かったのだろう。作り手と批評家は一線を引かなければいけない意識が強かった。
 私は『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』の監修をし、野田のほとんどの作品について劇評を書いてきたけれども、夢の遊眠社およびNODA・MAPのパンフレットに原稿を書くのは、この文章がはじめてである。ずいぶん意地を張り合ったものだと思う。余談だが、NODA・MAPの制作スタッフから、私の劇評が、熱心なファンの間で「裏パンフ」と呼ばれていると聞いたことがある。これには笑った。

中座の座長部屋にて
 野田秀樹が公演を行った劇場のなかでも、特に思い出深いのは、ともに『贋作・桜の森の満開の下』を上演した京都・南座(八九年)と大阪・中座(九二年)である。
 伝統演劇の色彩と空間配置は、初期から野田秀樹の演出に影響を与えていると思うが、南座は、出雲の阿国が歌舞伎をはじめた鴨川べり近くにある歌舞伎劇場であり、中座は、長く松竹新喜劇の藤山寛美が拠点とした劇場であった。中座では、旅の気安さもあって、野田を楽屋に訪ねた。古風な芝居小屋の雰囲気を残した劇場である。もちろん座長部屋である。作品の話もひとしきり終わって雑談となった。
 「野田さん、ここって寛美さんが寝泊まりしていた座長部屋じゃありませんか?」
 「え、知らなかった。一度泊まってみようかな」
 巨額の借財に追われつつも、夜の遊びをやめなかった喜劇の巨頭の血と汗がしみついた楽屋に野田秀樹がいるのが、不思議な気がした。きょとんとした野田の表情を今でもおぼえている。
 その日、公演終了後、客席にハンドバッグが残っているが、客が見当たらないという事件が起きた。忘れ物かと思ったが、取りに来ない。奈落まで探したが、どこにもいない。怪談話である。彼女は、今も中座の跡をさまよっているのだろうか。
 劇団主催の公演ばかりではなく、東宝や銀座セゾン劇場主催の公演に主に劇作家・演出家として進出していったのも、この時期の特徴であろう。
 八六年『野田秀樹の十二夜』(日生劇場)、八九年『野田版・国性爺合戦』(銀座セゾン劇場)、九○年『野田秀樹のから騒ぎ』(日生劇場)、九二年『野田秀樹の真夏の夜の夢』(日生劇場)である。
 銀座セゾン劇場は中劇場の範疇にあると思うが、日生劇場のような商業演劇の大劇場に、演出家として招かれた野田を見るのは、こころのすみにどこか引っかかりがあった。
 シェイクスピアや近松門左衛門の翻案に異議があったわけではない。むしろ作品は、単なる翻案にとどまらず、野田独自の奇想にあふれたオリジナルにちかいものであった。スケールの大きな舞台で、潤沢な予算のもとに、自在に演出する野田を見るのは新鮮な体験だった。
 九二年の『野田秀樹の真夏の夜の夢』のときだったと思うが、どういう風の吹き回しか、東宝の制作に楽屋に案内された。終演後ではない。幕間である。大竹しのぶらのメインキャストたちと、幕間に談笑する姿を見て、いけないものを見てしまったような気がした。私も狭量だったと思うが、野田がどこか華やかな世界に連れ去られていった寂しさがあったのだと思う。
 もちろんこれは裏話に過ぎない。
 こうした商業演劇の世界で野田は、才質にめぐまれた俳優が、野田が独自に編み出した演技術に、正面から取り組んでくれるよろこびを味わったのだと思う。劇団のメンバーが野田の演技術をまねてくれるのは、その成り立ちからして自然である。大竹しのぶはじめ、毬谷友子、唐沢寿明、堤真一、橋爪功らの才能が、野田の才能に惚れ込み、自らの演技スタイルに固執せず、野田の演出に身をゆだねているのがわかった。
 もとより、野田秀樹の演劇界での商業的な成功は、頂点に達しつつあった。九○年の『半神』は、シアターアプルで幕を開けて、全国を巡演したが、ステージ数は六十九。観客動員は六万人を超えた。『三代目、りちゃあど』では、東京グローブ座を公演場所に選んだ。どこの劇場の制作も野田と仕事をするのを望んでいたであろう。芸術性と大衆性の綱渡りのできる劇作家・演出家は、もとより少数である。演劇界のエースをどの劇場が獲得するかが話題となっていたのである。

すべての集団には終わりがある。
  九二年の九月、『ゼンダ城の虜』をシアターアプルで上演して、夢の遊眠社は解散した。歌舞伎町の深部にあるこの劇場は、どこか陰気で、ここで解散公演かと溜息をついた。このときも、ゲネプロに呼ばれたのをおぼえている。長年、ともに走ってきた評論家への配慮だったのだろうか。久しぶりに芯となる主役を務めた野田が、場面を終えると舞台から降りて、廊下にそなえつけたモニターへと走り、自分の演技をチェックしていた。暗い廊下が悲しげに思えた。
 解散の理由については、先のインタビューで野田は以下のように答えている。
 「今稽古していて、まだ二日か三日ですけれど、やっぱりいいですよね。集団としてはいい劇団だったなと思うし、ちょっとよぎりますよね。おれ、なんでこんなところを解散しようとしているのかって(笑)。でも、解散すると言ったから、つくづくいい劇団なんだなと今稽古しながら思うんだけど、解散していなければ、今この稽古場にいて、やっぱりずっと何かひっかかりがあったと思うんですよ。本当にこれを繰り返していて自分は満足するんだろうかというのが絶対ある。今解散して、つまり今死ぬと明言したから、すごく生きているんだと思うんですよ。そういうことって、すごく集団には必要なことだと思うんですよね」(前掲書 四六四頁)

2015年2月16日月曜日

【エッセイ1】野田秀樹の軌跡1

今回『野田秀樹の演劇』(河出書房新社)を刊行するにあたって、これまでに野田秀樹について書いた原稿を改めて読み直した。
なかでもNODAMAPの依頼を受けて『パイパー』のパンフレットに書いた「野田秀樹の軌跡」は、長文であり、収録を最後までためらった。
夢の遊眠社時代の駒場小劇場から、野田が芸術監督を務める東京芸術劇場までを思い出している。
内容的には、野田秀樹と私とのかかわりを、劇場を縦軸としてエッセイとして綴った原稿である。
評論集に収録するには、私自身の心情をあけすけに語っている。最終的には収録をあきらめた。

パンフレットの性格上、あとから入手するのはむずかしくなるので、3回に分けて、ここにアップロードしておこうと思う。
どうぞ楽しんでお読み下さい。


思えば長い旅を続けてきた。
一九七六年、夢の遊眠社結成から、現在まで。三十五年あまりの歳月が過ぎ去っている。
演劇人にとって、劇場は仮寝の宿である。仕込みをし、舞台稽古を行い、公演の初日が開き、千龝楽を終え、バラしを行って、その場から去っていく。ひとところにとどまることはない。

自由でダイナミックな駒場小劇場

七六年五月の旗揚げ公演は、『咲かぬ咲かんの桜吹雪は咲き行くほどに咲き立ちて明け暮れないの物語』だった。
駒場小劇場の公演である。小劇場の舞台幅は、およそ十二メートルを超えていただろうか。学生食堂を改造したこの劇場は、八メートル近い高さを持ち、いわゆる小劇場の規模を超えていた。照明機材を吊るために舞台の上手下手に鉄骨が組んであったが、舞台も客席も固定されておらず、作品によって自由に舞台空間を作り変えることができた。
東京大学駒場キャンパスの施設であったために、大学に在籍する学生による申請が必要だったが、長期にわたって借りることが出来、本番を行う舞台で、稽古を行える利点があった。もちろん野田秀樹率いる夢の遊眠社の独占ではなく、今は亡き如月小春が主宰する劇団綺畸なども後年、公演を行うことになる。
当時、六本木にあった自由劇場の狭隘な空間と比較してみても、駒場小劇場がいかに恵まれた空間であったことか。この特異な空間がなければ、ダイナミックな野田秀樹の空間造形は、生まれなかったのではないかと思う。
舞台空間だけではない。立地もまた素晴らしかった。
駒場東大前駅からキャンパスを進んでいくと、鬱蒼たる森に入る。学生寮が隣接していたが、都会の中にひっそりとした自然が残り、開演前に散歩していると、大きながまがえるに出くわすような環境であった。今回、久しぶりにそのあたりを訪ねてみたが、もはや跡形もない。浅茅が宿は、再び訪ねようとしても、辿りつけないものなのだろう。
私がはじめて夢の遊眠社の舞台を観たのは、一九八○年の三月に行われた『二万七千光年の旅』からである。
それに先立つ二月、ある女性誌の取材で、野田秀樹を駒場小劇場に訪ねた。稽古を観て、まったく新しい演技体が誕生したことに驚いた。いっときもひとところにとどまらずに、跳躍と疾走を繰り返していく。野田戯曲には詩的な台詞が散りばめられているが、そのリリカルな言葉を身体が解説するのではなく、センチメンタリズムの罠にはまることを怖れるかのように、身体は走り続けていたのである。
稽古が一段落して、インタビューとなった。キャンパスを出て、野田がいきつけにしていたぐりむ館という喫茶店に出かけた。この公演についての取材であったが、野田が繰り返し、自分が天才であると主張していたのを懐かしく思い出す。
私は稽古を観ただけで、まだ舞台に接してはいなかったから、安易に野田の主張に同意する訳にはいかなかったが、素顔であってもカリスマ特有のオーラを発していた。かつて無名時代の蜷川幸雄は、自宅の表札に「天才蜷川」と掲げていたというが、特異な存在であることを露悪的なまでに主張し、自らを鼓舞する時期だったのかもしれないと今になって思い返す。
それから一九八二年十月の第十九回公演まで、六年半の間、この劇場に通い続けた。『赤穂浪士』『少年狩り』『走れメルス』『野獣降臨』『ゼンダ城の虜―苔むす僕らが嬰児の夜』と初期の代表作は、すべてこの駒場小劇場で上演され、作品のレベルは着実に上がり、天才誕生の名声は、つとに高く、もはや自ら主張する必要もなくなっていった。
どの公演だったか忘れてしまったが、稽古を観るために駒場を訪れた際、当時の制作者がひとりで公演ポスターを貼っていた。時間があったので、手伝って構内にポスターを貼って回ったこともあった。
野田とはそのインタビュー以来、格別親しく話す機会はなかったけれども、彼が生み出す舞台に熱狂していたのか、サポーターのつもりでいたのだろうと思う。私はまだ、演劇評論を書き出してはいなかった。
大きな転機となったのは、八一年の『ゼンダ城の虜』の赤頭巾役に、当時人気絶頂であったアイドルグループ、キャンディーズの伊藤蘭が客演した舞台だろう。
七五年に沢田研二が唐十郎作、蜷川幸雄演出の『唐版・滝の白糸』に出演したことがあったが、当時、テレビの人気者が小劇場に出演するのは一般的ではなかった。伊藤蘭の華が、駒場小劇場にこぼれた。すでに翌年の紀伊國屋ホールでの『怪盗乱魔』への出演も決まっていたのだろうと思う。

劇場とは、人と人とが交差して別れていく辻
夢の遊眠社は、揺籃の時代を終え、学生劇団からの脱皮を模索していた。八二年以降、紀伊國屋ホールと本多劇場を拠点として、公演を繰り返していく時代へと移る。
この時期の傑作はなんといっても、八三年、本多劇場で初演された『小指の思い出』だろう。再演の舞台ではあるが、ソニーミュージックエンターテインメントからDVDが発売されているので、今でも追体験できる。
下北沢にある本多劇場は、三八六席の客席を持ち、八二年に開場したばかりであった。真新しい劇場空間が、渋谷の場外馬券場から、中世のニュールンベルグの冬へと転位していく。少年たちが寝ていたはずのふとんが、いつのまにか空を飛ぶ凧へと変わっていく。鮮やかな演出に見惚れた。
野田は八三年九月二十二日の日記にこう記している。十五日の初日から八日目。
「ゼンダ城と優劣つけ難し という一般的な声 並びに、観客との一帯感の復活のキザシ 駒場の劇場から離れて、漸く、一帯感のトレル空間を持つことができそうだ。それにしても、一月の紀伊國屋公演は、そこんところたいへんだ」(『定本・野田秀樹と夢の遊眠社』一九九三年 河出書房新社 一五六頁)
駒場小劇場は、異界にある劇場であった。観客も劇場に入る前に、参入の儀式に参加する空気があった。
それに対して、紀伊國屋ホールも本多劇場も、夢の遊眠社が終われば、新劇などの公演が待っている街中の小屋である。野田が、現実との折り合いを模索していたとわかる。
新宿にしろ下北沢にしろ、人が集まる盛り場には独特の魅力がある。人間と人間が交差して別れていく辻とは、劇場のことではなかったか。当時の作風に見合ったキャパシティの劇場で観る夢の遊眠社の舞台は、至福の瞬間をかいま見せてくれた。
『小指の思い出』で、野田は女装して粕羽聖子役を演じた。その直後だったか、池袋の西武百貨店内で、岸田今日子との対談が行われた。スタジオ200の主催だったと思う。喫茶店のようなスペースに野田は、粕羽聖子の役衣裳で現れた。女装する怪人であった。私はどぎもを抜かれた。演じることの毒が、野田という人間にどのように作用しているのか。考え込まされたのをおぼえている。

2015年2月12日木曜日

【閑話休題1】一ヶ月のご報告とお礼

1月11日に慌ただしく出航したブログ「長谷部浩の劇評」も、一ヶ月を経過した。これまでに現代演劇、歌舞伎とりまぜて七本の劇評をアップロードした。今日の時点でページビューは2800余り。さしたる宣伝もしないのに、こうして読者がいるのを確認できてうれしく思います。

こうした劇評サイトを改めて始めようと思ったのは、今回,「菊之助の礼儀」と「野田秀樹の演劇」二冊の本を上梓してみて、以前、岩波書店から三津五郎さんと「歌舞伎の愉しみ」「踊りの愉しみ」を出版した時期と比べても、情報の流通があきらかに変わってきたと実感したからです。
なかでも市川左團次さんの人気ブログに「菊之助の礼儀」が取り上げられたとたんに、Amazonのランキングが急進して、古典芸能のカテゴリーで一位となった速度感はすさまじいものでした。また、同じブログで左團次さんの奥様がまた書いて下さったときも、一位となる現象が再現されました。

「今、どんな本がおもしろいか」といった情報は、インターネット、しかもコンピュータよりはスマホで主に流通しているようです。だとすれば、「今、どんな舞台がおもしろいか」も、ネットでの情報流通が主軸となっているのも当たり前のことでした。

紙の単行本を主な表現手段としていく方針は変わりませんが、ネットもまた重要な発表の場と思うようになりました。
これからも、できるだけ充実した劇評を発信していきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2015年2月10日火曜日

【劇評7】若武者と公達 吉右衛門、菊之助の「陣門・組打」

【歌舞伎劇評】平成二十七年二月 歌舞伎座夜の部 

「熊谷陣屋ほどではないが、『一谷嫩軍記』の「陣門・組打」もたびたび上演され、哀切きわまりない物語が胸を打つ。
今回は、吉右衛門の熊谷。菊之助の小次郎、敦盛。芝雀の玉織姫とまたとない顔が揃った。まずは「陣門」。先陣の功名を立てようとする颯爽たる若武者を菊之助が勤める。花道からの出がよく、怖れを知らずに戦場に向かっていく若者のはやる気持ちがよく伝わってきた。引き止める平山武者は、吉之助。
小次郎が陣門の内へと向かうと、息子の身を案じて熊谷が出る。吉右衛門の熊谷はすでに定評があり、今更、賞賛を重ねるのも気が引けるくらいだが、今回の「陣門」では、小次郎とは対照的に、戦場の血しぶきをさんざん浴びてきた武者の貫禄にあふれる。熊谷が傷を負った小次郎を助け出す。さきほどの颯爽たる若者が、手傷を負って痛ましいが、その後、緋縅の甲冑が眩しいほどの敦盛となって出る。
いずれも菊之助だが、小次郎が若武者なら、敦盛は公達。そなわった品位が舞台を圧する。「熊谷陣屋」で明らかになるのだが、この敦盛は実は小次郎で、身代わりとなる企みを持っている。こののちの「組打」でも、敦盛として小次郎は熊谷に打たれるのだが、菊之助の「敦盛」は決して肚を割らない。あくまで敦盛の品位を保ったまま、父に討たれていく。いや、父にではない。敵の武将に討たれていく性根を崩さない。
「組打」では、菊之助がすっくと立ち上がる件りがいい。気品をもって怖れなどみじんもなく立ち上がる。身につけた鎧の裾を吉右衛門の熊谷が払う。このなにげない所作にふたりの心がありありと観客席に届く。
また、〽振り上げながら」では、熊谷が断腸の思いで「敦盛」を討つが、俗世への未練を断ち切った「敦盛」の魂が冴え渡る。そして、生首を掲げて熊谷が決まるときの力感。張り裂けんばかりの胸の内が舞台を圧した。芝雀の玉織姫が切ない思慕がしみわたらせる芝居で場を盛り上げた。前月『伊賀越道中双六』で吉右衛門と菊之助が本格的に一座した。吉右衛門の四女を娶ったことで、今月のような平成歌舞伎の精華を観ることができた。その幸福を感じる。
続く『神田祭』は、菊五郎の鳶頭を中心に、時蔵、芝雀、高麗蔵、梅枝、児太郎とあでやかな芸者衆が居並び、明るい踊りを見せる。時蔵、芝雀に仇な芸者の風情がある。
『水天宮利並深川』は、通称「筆幸」の一幕二場。河竹黙阿弥の散切物だが、明治に零落した武士階級の辛さを描く。黙阿弥の筆によるのだから、もとより社会問題の告発ではなく、風俗をありのままに写した芝居として演じるべきだろう。
今回筆屋幸兵衛を演じる幸四郎は、平成二十三年三月、新橋演舞場での上演とは性根を一変させた。貧苦と借金取りの責め苦にあい、狂っていく過程をリアルに見せるよりは、長屋に暮らす一家の心の通い合いを打ち出している。箒を長刀に見立てて『船弁慶』の振りをなぞる件りなど、深刻さよりは滑稽味を強調して、風俗劇に徹している。
金貸しの彦三郎、代言人の権十郎が金がすべての世の中を生き延びる男を好演。幸兵衛の娘、お雪の児太郎、お霜の金太郎が観客の泪を誘う。今月の児太郎は、着実に役を勤めて成果をあげた。由次郎の大家もほどがいい。清元社中の余所事浄瑠璃も効いている。萩原妻おむらの魁春に品格があった。二十六日まで。 

2015年2月8日日曜日

【劇評6】歴史は繰り返す 『エッグ』(作・演出 野田秀樹)

【現代演劇劇評】二〇一五年二月 東京芸術劇場

二年の月日を隔てて再演された『エッグ』(野田秀樹作・演出)が、初演を遙かに上回る出来で驚いた。戯曲のバックグラウンドについては、拙著『野田秀樹の演劇』(河出書房新社)収録の「昭和史のバトンリレー」と題した劇評に書いた。阿部比羅夫(妻夫木聡)、粒来幸吉(仲村トオル)、苺イチエ(深津絵里)など役名の由来。一九四○年に東京で開催される予定だった東京オリンピックとその公式競技について。満州国にあった第七三一部隊と細菌兵器などについてである。
また、その劇評のなかで
「劇の幕切れ、苺は車椅子を押している。爆音とともに阿部は立ち上がる。
「『満州には、余りにもたくさんの絶望がある。だから満州の夕日はあんなにも赤く大きい……無念です。無念です。無念です。けれども、人が絶望の淵で、全身全霊を込めて、未来に賭けた思いは、ぺらぺらと歴史のマルタにはりつく。そして、俺は多分……もうじき目を閉じる』
阿部の長台詞は、この『エッグ』が野田秀樹にとって昭和史を後世へとリレーしていくためのバトンに相当するのだとわかる。平成の今から振り返れば、満州国も遠い霧の向こうにある。忘れ去れさられていく歴史を次の世代へと残していきたい。そんな強い意志が伝わってきた。この舞台が3.11を経験してはじめての新作であることも意味を持った」
と、私は記している。
今回の再演の舞台で思い直した。この劇は、満州国にあった第七三一部隊の犯罪を糾弾するために書かれたのではない。むしろ、スポーツと音楽がつねに権力によって利用されてきたこと。そして、満州国のような大きな虚構が崩れるときには、その犠牲となった難民が長い旅を強いられること。その「無念」が胸に迫ったのである。
満州国から日本へと帰国する人々の列に野田は、その後の人生がどうであったかをナレーションのようにかぶせている。あえていえば、その列が、原発事故と津波を受けて、福島から逃れざるをえなかった人々のように私には思えてならなかった。古今東西を問わず、戦争は難民をつくりだす。戦争とは無縁でいるかに見えたこの日本にも難民がまたしても作り出されたではないかと語りかけているように思えてならなかった。
こうした社会的、政治的な意味ばかりではない。キャストの成長によって、男女間の関係もあざやかに浮かび上がった。妻夫木聡の阿部比羅夫の陽気さのなかに翳りが感じられるようになった。深津絵里の苺イチエにファンキーなだけではない屈折が読み取れるようになった。そのためにこの不仲に見える夫婦が、実は愛憎という深い絆で結ばれているように思えたのである。
愛して、そして憎む。男と女のさまざまな衝突。それは苺イチエの父母にあたる消田監督(橋爪功)とオーナー(秋山菜津子)の間にもあって、またしても阿部とイチエによって繰り返されたのではないかと思えてくる。
歴史は繰り返す。人間もまた繰り返す。この残酷な事実が、いかに美しい夕日のもとにあばかれたかを、この劇から読み取ったのである。

【劇評5】大切な時間 幸四郎と菊之助

【歌舞伎劇評】平成二十七年二月 歌舞伎座 昼の部

二月、八月の興行は観客動員がむずかしいと、昔からいいならわされている。それだけに今月の歌舞伎座は、興味深い演目と顔合わせの番組で、智恵を絞ったと思われる。その結果、実質のある舞台となった。
昼の部は『吉例寿曽我』から。「鶴ヶ岡石段の場」で幕を開ける。又五郎の近江小藤太成家と錦之助の八幡三郎行氏が藤原定家卿の一巻を奪い合う。こうした場面にこそ、歌舞伎の骨法とは何かが問われる。当たり前のことを、当たり前に演じることの大切さを思う。重厚な又五郎とすっきりとした錦之助が好一対となった。
屋根がぐるっと回転する「がんどう返し」は、役者の踏ん張りどころだ。装置のスペクタクルに負けない肉体の緊張が求められるが、ふたりはその重圧によく応えている。
続いて「大磯曲輪外の場」。曽我狂言おなじみの役柄が揃う。歌六の工藤祐経、歌昇の曽我五郎、萬太郎の曽我十郎、巳之助の朝比奈、国生の秦野四郎国郷、橘三郎の茶道珍齊、児太郎の喜瀬川、梅枝の化粧坂少将、芝雀の大磯の虎。歌六と芝雀が図抜けているのは勿論だが、朝幕とはいえ、若年揃いのこの配役では舞台面が持たない。五郎には荒事の大きさが必要だし、十郎には和事の柔らかさが求められるが、まだまだ歌舞伎座に期待される水準には達していない。梅枝、児太郎が健闘しているが、若女方のアドバンテージというべきだろう。こうした配役で曽我物を開け、若手の奮起を期待しなければいけないところに、現在の歌舞伎界の苦渋が集約されている。
続く『毛谷村』は、菊五郎初役の六助がすぐれている。母への孝行のために剣術師範になりたい。そのために勝ちをゆずってくれという微塵弾正(團蔵)の頼みを引き受ける。そのうえ、山賊に殺された老人から託された幼子の弥三松を、太鼓であやす。まさしく絵に描いたような善人である。菊五郎の手にかかると、六助の純朴さがなんの衒いもなく舞台上にある。芝居をうまくやろうとする野心が出たとたんに、六助役は見るに堪えないものになる例をこれまで観てきたが、菊五郎はいかにも自然体でこの役になりきっている。そればかりではない。弾正に騙されたと気づいたときの胆力、その充実が観客によく伝わってきた。まさしく剣豪の気迫であった。
加えて六助の許婚のお園を演じる時蔵がいい。さらっとした芸風が生きている。男の虚無僧の姿で「女武道」として登場してから、許婚と知ってからの身体の変わり目が巧い。
六助とお園が、亡父の敵討ちをめぐって哀しむところに、東蔵のお幸が上手の一間から現れる。踏みしめるような台詞回しで、竹本の糸に乗る。確かな地芸が舞台を支える。
左團次の杣の斧右衛門は、仲間うちたちと死体を運び込む役柄で、さしたるしどころがない役である。弾正の企みをあばくきっかけとなる件りだが、老女が殺された陰惨さがみじんもない。それは左團次に俳味といいたくなるような独特のフラがあるからだ。この役者の力の抜け具合が鮮やかな一筆書きのように見える。化粧もあえて老けに描きこまない。それにもかかわらず観客をなごませる。
菊五郎劇団のアンサンブルのよさが丸本物でも発揮され、群を抜くおもしろさであった。
さて、昼の部の切りは、幸四郎の関守関兵衛実は大伴黒主、菊之助の小町姫、傾城墨染実は小町桜の精、錦之助の宗貞とこれまでにない顔合わせで、常磐津の大曲『積恋雪関扉』が出たことを喜ぶ。
幸四郎がさすがの大きさで〽一杯機嫌で関守は」の件りでみせる酔いにおおらかさを見せる。また、大盃に星影を見てからの異変を巧く運んでいる。衣装をぶっかえて黒主になってから一気に古怪な味を出して舞台を制圧する。
それに対して菊之助は、踊りの巧さが光っている。所作の正確さ、下半身の安定、きまったときの型の美しさ。いずれも現在の女形舞踊を牽引するだけの実力が備わっている。もとより小町では冴え渡る美貌を見せ、墨染となってからも、全盛の傾城はかくあろうと思わせる。ただし、小町桜の精となってからは、異界の存在が出現したことの怖ろしさを顕してもらいたい。幸四郎の黒主に古怪をもって拮抗する課題があり、この一月の成長が楽しみだ。幸四郎、菊之助がこの大曲で同じ舞台に乗ることの意味、その大切な時間を見届けたい。二十六日まで。

2015年1月25日日曜日

【劇評4】長屋の二階のフォーティンブラス 『ハムレット』蜷川演出の深意

 【現代演劇劇評】一九七八年に日生劇場で『ハムレット』(シェイクスピア作)を初演出してから三十六年あまりが過ぎた。このときハムレットを演じた平幹二朗が今回はクローディアスに回り、ガートルードには鳳蘭を迎えた。こうした難かしい役に輝かしい主役を演じてきた平、鳳を配したために、二〇一五年のハムレットは世代間の対立を鮮明に打ち出す演出となった。
ハムレットを演じるのは藤原竜也、オフーェーリアは満島ひかり、レアーティーズは満島真之介と現在、最高水準の配役だろう。なかでも藤原竜也は青年の性急さよりは、激情と思慮のただなかで煩悶する三十歳を演じている。学者として、武人として、そして王子として世界の全体を引き受け、解釈しようとする個人のまっとうなありようが伝わってきた。
先王を殺した弟クローディアスは王位を簒奪し、王妃ガードルードと結ばれている。その腐臭に満ちた関係を描き出すために、蜷川演出は年かさの俳優の肉体をあえてさらけ出してみせる。上演中のために詳しくは書かないが、年齢のために避けられない肉体の衰えを隠すことを許さない。権力や色欲が醜いのではない。衰えた肉体にこそその醜さがふさわしいのだと語りかけているかのようだ。
それに対して、藤原の引き締まった肉体とほとばしる汗はひたすらな生を感じさせ美しい。また、痩身にして柳のような満島ひかりの輝かしさ、そして満島真之介の鋼のような肉体には純情と意志が宿っている。
成熟した青年と落日の老年が、決して混じり合わない絶望的な日々をともにするとき、悲劇が起きるのだった。
今回の上演では、樋口一葉原作、蜷川演出の『にごり江』などで使われた長屋のセットが舞台一杯にしつらえられている。思えば、菊坂下の一葉は明治を絶望的に生きた。明治期にハムレットがはじめて上演されたときの稽古という設定だが、ここではメタシアターの意味はさほど強調されない。むしろ、性急な近代化、西欧化のひずみのなかで、明治から平成へとひた走ってきた日本の醜く、老いさらばえた姿がこの朝倉摂による装置と重なり合う。もはや日本そのものが活力を失い、ぼろぼろになってようやく立っているとこの作品全体が告げている。
このデンマーク王国=日本の頽廃を打ち破ろうとして立ち現れるのは、内田健司が演じるフォーテンブラスであった。ハムレットの遺言によってこの国の指揮をとるのは、半裸体の細く針金のような身体であった。
蜷川幸雄演出の『ハムレット』の演出は初演の階段状の装置で知られ、幕切れ階段をよじのぼろうとする廷臣達を描き出してきた。権力構造を鮮やかに示した演出だが、二○一二年のさいたまネクストシアターによる『ハムレット』では、ガラス張りの床を作り、こうした上方への一方的な権力構造を破壊して見せた。今回の演出ではフォーテンブラスを上方には置くが、あまりにも危うい木造の長屋の二階にすぎない。そのガラス戸のなかで、最速のインターネット環境で世界とつながっている内向的な青年の姿が浮かび上がってきた。彼らが世界を変えるのか。変えるとすれば、それは肉体の暴力ではなく、情報戦のかたちをとるのだろうか。示唆に富んだ幕切れは、おそらくだれも予想できなかったろう。河合祥一郎訳。

2015年1月12日月曜日

【劇評3】 八犬伝の季節 平成二十七年一月 国立劇場

【歌舞伎劇評】平成二十七年一月 国立劇場

恒例の菊五郎劇団による正月興行である。
菊五郞のお正月は肩の凝らない狂言をという方針があって、国立劇場では古典の通しではなく、復活狂言に名をかりた創作を試みてきた。近年では『二蓋柳生実記』(平成十五年十二月)、『噂音菊柳澤騒動』(平成十六年十一月)、『曽我梅菊念力弦』(平成十八年一月)、『梅初春五十三驛』(平成十九年一月)『小町村芝居正月』(平成二十年一月)、『遠山桜天保日記』(平成二十一年十二月)、『旭輝黄金鯱』(平成二十二年一月)、『開幕鷺奇復讐譚』(平成二十三年十月)『夢市男達競』(平成二十五年一月)、『三千両初春駒曳』(平成二十六年一月)と続く。

当然のことながら、長らく上演されなかった演目には、なんらかの傷がある。複雑すぎる筋立て、今となっては趣向倒れとしか思えぬひねり。国立劇場の文芸課が中心になって、菊五郞の監修のもとに案を練ってきたが、『旭輝黄金鯱』あたりからいかにも苦しく、この路線が限界に来ているのは明らかだった。

こうした菊五郎劇団と国立劇場の歩みを受けて、今年の正月は『南総里見八犬伝』が通しで出た。この作品は、平成二十三年御園座、平成二十四年浅草公会堂、平成二十五年松竹座の上演例があり、それほどめずらしいものではない。滝沢馬琴作、渥美清太郎脚色とクレジットにあるように、昭和二十二年九月帝国劇場で上演されたときの渥美本が底本となっている。
今回の上演では、それぞれの場面に季節感を濃厚に盛り込んだのが特色となる。正月だからといって冬の情景にこだわるのではなく、各場面の変わり目を強調するために、春夏秋冬を通し狂言でたどる。

「蟇六内」を正月、「円塚山」を雪のなかで描き、「成氏館」「芳流閣」を春に、新たな創作といえる「古奈屋」を夏として、「対牛楼」は秋の紅葉、「白井城下」は春の桜という趣向である。
濃厚なドラマは不在である。八犬士の誕生と離散、そして再会。御家再興のための奮闘を描くシンプルきわまりないスペクタクルだが、季節を盛り込んだことで単調な立廻りの連続から逃れた。

菊之助の信乃を芯として、松緑の現八と小文吾の亀三郎。三者三様の個性が際立つ。
菊之助は国立劇場昨年十二月の『伊賀道中双六』の志津馬に続いて、水もしたたるような二枚目ぶりである。
立廻りでも踊りで鍛え抜いた身体が生きて、揺るぎない。
馬琴の読本が原作の芝居、スペクタクルを成り立たせる役者の身体にキレがあればよいではないかといわれれば、返す言葉もない。

ただし、スペクタクルといっても、役者の工夫によって、その場その場の芝居を作り込んでいく意志は大切である。

たとえば「蟇六内」のなかばで、蟇六(團蔵)夫婦に養われた信乃(菊之助)は、御家再興の志を胸に出立する場面がある。信乃を慕う浜路(梅枝)と志をひとつにする犬川荘助(亀寿)に見送られて蟇六の家を去る。ここにはらりと雪が降りかかる。「円塚山」の雪を予感させるほのかな雪の別れだが、突然の雪を受けての芝居が考えられていない。この別れの場面にこなしと思い入れが不十分なために、ひとときとはいえ悲しい別れが芝居になっていない。気、右之助、亀寿ばかりではない。梅枝の進境が著しいのは衆目の一致するところだが、まだまだ、工夫の余地がある。私が観たのは初日からまもない六日だったので、すでにこの場面は練り上げられていると思うが、定まった型のないこうした『南総里見八犬伝』のような芝居では、それぞれの役者が気を入れて場面を創り上げる意志がなければ、単なる段取りに流れてしまう。こうした細部に芝居の命が宿っているのを忘れてはならない。

また、今回創作された「古奈屋裏手の場」だた、菊之助の信乃は、場の頭から武張った様子が強すぎる。「芳流閣」の大胆な立廻りから川に落ち、行徳の片田舎で病をいやしている世話場なのだから、この場の前半は、よりやつれを強調して、流浪の身を浮かび上がらせたい。後半、現八(松緑)が登場して「芳流閣」で争ったふたりが協力を誓い合ってから、武士の様子を強く打ち出したい。

今回の上演では、菊五郞、左團次、時蔵が上置きのような位置づけで、世代交代を行った。松緑、菊之助とともに、亀三郎、亀寿、梅枝、(尾上)右近、萬太郎らが活躍している。特に小文吾の亀三郎は、「対牛楼」で磔りつけになるなど見せ場も多い。先行する亀三郎、亀寿世代の集中と精進があってこそ、複数の主人公が舞台上を駆け回る通し狂言が盛り上がる。より奮起を期待したいと思う。二十七日まで。

2015年1月11日日曜日

【劇評2】  舞台上にあること 平成二十七年一月 歌舞伎座夜の部

【歌舞伎劇評】 平成二十七年一月 歌舞伎座夜の部

吉右衛門の青山播磨による『番町皿屋敷』は、昨年の公文協中央コースで出た芝居である。

前半のみどころは芝雀のお菊が、恋仲にある播磨に縁談が起こったことを嫉妬して、あえて皿を割る件にある。芝雀は焦れたり、怒ったり、拗ねたりするこの役の揺れ動く心情を明解に描写していく。いったん皿を箱にしまってから紐を掛け、立ち上がってから気持ちを変えてふたたび皿を取り出し「えゝ、もういっそのこと」と柱に打ちつけて割ってしまう。
段取りに終わらず、衝動にまかせて割ったものの取り返しのつかないことをしでかしてしまった動揺までもがありありと映し出された。

吉右衛門の播磨は颯爽たる若武者である。
愛するお菊の気持ちの上での裏切りを許せない。まずは粗相であれば許すとする懐の深さを軽みのある芝居でみせる。橘三郎の十太夫に報告を受けて、お菊が播磨の本心を試すために皿を割ったとわかってからの炸裂する怒りの切っ先の鋭さ。いずれも若い世代ならではの純粋さがこもっていて説得力がある。「疑われた播磨の無念は晴れぬ」と言い切ってお菊を手に掛けるのも情にからまず、きっぱりとしている。町奴との諍いに鎗を取って駆けだしていく姿に匂い立つような色気があった。

一座総出演の『女暫』。玉三郎の巴御前、歌六の蒲冠者範頼、又五郎の鯰がいいのはもちろんだが、注目すべきは七之助の女鯰でなんともほどがよく、しかも舞台をきっちりと詰めている。こうした役はしどころを勤めるだけではなく、舞台上のありかたに要諦があるが、七之助が「演じる」のではなく「舞台にいる」ことの大切さをよく理解しているのがわかった。曽我物の大磯の虎を大一座で観てみたいと思う。

夜の部の切り狂言は、猿之助による『黒塚』。歌舞伎座開場以来はじめての出勤だが、そのこと自体をあげつらうのは意味がない。襲名以来、座頭としての風格を備えてきた猿之助の舞踊を楽しみたい。  

結論から言えば、技巧を駆使し、きっちりと踊っているのはいいが、いかにも小さくまとまり過ぎている。この老女岩手実は安達原の鬼女は、あくまで超自然的な存在として舞台上にありたい。強力はもとより山伏、阿闇梨らも所詮は人間界に属する。俗な人間にすぎない。彼らがもつ常識をあざわらうかのように、人間をくらいつくす怪異を観たい。猿之助の鬼女は、巧くおどるがゆえに、等身大の役者が見え隠れしてしまっている。舞台上で怪異であることのむずかしさについて考えさせられた。二十六日まで。

【劇評1】 人間の暗部 平成二十七年一月 歌舞伎座昼の部

【歌舞伎劇評】 平成二十七年一月 歌舞伎座昼の部

新春の『壽初春大歌舞伎』は、おめでたい気分とは裏腹に人間の暗部を描いた狂言が並ぶ。

夜の部は『金閣寺』から。染五郎の松永大膳、勘九郎の此下東吉後に久吉、そして七之助の雪姫の顔合わせだが、新しい世代の台頭を感じさせる一幕となった。

染五郎は松永大膳の「国崩し」としての格をそなえる。本来の仁はこの役に必ずしも合っていない。それにもかかわらず荒れ狂う狂気さえ感じさせるのは、昨年『勧進帳』の弁慶をこの歌舞伎座で一月勤めた自信がもたらしたものか。
勘九郎の東吉がまた颯爽たる捌き役を水際だった口跡で見せる。才に走らず、胆力を見せる芝居で父勘三郞の藝域をさらに広げるのではないかと期待される。「碁立」での大膳、東吉ふたりのやりとりに、戦国武将がかかえこんだ野性が感じられた。   
そして、七之助の雪姫だが、容姿はもとより端麗。加えて夫のために身を捨てる葛藤がこもり、櫻の大木に縛られてからの「爪先鼠」にも哀れがこもる。

三者三様。時代物狂言もこうした新しい顔ぶれによって継承され、次第に深められていくのだろう。

玉三郎による『蜘の拍子舞』。勘九郎の渡辺の綱、弘太郎の碓井貞光、七之助の源頼光、染五郎の坂田金時と颯爽たる役者を率いて、玉三郎の蜘蛛の精が舞台を圧する。葛城山の女郎蜘蛛、奥深い自然のなかに生きる生命体。得体の知れない存在の不思議が迫ってくる。  
ただし、この舞踊劇自体に展開が乏しいために、いささか冗長。今の玉三郎ならば、新たにこの舞踊を再構成してより短く、効果的な演出をほどこしてもいいのではないか。

昼の部の切りは、『一本刀土俵入』である。長谷川伸の作だが、前半、うぶで純真な取的と後半凄みのある渡世人となってからの変わり目が見物だろう。幸四郎の駒形茂兵衛は、もとより後半にすぐれる。長い旅のなかで神経を研ぎすまして生きている男の寂寥が漂う。魁春のお蔦もはやり後半にすぐれる。出奔した夫をいつまでも慕い続ける純情、娘をいたわる気持ちが取手宿場はずれのあばらやにほっと灯りが点るようだ。

由次郎は近年ユニークな味をみせているが、船戸の弥八となっては重荷。芝居をうまく運ばないと作品全体がだれてしまう。

幸四郎はこの人情噺を人間の暗部に迫る劇として再解釈している。私はこうした解釈もあっていいと思う。二十六日まで。