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2016年1月31日日曜日

【閑話休題30】二代目矢野誠一襲名のことなど

『天才と名人』贈呈本用短冊を制作中です。贈呈、自署、はんこの組み合わせは、矢野誠一さんからいただくご著書の真似でございます。今度お目にかかったら、「まねしました」とお断りいたします(笑)。以前、落語に造詣の深い演出家の宮城聰さんに、「二代目矢野誠一を襲名しようかと思うんだ」といったら、異様に受けたのを思い出しました。もちろんご本人にも冗談めかして申し上げたことがあります。そのときに、「私が襲名したら、矢野さんはさしずめ誠翁でしょうか」と行ったら、さすがにしゃれのわかる矢野さんは完爾と笑いました。

ところで、休日を費やして、近松門左衛門原作、デヴィッド・ルヴォー演出『ETERNAL CHIKAMATSU』のパンフレット原稿を書く。tptの時代、勘三郎との幻の企画などの思い出。このごろ雑文を書くとき、どこか力が抜けてきたのを感じる。やはり年齢が文章を変えていくのだろうと思う。
ところで、年明け早々引いた風邪を、引きずっていた。毎日の激務に追われて、苦しい思いをしていたけれど、ようやく鼻づまりからも解放されて快適になった。

2016年1月25日月曜日

【書評4】扇田昭彦の姿勢。あくまで新しい時代を背負っていく演劇人の後援者として

 扇田昭彦『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史』(河出書房新社 2016年)

扇田さんが亡くなったとき、私は老いとはこういうものかと思った。気がついたら自分が競馬馬でいえば最終コーナーにさしかかっていると思い知らされたのだった。扇田さんがいるうちは、「扇田さんがいるから」と影にかくれたり、風に直接あたらないことも出来た。これからはもう、そんなわけにはいかない。

昨年五月に急逝した演劇評論家扇田昭彦の遺著となったのが『こんな舞台を観てきた 扇田昭彦の日本現代演劇五〇年史』である。雑誌「シアターガイド」に連載した同名の「こんな舞台を観てきた」が第一部で一九六○年から九五年まで、状況劇場の『唐十郎版 風の又三郎』から大人計画『愛の罰』までもが淡々たる筆致で綴られる。上演された時点で書かれた文章ではない。現在から過去を振り返る批評はときに懐古的になりがちだが、扇田はジャーナリストとしての姿勢を崩さず、センチメンタルな私情を挟んでいない。かといって冷ややかなのではない。あくまで新しい時代を背負っていく演劇人の後援者としての立場が貫かれている。
また、第二部では一九九四年から一五年までの批評が集められている。パルコ『オレアナ』から神奈川芸術劇場+地点の『三人姉妹』まで。こちらもその年を代表する舞台を網羅するが、時評として書かれているので、あくまで現在形の文章である。扇田昭彦の功績はなんといっても日本の現代演劇が大きく舵を切ったとき、すなわち新劇からアングラ演劇のちに小劇場演劇へと軸を移したときにいち早くその流れを追い、マイノリティであった小劇場をメインストリームへと引き上げたところにある。その意味で扇田の仕事は永遠の革命を続けるような部分があり、常に新たな才能を見いだしていく困難が課せられていた。本書を読むとその労苦と同時に愉悦が見て取れる。
公の席で扇田と話したのは、早稲田大学の特別講義で、児玉竜一教授の肝いりの座談会が最後だった。公演の終わりに現役の朝日新聞記者から質問が出た。私はそのときにも答えたが、扇田昭彦は朝日新聞記者としてジャーナリストのスタンスを貫いたけれども、演劇界の人々にとっては若年から偉大な批評家で、専門記者の領域にとどまる人ではなかった。それだけは、はっきり書いておくべきだろうと思う。改めてご冥福を祈りたい。

2016年1月24日日曜日

【劇評38】過去の時代を物語ることで、現在の問題をえぐり出す。永井愛作・演出『書く女』

 現代演劇劇評 平成二十八年一月 世田谷パブリックシアター

過去の時代を物語ることで、現在の問題をえぐり出す。
演劇がもっとも得意とするこの手法を用いて『書く女』(永井愛作・演出)は、単に樋口一葉の評伝を超えて、昨今のきなくさい状況をあぶりだす舞台となった。
二○○六年の初演から十年が経った。寺島しのぶ演ずる樋口一葉(夏子)が書くことへの懊悩に取り憑かれていたとすれば、今回、黒木華が演ずる一葉は、人間としていきることの難しさに立ちすくんでいる。
それは明治という時代の特殊性を超えて、日本の社会が抱え込んだ歪みが、貧困や頭痛のようなかたちでひとりの若い女、夏子に襲いかかっている図のように思えてきた。
上演台本は刈り込まれて完結になった。伴奏に生のピアノをおごったことで、出来事が起こるたびに人間の心の糸が切断される瞬間が聞き取れた。また、半井桃水を演じた平岳大、樋口くにを演じた朝倉あきらキャストも清新で小気味がいい。
劇作は、桃水との恋愛と逡巡、過酷な生活、若き文士たち平田禿木(橋本淳)川上眉山(兼崎健太郎)との交友とその喜び、そして苛烈な批評家斎藤緑雨(古河耕史)との綱引きまで飽きることがない。
また、伊藤夏子(清水葉月)や野々宮菊子(盛岡光)半井幸子(早瀬英里奈)田辺龍子(長尾純子)が効果的に配置されて、いよいよ独り身で書く女であることの困難と愉悦が浮かび上がる。夏子の母たきは、木野花で旧世代を代表する。
その意味で、特に劇の後半は、樋口一葉とその周辺に生きた人々をめぐる良質の群衆劇としても成立している。
装置の大田創、照明の中川隆一、音響の市来邦比古が、現在にも通じる暗い世相を象徴するかのように陰翳の深い舞台を創り出した。三十一日まで。二月は愛知から福岡まで巡演する。

2016年1月23日土曜日

【閑話休題29】『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』予約が始まりました

「平成二十四年十二月に勘三郎、平成二十七年二月に三津五郎が急逝した。私はこれまでともに走ってきた同世代のふたりを失ってしまった。なんの根拠もないのだが、いつまでも、ふたりとともに走り抜けると思っていただけに、こんな日が現実になるとは思いもしなかった。まるで、はしごをはずされたような心地さえした。勘三郎のときは、呆然として仕事が手に着かなかった。三津五郎のときは、逆にしっかりなければと自分を叱咤した」(あとがきより)
六月に年表作成をはじめ、八月に執筆を開始し、九月末に脱稿。ようやく来週に校了になります。
編集者に、私はこの本を書くために生まれてきた。といわれ少し困惑していますが、
『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』を書き終えて、なにか運命といいますか、
見えない力に操られているような気持になりました。

勘三郎、三津五郎と同世代に生まれたのは私の誇りです。
ふたりの急逝がなければ、この本を書くことはなかったでしょう。

ふたりが昭和の終わりから平成にかけて駆け抜けた軌跡は、
ことば遊びではなく、まさしく「奇跡」だったように思えています。

ふたりの輝かしい日々、舞台の記憶を本書でたどっていただければうれしい。
ふたりの舞台に間に合わなかった歌舞伎ファンには、こんな天才と名人がいたことを
ぜひ、知っていただきたいと思うのです。

2016年1月21日木曜日

【書評3】市川猿之助、千日回峰を満行した圓道大阿闇梨と語る。

 市川猿之助、光永圓道『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社 2016年)

市川猿之助と千日回峰を成し遂げた北嶺大行満阿闇梨、光永圓道の対談を納めた『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』(春秋社)を読んだ。
この書名には理由がある。京都大廻りなど回峰の業に含まれた例外をのぞけば、阿闇梨は籠山行を続けていて、この年の三月に一二年籠山行遂行とあるからには、猿之助が比叡山を訪ねるのが必然なのであった。
一読しての感想は、仏教、特に天台宗の密教について猿之助がかなり深い知識を持っていることであった。しかもその知識は、天大密教にある千日回峰の荒行と歌舞伎役者の毎日を積み上げていく日常が重なり合うとの思いからだろう。
七年をかけて修される千日回峰行。最初の四年間は百日づつ行する。七里半に及ぶ山道をひとり歩く。
「堂入り」「赤山苦行」「京都大廻り」のような人間の限界を超えた修行がある。この行ができなくなったときには、自死しなければいけない約束がある。
だからこそ、成し遂げた行者は「生き仏」と敬われるのだった。
阿闇梨は行について率直である。「堂入り」は七日間不眠不休、横になることも許されない。
「そう、回峰七百日を終えて、堂入りのとき、十萬枚大護摩供とのときが思いだされるんですね。病気で本当にダメだったとき、もう死ぬのかなと思うことはしょっちゅうでしたけど、行中は、今度はもう死ぬ覚悟で入っているのは間違いのないことだった。命を絶つことは別に怖くないっていう思いですね。そのために行に入っているわけですから。行に入る前の最初の時点で、死ぬの怖くない、けど…みたいな気持がちょっとでもあると、入れないんです。行の途中でも、そんな意識が出てきたら、もう後悔するんですよ」
阿闇梨の珠玉の言葉を受けて、猿之助はこの本のなかで、知識を披瀝しているばかりではない。
第五話の冒頭で「千日回峰を知れば知るほど、なんかこう、私たちの世界に重なってきます。不遜なことかもしれないですけれど、ほとんど同じだと言ってもいいくらいです、その精神的過程においても、このお行という実践が他の文化的営みに共通しているという認識はおありでしょうか」
と、阿闇梨に問うている。二十五日間休演日なしの興行が連続する歌舞伎役者には、現代演劇の俳優にははかりしれぬほどの肉体的精神的な抑圧がかかっている。その道を走り抜けてきた自信がこの言葉となっている。
そして、これまでの常識、歌舞伎界の慣例を打ち破り、現在私たちが呑み込まれている無力感に対して、宗教や歌舞伎が何を語るべきかを問うている。
その意味でこの対談は、若き獅子ふたりの責任と覚悟に満ち満ちている。そして、行を進めることに義務感ではなく、愉悦がひそんでいることもあけすけに語っている。
一流のアスリートがある境地に達したときにともにする感覚について語って余すところがない。
考え、そして実行する歌舞伎役者として、四代目猿之助は、まさしく沢潟屋の棟梁なのだと今更ながら思う。若き闘将としてこれからも歌舞伎界を担っていくのだろう。

【雑記】『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』を読了

市川猿之助、光永圓道『猿之助比叡山に千日回峰行者を訪ねる』を読了。ひとつの道を究めると、見えてくる光があるのか。専門外なので書評という形ではなく、感想をブログに書く予定です。

【書評2】上村以和於の凝視

上村以和於『東横歌舞伎の時代』(雄山閣 2016年)

調べ、書き、直し、また書く。
原稿執筆はまぎれもなくあたまとからだを駆使した労働である。その意味で上村以和於の『東横歌舞伎の時代』は、まさしく労作と呼ぶにふさわしい著作となった。
一九五四年から十六年間、渋谷駅西口の東急百貨店にあった東横ホールで歌舞伎の興行が行われていた。
歌舞伎と言えば、歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂に慣れた現在の観客からすれば、唐突な感じさえするだろう。
現在も時折、行われているコクーン歌舞伎が始まったのは一九九四年だから、その四十年前に、現在第一線にいる歌舞伎の大立者たちは、この東横ホールで修業の時期を送ったのだった。
私自身は、この東横歌舞伎を観ていない。ただ、二十代の頃は、まだ東横ホールじたいはまだあって、東横名人会をよく観に行った。名人会がはねるとハンチングを粋にかぶった小さんとエレベーターで一緒になる。それがなんともうれしかったのだが、噺の途中で電車の音が露骨に響く。劇場としての条件はそれほどよくなかったのは実感としてわかる。
もっとも上村が力を入れているように思えるのは、菊之助(現・菊五郎)、辰之助(三代目松緑)、新之助(十二代目團十郎)が人気をさらった東横歌舞伎の終わりではない。
むしろ、現在からは遠くなった終戦後まもない時期の役者たちの消息にあるように思える。
松竹東横提携第一回公演は、市川猿之助劇団と尾上菊五郎劇団の角書きがあり、九代目八百蔵(のちの八代目中車)、芦燕(のちの十三代目我童)、五代目源之助、四代目秀調、五代目田之助の顔ぶれ。現在の歌舞伎ファンからは遠い名前だが、第一線からは遠ざけられていた彼らが、懸命に足がかりを求めて東横ホールで舞台を勤める姿を、熱い共感をもって描いている。
そのため本書の眼目は、ホールの年代記だけではなく、第二章に設けられた「人物誌ーー東横歌舞伎を彩った俳優たち」にある。そこでは、渋谷の海老さまと呼ばれた四代目河原崎権三郎(三代目河原崎権十郎)や後に俳優協会会長となる七代目中村福助(七代目中村芝翫)、映画界、テレビ界に転じた二代目大川橋蔵、坂東光伸(九代目坂東三津五郎)らを活写する。
演目と配役の向こう側に、歌舞伎の舞台と観客の熱狂が浮かび上がってくる。
淡々とした筆致ではあるけれども、消え去っていく舞台とその記憶が大切にしまわれている。

2016年1月20日水曜日

【書評1】矢野誠一の批評文藝

矢野誠一『舞台の記憶』(岩波書店 2016年)

批評のなかでも、文學として自立している文章を指して批評文藝と呼んでいる。演劇批評のジャンルでは、その第一人者はまず、矢野誠一を置いて他にいない。その文章の藝は、他者を語って冷ややかではない。突き放して書いて、そっけなくはない。演芸や演劇についての底知れぬ愛がすみずみまで行き届いており、読んで飽きることがない。
今回、岩波書店から出た『舞台の記憶』は、都民劇場の会員むけ通信に連載された回顧録を集めている。一本につき見開き二頁の簡潔さで、一九四七(昭和二二)年四月の有楽座『彌次喜多道中膝栗毛』から一九九七(平成九)年の新国立劇場『紙屋町さくらホテル』まで、矢野の思い出がぎっしりつまった文章が並んでいる。三分の一は、筆者の長谷部が生まれる前の舞台である。さらにいえば、私自身が観た舞台に限れば、やはり三分の一に過ぎない。言いかえれば、三分の二は私自身が触れ得なかった過去の舞台になる。
それにもかかわらず、ひとつひとつの舞台と文章にひかれるのはなぜか。矢野が自分自身の人生を重ねあわせつつ、その時代の相をまざまざと浮かび上がらせているからだ。戦後から高度成長を経てバブルに至り、その崩壊を経験する日本社会にとって演劇がどのような意味を持っていたかが知れる。それは矢野にとって、青春時代から壮年期であるとともに、日本のそれでもある。演劇が若々しく熱情に満ちていた時代がここで語られている。
一冊の掉尾に置かれたのは、一九六八年十月、イイノホールで上演された古今亭志ん生の『王子の狐』である。志ん生最後になった高座を矢野は淡々と描き、涙を見せない。そして「結城昌治の調査によると、この『王子の狐』が古今亭志ん生最後の高座で、その後志ん生は詩を書かない詩人よろしく、落語をしゃべらない落語家として五年生きた」と結ぶ。
落語をしゃべらなくても、志ん生が落語家であり続けたのはいうまでもない。

2016年1月18日月曜日

【劇評37】暗闇に底光りする猿之助の女方芸

現代演劇劇評 平成二八年一月 シアターコクーン

『元禄港歌』(秋元松代作、蜷川幸雄演出)の初演は、一九八○年八月、帝国劇場。改めて数えると私は二四歳で、劇評を書き始める前年にあたる。もとより蜷川幸雄の演出作品は観始めていた。今回の舞台を観て、初演が懐かしく思い出され、また、当時の私は何も読めていなかったことがよくわかった。
当時の私は「葛の葉の子別れ」の深層にある意味も、謡曲「百万」にこめられた親子の物語も理解してはいなかった。単に知識のあるなしではなく、人間の情について思いを至らせるには若すぎたのだと思う。
高い評価を得た『近松心中物語』の次回作とあって、スタッフ・キャストが共通だが、今回のパンフレットによると、『元禄港歌』が間に合わなかった場合は、『近松心中物語』が上演される予定だったという。その共通性もあって、『近松心中物語』の出来のあまりよくない続編とだけ思い込み、椿の花が降ってくる情景だけが記憶に刻まれていた。
一九九九年の明治座での再演は、理由はよくわからないが見逃している。なんと、三六年ぶりに観る『元禄港歌』が傑出した舞台に思えたのは、初演で嵐徳三郎が演じた糸栄を市川猿之助が勤め、また、糸栄とかつて恋仲にあった筑前屋平兵衛が、金田龍之介から市川猿弥に替わったところにも見つかる。商業演劇の一作品として初演された舞台が、今回は歌舞伎としての位置づけを強めた。そこには、現在輝きを増している猿之助の女方芸のありようが大きく作用しているだろうと思う。
糸栄は瞽女の集団を率いる「母」である。
瞽女の初音(宮沢りえ)や歌春(鈴木杏)からも血がつながっていないにもかかわらず、寝食を共にし「母」と慕われている。また、かつて平兵衛と糸栄の間に生まれて、幼い頃から筑前屋に引き取られ、平兵衛とその女房お浜(新橋耐子)の実子、長男として育てられ、江戸の出店をまかされている筑前屋新助(段田安則)の母でもある。
こうした複雑な「母」として猿之助が選んだのは、かつて美しかった女性の模倣ではなく、実の子の母として生きることを断念し、多くが視覚に障害を持つ女たちを守りつつ、生き延びていく女たちの仮の「母」であった。そこには徹底した内向がある。ほとばしる情念を押さえ込んでいく意志の強さがある。こうした性向を描き出すとき、女方芸はいよいよ輝きを増す。たとえば鏡花の『天守物語』は、やはり女優よりは女方のものだろうと思う。同様に『元禄港歌』の糸栄には実体としての女性を超えた人間存在、超自然的なものと深く結びついた人間のありようが、暗闇のなかに、底光りするからだと思う。
今回の猿之助の芸は、表層的な女性らしさの模倣に終わらず、女性という性の暗闇に届くだけの実質をそなえていた。だからこそ、主演を重ねキャリアもすばらしい宮沢りえや段田安則とともに、劇の中心として君臨しつづけたのであった。
蜷川幸雄の演出も、いよいよ凄みを増している。底辺に生きる職人和吉(大石継太)らの絶望の深さ。そして未来のない境遇のなかで、歌春への恋によっていっとき救済されたかに思えた。けれど、筑前屋万次郎(高橋一生)と歌春の業によって裏切られてしまったときに芽生える狂気。和吉も万次郎も歌春も、この現世に絶望して生きている。なんのやりがいもなく、毎日が過ぎていく絶望が、舞台全体を覆っている。ただ、その一点においても観客は舞台に共感する。
美空ひばりによる劇中歌が、高まる感情の頂点から死へと転落していく人間の宿命を写していてすぐれている。三十一日まで。二月六日から十四日まで大阪公演がある。

2016年1月16日土曜日

【劇評36】松也と松助。

歌舞伎劇評 平成二八年一月 浅草公会堂

正月の『新春浅草歌舞伎』もメンバーを一新して二年目。今年も松也を中心に、巳之助、米吉、国生、隼人、新悟に梅丸、鶴松が加わる。また、上置きに錦之助がいて浅草としてはまずまずの一座といえるだろう。
話題はやはり、松也が『与話情浮名横櫛』の与三郎と『義経千本桜』の「四の切」で忠信実は源九郎狐を演じるところにある。昨年、南座の「弁天小僧」といい、音羽屋の芯が勤める役に着々と立ち向かう。二代目松助は、のちの三代目梅幸、三代目菊五郎だが、近年は脇役の家というイメージが強い。松也の父、六代目松助は、菊五郎劇団にとってかけがえのない名脇役だが、芯を取る役者ではなかった。その長男の松也が、こうした大役を次々と勤める姿は、父が存命だったらどれほどの感慨を持たれたろうと思う。こうした例は少なくとも私が歌舞伎を観始めてからは記憶にない。脇役が続いた三津五郎家の十代目が、芯をとる役者になったのとは、また意味が違う。三津五郎家は守田勘弥家と近く座元の家だからだ。松也の例は身分が固定化した現在の歌舞伎界では稀有のことだと思う。
さて、舞台の実質だが、まだまだこれからというのが正直なところだ。『与話情浮名横櫛』の与三郎は、今は悪党であるが、生来の品のよさが「源氏店」だけ出る場合も必要だ。松也には稀有な色気はそなわっているが、そこはかとない育ちの良さを漂わせるには至っていない。むしろ、出色だったのは米吉のお富で、日陰の身であることと、ある種の明るさがひとりの身にそなわって破綻がない。仇な色気はこれからさらに成熟していくだろう。将来が期待されるお富である。
『義経千本桜』の「四の切」は、まず、身体を鍛え抜くところから始めなければならない。踊り地がどうのこうのというつもりはない。ひたすらフィジカルな身体のキレがなければ、宙乗りのない音羽屋型といっても役を成立させるのはむずかしい。輝かしい身体能力があって、はじめて親を亡くした狐の哀れさ、その境遇が義経と重なる劇構造へと結びついていくのだ。狐言葉にも難があるが、まだそのレベルには達していないというのが、率直な感想である。
ここでも新悟の静御前が赤姫の定型を神妙に勤めていた。隼人の義経。
松也がこうした立場を手にしたことは喜ばしい。この数年で結果をだすのは困難であるが、長い目で見守り、藝が成熟していくのを期待したいと思う。
もうひとり、出色の出来と呼んでいいのは『毛抜』の巳之助。もとより、まだ成長途中ではあるが、團十郎家の粂寺弾正とはまた違ったおおらかさ、のどかな味がある。更に上演を重ねて開花するのを待ちたい。新悟の巻絹、米吉の秀太郎。二十六日まで。

2016年1月11日月曜日

【劇評35】歌舞伎見物の主流とは。海老蔵の現在

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座夜の部

無人(ぶじん)の一座という言い方がある。今月の新橋演舞場は、芯となるべき役者は、海老蔵、(市川)右近、獅童の三人に過ぎない。その証拠にこの新春花形歌舞伎のチラシで別格の扱いになっているのはこの三人だ。 それでも興行として成立するのだから、現在、海老蔵が持つ興行材としての力には敬服する他はない。歌舞伎は俳優を観に行く演劇だとする立場に立てば、こうした月もあっていいし、玉三郎の特別舞踊公演以外にこうした興行を打てる役者はいないのだから、その栄華を言祝ぐのも新春にふさわしい。
ただし、芝居の実質となるとまた別の考え方がある。ここでは『弁天娘女男白浪』について書く。まずは、「浜松屋」だが、海老蔵の弁天小僧、獅童の南郷力丸は、息があっており江戸の小悪党らしい空気感をまとって花道に登場する。本来立役の海老蔵にとって、「見顕し」までがやはり厳しい。いくら芝居の約束事であったとしても、こうした男性の匂いを強烈に放っていれば、浜松屋の手代、丁稚たちが騙されるわけもなく、まず前提として虚構を成立させるのはむずかしい。
「見顕し」で男とであると正体を明かしてからは、海老蔵の独壇場になる。問題は、野性はもちろんその身にそなわっているのだが、以前は一触即発の暴力装置としてあった弁天小僧が、意外に物わかりのいいお兄いさんになってしまっているところだ。これは海老蔵が自らの表現の幅を広げ、役者としての着地点を探している現在をあらわしていると私は思う。『毛谷村』の六助や『実盛物語』の斎藤別当実盛を当り役とするためには、こうした試行錯誤のプロセスがどうしても必要だと考える。
右近の日本駄右衛門は、大きさを出そうとしてかえって大盗賊の格がが見えにくくなっている。鷹之資の宗之助は神妙。
「浜松屋」はだれもが知っているとはいっても、「見顕し」という仕掛けと一応のドラマがあるからいいが、「稲瀬川勢揃い」となると、無人の一座の弱点があらわとなる。三人に加えて、市蔵の忠信利平、笑三郎の赤星十三郎。このなかでは笑三郎がもっとも「つらね」の様式性、古典としての黙阿弥に忠実であろうとして細心であり、結果として実質をあげている。
作品全体の批評としてはあからさまな欠陥があるが、海老蔵が弁天小僧を演じる、その特権性と輝きを重く見るならば、これはこれでよいのだろうと思う。芝居はもとよりひとりではできないが、ただ、ひとりを見詰めるために劇場に出かける観客は、いつの時代も少なからずいた。いや、それこそが歌舞伎見物の主流だといっても差し支えない。
二十四日まで。

2016年1月10日日曜日

【閑話休題28】Ralph Lauren Homeをめぐる諸問題について

単行本の初校ゲラは筆者にとって、もっとも気の張る仕事だ。校正者の指摘を受け止めつつ、完成形を高めていく。今日で『天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎』のゲラを見終えて、仮にだけれど「あとがき」も書く。「あとがき」は蛇足のような気もするが、かえって自分ではもうわからなくなっているものだ。「あとがき」を掲載するかは、火曜日に編集者と相談して決めようと思う。ほっと一息つく間もなく、滞っていたブログに向かう。歌舞伎座昼の部、夜の部、国立劇場の劇評を一気に書いて更新。ちょっとくたびれモードなので、気分転換のため池袋西武に行ってきます。セールの時に、パジャマ、下着、靴下を細々と補充するのが私の習慣です。

詰めて仕事をした後に、セール期間中の百貨店にいくなどというのは、無謀というか大胆というか、飛んで火に入る冬の蝿状態だと知っている。知っていても止められない。
予定通り、パジャマ、下着一枚、靴下二枚を購入したまではまだ正気だった。これからがいけない、紳士服売り場から寝具売り場に移動し、ラルフローレンホームに入ったときには、もう錯乱状態で、シーツ、ピロー、掛け布団カバー、綿の膝掛けと止まらなくなった。
幸いなことに、ファッションフロアーに行くのは、泥沼とわかっていたので、きびすを返し、無事(?)生還。両手に重い荷物。表情を変えないクレジットカード、そしていくばくかの爽快感を手に入れましたとさ。

【劇評34】脇が揃い江戸の夜が立ち上がる『直侍』

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座夜の部

新春の歌舞伎座。夜の部は『二条城の清正』が出色の出来。吉田絃次郎作の新作歌舞伎で理に詰んだ台詞劇だが、清正の幸四郎、秀頼の金太郎。いずれも落日の豊臣家を襲う息が詰まるような切迫感が感じられて説得力がある。これが歌舞伎の不思議で、孫の行く末を案じる祖父幸四郎の心情が、加藤清正のまっすぐな忠義と重なる。金太郎はもちろんこれからの役者だが、一時間に及ぶ台詞劇を持たせたのは立派。これは生来持った役者としての華によるものだろう。
染五郎初役の『直侍』も心に暗澹たる暗闇を抱えた男として造形して、これはこれでひとつのやり方だろう。なにより素晴らしいのは脇役陣で、これほどの役者を揃えたら芯に立つ染五郎の直次郎は、よほどしっかりしなければ喰いまくられてしまう。東蔵の丈賀は、うなるほどの出来映えで、この水準を抜く丈賀をこれから観るのは難しいだろう。暗闇の丑松は吉之助で、これも幹部がやるより凄みがあってよい。嫌なやつに徹している。蕎麦屋亭主と女房は、高麗五郎と幸雀、市井に生きる人間の日々の生活感が滲み出て、ふたりのやりとりを聞いているだけも胸がじんしてくる。
『大口屋』になってからは、寮番に錦吾を配する贅沢。直次郎と三千歳に対する優しさにあふれ、しかもほどがよい。
雀右衛門襲名を三月に控えた芝雀が三千歳。哀れな女の役だが、生きてはいられぬと死をほのめかしても男にしがみついていく女の業が見たい。芸風もあるが哀れさばかりが先に立つと、直次郎三千歳の悲恋物語になってしまう。
朝幕の『猩々』は、猩々に梅玉と橋之助。酒売りに松緑。梅玉は踊りの人ではないと思ってきたが、このごろさらさらとした踊りで際立つようになってきた。
『吉田屋』は、襲名で伊左衛門を勤めてきた鴈治郎が安定した出来映え。作がよく、役を繰り返し勤めたために大坂のぼんのかわいらしさが漂うようだ。玉三郎の夕霧はだれもが知る持ち役で、あっさりと演じてコクがある。上方の傾城の美を虚構として構築した。二十六日まで。

【劇評33】百鬼夜行の都 玉三郎の『茨木』

 歌舞伎劇評 平成二十八年一月 歌舞伎座昼の部

歌舞伎座の新春大歌舞伎。顔見世とみまごうばかりに役者が揃う。なかでも昼の部の『石切梶原』と『茨木』がすぐれている。
『石切梶原』は、梶原平三を演じる役者にとっては気のいい芝居でも、観客にとってそれほどの実質があるのか疑いをもって観てきた。今回の吉右衛門は、こうした役者の気のよさをしりぞけて、胆力と気迫にあふれた武士が困難な出来事に微動だにせず、あっさりと切り抜けていく、その自然体を見せたところで上質の劇となりえた。大庭三郎に又五郎、六郎太夫に歌六、梢に芝雀と脇にも実力者が揃って、これでまずければ、平成の歌舞伎に未来はないといっていいほど。俣野は歌昇、奴菊平は種之助。厳しい修行の場を与えられて、人気に踊らされず実力をたくわえているふたりが頼もしい。
昼の部の切りは、玉三郎の『茨木』。冷ややかな夜の闇、百鬼夜行の都の空気をまとった花道の「出」で勝負はあった。松緑の渡辺の綱がこの伯母の気迫に押されて、守るべき片腕を奪われるのももっともと思わせる。おそらくは自前だろうけれど、素晴らしい着付けで溜息がでるほどだった。士卒に鴈治郎と門之助、家臣宇源太に歌昇。そして太刀持の音若に左近が初々しい。
朝幕に『廓三番叟』。孝太郎、種之助、染五郎。ベテランに挟まれ、種之助が清涼感のある女形で色気を漂わせる。これから女形も観てみたいと思わせる出来。
橋之助の『鳥居前』。柄も立派。力量も十分なのに、売り物となる土性骨の強さがどこか不十分に思える。義経は門之助。静御前は児太郎。逸見藤太は松江。はじめは不自然に思えたが、剛柔を兼ね備えた藤太のやり方もあるのだと納得。弁慶は彌十郎。ひところはどうしても人の良さが先に立っていたが、近年は役柄がくっきりと見えるようになってきた。二十六日まで。

【劇評32】復活狂言の成功例

  歌舞伎劇評 平成二十八年一月 国立劇場

平成二八年の正月は、東京だけで四座が空いた。歌舞伎座、国立劇場、新橋演舞場、浅草公会堂をめぐるなかで、それぞれの特質はあるものの、国立劇場の復活狂言が、もっともこの暗澹たる世相から一時私たちを救い出してくれる力に満ちあふれていた。
一四年前に復活された河竹黙阿弥の『小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)』(木村錦花改修、尾上菊五郎監修、国立劇場文芸研究会補綴)は、小春日和の上野清水観音堂の場から始まる。もっとも冒頭に菊之助の狐による無言劇があって、この芝居全体の空気感を伝えている。
主筋はお家の重宝「胡蝶の香合」をめぐる物語に絞り、その発端を示す場だが、それぞれが役にはまって歌舞伎の序幕にふさわしい。彦三郎の重臣荒木左門之助、亀蔵の敵役三上一学、亀三郎の忠義一途な奴弓平はじめ場を引き締める。若いふたり、梅枝の月本数馬之助がなかなかの若衆振りをみせ、(尾上)右近の三浦屋傾城花月が、傾城姿ではなく赤姫の着付で現れる。この二役はそう容易ではないにもかかわらず、好一対を見せる。梅枝、右近の藝境が進むと菊五郎劇団の厚みはますますよろしくなる。
次の二幕目、第一場から第三場までを「雪月花」に見立てた趣向の芝居。時蔵の巡礼者と雪の降り積む一つ家に一人住まう謎の女、賤の娘胡蝶が、ドクロを挟んで対峙する場だが、実はとのちにあきらかになる役と性別を逆にしており、関係が見えにくい。菊之助が出勤しているのに立役ばかりではもったいない。女形も見せておきたいための逆転だと思えば納得もいく。趣向の場でありながら、ケレンに流れず、菊之助が賤の娘の心情を丁寧に作っている。
さらに月の場となってからは、菊五郎の日本駄右衛門がさすがに大きく、だんまりに見応えがあった。七三のスッポンから菊之助が立役の礼三となって再登場し、七人で絵面に決まって幕となる。
第三幕は三浦屋を舞台の世話物となる。序幕で端敵の中間早助を勤めた橘太郎が、ここからは遣り手のお爪に替わって地力を見せる。菊之助の礼三は繭玉を肩に、渋い着付で登場し、単なる甘い二枚目ではなく、獣の匂いを漂わせ、ただならぬ人物を造形する。苦み走った色気である。昨年一年、『義経千本桜』の知盛を含め立役を勉強してきたために、立役として線が太くなった。菊五郎の芸域を注いでいく準備が整いつつある。
萬次郎は実のある傾城、三浦屋深雪と役に恵まれ力のあるところを見せる。時蔵のまじないは悪婆として観ても仇な色気がある。
この芝居のきかせどころは、菊五郎の駄右衛門、時蔵の船玉お才、菊之助の礼三が見せる名乗りで、黙阿弥ならではの台詞の音楽性としたたかな言葉の重層性が味わえる。
続く大詰。赤坂山王鳥居前は、伏見稲荷の鳥居を模して大胆な構成舞台とした新基軸。キレのある菊之助の立廻りと菊五郎劇団のアンサンブルで爽快感をもたらす。
全体に菊五郎劇団の世代交代が順調に進んで、穴のない実質的な芝居が楽しめた。二十七日まで。