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2015年5月7日木曜日

【劇評17】舞台面の大きな『め組の喧嘩』

 歌舞伎劇評 平成二十七年五月 歌舞伎座夜の部

歌舞伎座夜の部は、黙阿弥の『慶安太平記 丸橋忠弥』から、『蘭平物狂』と同様、第二幕第二場の「裏手捕物の場」での壮大な立廻りが眼目の芝居である。
第一幕の丸橋忠弥(松緑)は出から酔態を見せる。妻おせつの父、弓師藤四郎(團蔵)が貸した二百両を蕩尽してしまったことを責める。このとき、松緑はある種の狂気のひらめきを見せるが、あくまで生真面目な團蔵と好一対となる。さらに老中松平伊豆守(菊之助)が忠弥に傘を差し掛ける件りとなるが、謎めいたやりとりが噛み合わないところもおもしろくみた。ただし、伊豆守は菊之助の仁もあって、好人物にみえてしまう難がある。より不可解な存在でありたい。
第二幕は史実では「慶安の乱」といわれる幕府転覆計画を、忠弥は舅に打ち明ける。しかしながら、黙阿弥の台本も現在では冗長で緊張感に乏しい。ドラマがないだけに刈り込んでしかるべきと思う。
先にいった立廻りとなってからは松緑の独壇場だ。こうした身体を駆使した役のとき、ひときわ熱量を帯びるのが松緑のよいところだ。
続いて松岡亮作の『蛇柳』。歌舞伎十八番の復活狂言で、高野山の奥の院の霊木として知られた蛇柳を題材とする。高野山の僧定賢(松緑)と能力の阿仏坊(亀三郎)、学僧覚圓(亀寿)が、きりっとした佇まいを見せる。巳之助、尾上右近、種之助、鷹之資。いずれもいい。
彼らが闇のなかから現れた男助太郎(海老蔵)の妻の死を受け止めていくが、いかにも怪しく夜の闇が濃く感じられた。供養がどうしても必要なのだと切迫感が漂う。
それぞれの役がよく書き分けられ、役者によって立体的に造形されているのが、前半のおもしろさにつながった。
ただし、霊木を題材とするには、舞台上にある装置に神秘性が欠けているのが大きな欠点となる。のちに海老蔵は蛇柳の精魂となるが、九団次を身代わりにして、金剛丸照忠となって押戻しを見せるのは観客には親切だが、無用な間が空いてしまうのも確かだ。
夜の部の眼目は、菊五郎劇団総出演に又五郎らを迎えた『め組の喧嘩』。第一場は、島崎楼。菊之助の藤松の威勢。團蔵の亀右衛門の押し。権十郎の長次郎の僻め。三者を受け止める左團次の四ッ車大八の情理。いずれも役者が揃った上に、菊五郎の辰五郎が納めに現れると舞台面が大きくなる。
第二場の八ッ山下の場は、菊五郎、左團次、萬次郎、梅玉によるだんまりが見物。身体のキレよりは、こなしの確かさが肝要なのだとよくわかる。
芝居前の場では、九竜山(又五郎)の大きさが際立っている。さすがに時代物で鍛えただけに、こうした世話物の一役でも肚が太くおもしろく観た。
芝居としては三幕目の辰五郎内が大切だが、菊五郎の辰五郎と女房お仲(時蔵)の気っぷの良さ、情愛の深さに泣かされる。時蔵は近年、こうした江戸の粋を体現するような女を演じて、爽やかな空気を運んでくるようになった。役を生きている証拠だろう。
大詰、立廻りとなってからは、大勢出ている若手の力量を見定める楽しみがある。まだ若年ながら鷹之資の山門の仙太がさまになっている。芝居好きか、そうでないかが、群衆のひとりとしていてもわかってしまうから怖い。