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2016年2月6日土曜日

【劇評39】十年に一度の『籠釣瓶花街酔醒』。吉右衛門、菊之助が息を詰める。

は歌舞伎劇評 平成二十八年二月 歌舞伎座 


今月の歌舞伎座は、『籠釣瓶花街酔醒』がすぐれている。十年に一度あるかないかの出来で必見の舞台となった。
昭和五十三年六月、吉右衛門が新橋演舞場で次郎左衛門を初役で勤めてから長い年月が過ぎた。今回の舞台は菊之助の八ッ橋を得て、まさしく頂点というべきだろう。
逐一書いていくが、全体を通していえば、ふたりの息が詰まっている。そのために次郎左衛門と八ッ橋がはじめて出会う場、そして縁切りに及ぶ場、さらには殺し場までふたりが運命に翻弄される主要な場面で、芝居が引き締まっている。歌舞伎座の客席はひたすら静まりかえって、観客が舞台に引き込まれている。吉右衛門と菊之助、平成歌舞伎を牽引する大立者と充実期を迎えてひとかどの役者になりおおせた役者が、お互いの心の襞をのぞき込んでいる。
考えてみれば、あらゆる一刻、一刻がかけがえのない人生の瞬間なのだとこの芝居は教えてくれる。吉原は廓である。華やかな舞台の底に深い闇をかかえている。男を陶酔させる廓のシステムに引き込まれた次郎左衛門、システムの頂点に立って全盛を誇る傾城八ッ橋。時は一方向に進んで行き、さかのぼることはできない。その残酷が胸に沁みてきたのだった。
まずは、序幕「仲之町見染の場」。不夜城の人工的な明るさに目をくらませる次郎左衛門と治六(又五郎)の純朴が丁寧に描き出される。そして立花屋長兵衛(歌六)の篤実。吉右衛門、又五郎、歌六。この三人が舞台中央に居並んだだけで圧倒的な絵面が成立する。まさしく播磨屋の人々が近年、積み上げてきた芝居の厚みが伝わってくる。歌舞伎とは役者が背負ってきたイメージの集積であるとよくわかる。
さらに花道の七三にさしかかった八ッ橋が、ふっと笑い、舞台中央にいる次郎左衛門に目をやる。このとき菊之助は身体を沈ませ、伸び上がる力を使いながら、顔の表情ではなく、身体そのもので笑みを創り出している。そこには何の邪念もない。吉原に咲き誇る名花がただいるだけだ。心理はない。自らの力を頼む傾城がその魅力を弾けさせ、去って行く。そのまっすぐなありように次郎左衛門は惚れたのだとよくわかった。
この見染めと対照的に、二幕目第一場「立花屋見世先の場」には、思わせぶりな芝居を排して、八ッ橋の出からさらさらと運び、吉右衛門が地元佐野の野暮な朋輩たちに自慢をする、その喜びばかりが伝わってきて、暖かい気持にさせてくれる。全盛の花魁と馴染みになった満足感がこの場を明るくしている。
一転して、菊五郎の栄之丞が住む「大音寺前浪宅の場」。まずはおとら(徳松)とおなつ(菊三呂)のやりとりで、吉原では、老いがいかに辛く厳しいものかを語り、ここでは一瞬で消え去ってしまう若さこそが商品なのだと示している。菊五郎は出こそ大親分の貫目だが、芝居が進むうちに、八ッ橋を失うかも知れない不安に取り憑かれていく哀しい浪人が現れた。冷ややかな間夫ではなく、小心な浪人者の心情である。それも彌十郎の釣鐘権八が栄之丞の気持を煽っていく芝居と噛み合っているからだ。畳みかける調子に小悪党の残忍な心が見えてきて、彌十郎もまた充実期にあるとわかる。
遣手お辰は歌女之丞。廓の空気をかもしだすにはこのクラスの老女方が欠かせない。さて「八ッ橋部屋縁切りの場」だが、次郎左衛門の懸命な様子が絶望へと切り替わっていく過程を吉右衛門が精密な芝居で見せる。自らの心を表層だけではなく、奥の奥までのぞき込み、その内実を表出していく。まさしく至芸である。
菊之助の八ッ橋は、先の廻し部屋で、栄之丞と権八の二人に追い詰められる芝居を受けて、ここでは、この場にいるすべての人々の善意によってさらに追い込まれていく傾城の孤独を描き出す。前回、平成二十四年の十二月、菊五郎の次郎左衛門で勤めたときは、一対一の関係が際立っていた。今回は、次郎左衛門だけではなく、朋輩や新造、幇間らすべての人々によって針のむしろに置かれている様子が見えてきた。吉原というシステムに失望している。傾城の象徴ともいうべき煙管を立て、その細い管にすがって、ようやく自分を保っているようでありたい。
又五郎の治六の芝居が冴える。梅枝、新悟、米吉の傾城たちもそれぞれの個性がきっちりと見えてきた。立花屋女房おきつは、魁春。こうした役に厚みが出てきた。単なる好意の人ではなく、商売人としての意気地まで芝居が届いている。
大詰の「立花屋二階の場」は、それまでの世話場から一転して様式美を見せる。吉右衛門は次郎左衛門が狂気へと至る道筋を描き、説得力がある。八ッ橋が斬られて海老反りとなり、崩れ落ちる。このとき、吉原のあかりが一段階暗くなったほどの哀しみがこもる。そして、行燈を持ってきた女中に次郎左衛門が斬りつける。もはや八ッ橋への個人的な復讐ではない。自らをここまで追い込んだ吉原を次郎左衛門は斬ったのだ。そう思わせるほど吉右衛門の芝居はこせつかない大きさが備わっていたのである。
昼の部は『新書太閤記』の通し。夜の部は 梅玉、錦之助の『源太勘當』で幕をあけ、時蔵、松緑の『浜松風恋歌』で打ち出す。二十六日まで。