長谷部浩ホームページ

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2016年8月29日月曜日

【閑話休題57】新宿の夜 森山威男プロジェクト回想

新宿の夜
森山プロジェクト回想1


ついにたどりついた、いや、たどりつこうとしている。
森山威男さんのプロジェクトがはじまるきっかけとなったのは、もう五年以上前になるだろうか。
新宿の厚生年金会館裏、坂をだらりと下った鍋底にある『風花』で私はひとりで飲んでいた。いわずとしれた文壇バーで、かつては、今はなき中上健次が毎日のように沈んでいた。当時、このバーには「ラジカセ」という音楽機器があった。なにかの偶然で私が『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』をカセットテープに入れて持参したところ、主人の紀久子さんがよくかけてくれた。
殴ると評判のあった中上さんが怖かったので、私は遅い時間にはあまり行かなかった。あるとき、紀久子さんが「あのテープもう一度入れてくれないかしら」というのである。聞けば中上さんが毎日のようにリクエストするので、テープが伸びてしまったという。「もちろんですよ」と当時三十代はじめだった私が請け負ったのはいうまでもない。
それから二十年以上の時がすぎた。
『風花』に行くのも、間が遠くなった。一年に一度か二度にいけばせいぜいである。それなのに、めずらしくカウンターに座っていたら、隣の額が秀でた紳士と話しはじめた。ジャズのこと、西部邁先生とここでよくお目にかかったことなど、話が弾んだ。
私はどうも人見知りする性格なのか、バーで隣り合った人と仲よくなったためしがない。それにもかかわらず、再会を約したのは、よほど話があったのだろう。
翌年の大学院の講義には、その紳士、松原隆一郎さんをゲストにお呼びした。松原さんは、小津安二郎の映画『晩秋』を題材に、日本の住環境と美意識についての興味深い話をしてくださった。ご講義の後、もちろん湯島の酒亭「しんすけ」で友好を深めたのはいうまでもない。
その場であったのか、それとも先のことだったのか。
松原さんが親しくされているドラマーの森山威男さんの話になった。フリージャズの技法について、今詳細な技術と精神を残しておかなければいけない。そんな野望が頭をもたげてきた。日を改めて、松原さんを阿佐ヶ谷のご自宅近辺に訪ねて、「ぜひ、やりましょう」となんら予算的裏付けもないのに、はじめることになった。それから間もなく、情熱さめやらぬ松原さんは、私の自宅まで詳細な打ち合わせのために来て下さった。
その後、このプロジェクトは科研費を受けて、藝大音楽学部音楽環境創造科の亀川徹さんも加わり、本格的な研究テーマとして始動することになる。
「やりましょう」
「やりましょう」
「やりましょう」
当事者の森山威男さんはじめ、多くの「やりましょう」がこだまして、ひとつのプロジェクトがはじまり、動き出す。そのまとめの時期に入って、回想をはじめた。
ところで、『ジョン・コルトレーンとジョニー・ハートマン』は、一九六三年にニューヨークで録音されている。それからもう半世紀がすぎて、さまざなまことがあった。生き残り、生き残った証を残したいと願う時期に、私もまた差しかかっている。

2016年8月26日金曜日

【劇評61】歌昇、種之助が果敢に挑む『双蝶会』の成果。

 歌舞伎劇評 平成二十八年八月 国立劇場小劇場 

今年で二回目となった双蝶会。歌昇、種之助の兄弟が、果敢に大作へと挑む勉強会である。今年は、『菅原伝授手習鑑』から「車引」と「寺子屋」。気宇壮大で、意気込みやよしというところだろう。
まずは「車引」。種之助の梅王丸、歌昇の松王丸。桜丸は梅丸が勤める。花道の出から本舞台、深編笠をかぶったやりとりから、金棒引きが出て、笠をとったあたりから、がぜん種之助のエネルギーが炸裂する。ときに力あまって声が割れたりもするが、梅王丸はまさしく荒事の役、多少の破綻などは咎めるに値しない。むしろ、全体にみなぎる力感、心にある「怒」の一文字、権威を怖れぬ稚気まで、現在、できる最高水準まで達している。
歌昇はすでに荒事に定評がある。松王丸に大きさがあり、しかも決まる型の美しさは、この役者がいずれは荒事の一翼を担う人材であると改めて証明した。
さて、「寺子屋」である。相応の中堅が演じてもなかなか一筋縄ではいかない大物である。それにもかかわらず、歌昇、種之助ともに、監修の吉右衛門に教わったことをたがわず素直にやっている。余計なことをつけたさない。役者としての野心はあるが、傲慢さがない。なのでかえって「寺子屋」の骨格が見えてきた。種之助の源蔵の出は、さすがに厳しい。絶対的な苦悩を漂わせるには、いかんせん若すぎる。それに対して首実検を控え、教え子の殺人が迫ってくるところの焦燥感がよく、忠義のために殺してもよいなどどは微塵も思っていない源蔵の苦悩がよく伝わってきた。
歌昇の松王丸も絶対的な大きさを問うては、さすがにまだ及ばない。けれども、かわりに梅枝の千代に泣くなとたしなめつつも、小太郎の立派な最期を聞いて泣き上げる件りに切迫感があった。これから機会を得て、二度、三度、いやもっと生涯を賭けて練り上げていく役なのだろう。米吉の小浪も可憐。さすがにこの座組で抜けているのは、梅枝だが、これまでのキャリアを考えると当然といえば当然だろう。けれども、こうした義太夫狂言で破綻がなく、竹本をよく聞き、丁寧に役を作っていく姿勢が、若手の見本となる。
この世代に責任と自覚が生まれるのも勉強会の効用だと思いつつ国立小劇場を後にした。来年も第三回開催が決定とのこと。八月五日、六日。頼もしい限りで嬉しく思った。

2016年8月21日日曜日

【劇評60】ブラックで、ナンセンスで、お下品なコメディ『ヒトラー、最後の 20000年』

  現代演劇劇評 平成二十八年八月 本多劇場 

ブラックで、ナンセンスで、お下品なコメディを見た。
ケラリーノ・サンドロヴィチ作・演出の『ヒトラー、最後の20000年〜ほとんど、何もない〜』は、日本人が好むコメディの範疇から大きくはずれて、独自の世界を追求している。それは、ヒトラーやアンネ・フランクも善悪で判断したりはしない。ヒトラーもユダヤ人も同様に笑いの対象とする。また、劇に教訓や暗喩、絶対に安全な大団円を求める姿勢とは無縁である。こうした悪夢のような世界を実現するには何が必要か。普通に考えるのは圧倒的な身体性で観客を感嘆させることだろう。ケラリーノ・サンドロヴィチが選んだのは、こうした観客を感嘆させる方法ではない。感嘆ではなく、顰蹙を買うことを怖れない方法を採った。
そのために、古田新太、入江雅人はじめすでに中年から老境に入りつつある老いた身体をあえてさらす。これほど美しくはない身体を観客に笑ってもらうことによって、悪夢のようなコメディを成立させる。また、劇には、成海璃子や賀来賢人のように若くて美しい俳優も登場するが、その美しさをあえて否定するようなコスチュームを着せたり、メイクを施したりする。善悪ばかりではなく、老いと若さ、美醜さえもが転覆されようとしている。笑いを追求するとは、こんな怪物と格闘することに他ならない。
その意味でこの『ヒトラー、最後の20000年』は、笑えるためのコメディの域を超えてしまっている。これはむしろ観客はどこまで、ブラックで、ナンセンスで、お下品な舞台に耐えられるか、そんな実験的な野心さえ感じられる舞台になった。
エンターティンメントが全盛の東京の演劇界にあって、これほど前衛的で実験的な舞台はあろうかといったら、うがちすぎる意見だろうか。
筋らしい筋をつくらず、観客がうっとりする台詞を書かず、舞台を美的に作り込むことを拒否する。それでも作品として成立するのは、台詞の間や立ち位置など演出の部分で、相当巧緻な操作がなされているからだ。視覚的にうっとりさせるようなスペクタクルが演劇ではない。メタファーに満ちた人生を感じさせる台詞を朗唱することが演劇ではない。ただ、微妙にしてこれでなくてはならない感覚、言葉にはならない俳優の持つニュアンスを見せる。それが演劇と演出なのだと語っていた。サブタイトルにある「〜ほとんど、何もない〜」は、謙遜で、「〜ほとんど、何でもある〜」が正しいだろう。度胸と覚悟で、かろうじて成り立たせるぎりぎりの線を追求している。
俳優の技術に注目するのもいい。犬山イヌコ、山西惇、八十田勇一、大倉孝二と絶妙のセンスを持つ俳優を集めての味わい深い舞台である。
それにしても「腹話術師」と「人形」が頻繁に登場するのは、ほぼ同時期にシアターコクーンで上演されている第七病棟の伝説的名作森田、宮沢主演の『ビニールの城』(唐十郎作、金守珍演出)を強く意識してのことだろう。
とはいえ、ここまで書いた批評を受け「『ヒトラー、最後の20000年』をもう一度観ますか、どうぞ」といわれたらどうするか。もちろん鄭重にお断りする。

2016年8月20日土曜日

【劇評59】森田剛、宮沢りえ『ビニールの城』と人間の皮膜

 現代演劇劇評 平成二十八年八月 シアターコクーン
一九八五年の初演から三十年あまりが過ぎた。石橋蓮司らの第七病棟は、浅草の六区で廃館となっていた常盤座を自らの手で改修し唐十郎の書き下ろし『ビニールの城』を上演した。その鮮烈な舞台は緑魔子、石橋の演技とともに、今も深く記憶に刻まれている。
蜷川幸雄が演出する予定だったこの舞台を引き受けたのは、新宿梁山泊の金守珍である。立ち上がる舞台を観ながら、私はタイムスリップしているような錯覚に陥っていた。少なくとも装置や衣裳など視覚的な表現については、初演の舞台を踏襲しているように思えたのである。沖積舎から八五年に刊行された同名の書籍には、多数、モノクロの写真が収録されている。終演後、確かめてみると今回の舞台が再現に近いことがよくわかった。勿論、時代が違うし、現実の作り手も変わっているから、全体に汚れがなく、きれいにしあがっているのはやむをえぬことなのだろう。また、演技体についても同じ事がいえる。特に宮沢りえの演じるモモは、猫背で前屈みな姿勢、高音を強調した発声も緑魔子をそのまま再現しているかのようだ。
台詞と音楽の関係は、当時の記憶は曖昧になっている。むしろ唐十郎の状況劇場、唐組で耳慣れた音楽の入れ方であるように思える。
こうした再現が今回なされたのは、第七病棟の記念碑的な仕事、そして唐十郎に対する金の尊敬からはじまっているのだろう。また
劇中、蜷川幸雄そっくりの俳優が登場するが、これもまた、この企画を立ち上げつつ亡くなった蜷川に対する尊敬というべきだろう。
当然のことながら、再現のはずが、俳優によって新たな血が次第に注ぎ込まれていく。やがてビニールの城とはなにかが、観客のなかに結実していく。それは水の皮膜であり、人と人を隔てる心の距離でもあった。たたえた水を揺さぶりながら、人は自分の肉体を持てあましつつ生きている。持てあました思いはまた、その皮膜を破ってあふれ出て、愛する人間へと襲いかかる。
森田剛は壊れかけた内面をよく身体化していた。宮沢りえはどうにも何らかの仕掛をはさまなければ人と関われない女の哀切があった。幕切れ近い「私はあなたが嫌いです」に象徴される「嫌い」のリフレインは、鋭さよりは絶望の深さが読み取れた。荒川良々は実直でありつつも裂かれるような心情をほとばしらせた。いずれも唐十郎の劇世界を現在に通じるかたちで甦らせたのである。六平直政と鳥山昌克が唐の演技術の体現者であるのはいうまでもない。俳優たちの演技の微細な肌理を味わうことができた。
演出の外形は初演に習うが、劇が進むうちに俳優は自分の世界を構築していく。関係の微妙な揺れが刻々変化する。そのおもしろさ、ゆかいさに打たれた。演劇とは初日が開けたとたんに俳優のものとなるジャンルなのであった。

2016年8月17日水曜日

【閑話休題56】政治劇として『シン・ゴジラ』は何を語るか。

 庵野秀明総監督による『シン・ゴジラ』を観た。前評判を聞くと賛否両論なようだが、少なくとも観客は詰めかけている。私が行ったのは昨日で、祝日でない平日だが、18時50分からの上映はほぼ満席だった。
私はエヴァンゲリオン世代ではないし、エヴァを通して観たことはない。従ってエヴァとの類似を語るべき立場にはない。エンターテインメントとして観ることしかできないが、よく撮れている映画だと思った。
3.11の津波の映像を踏まえてゴジラの河川での動きを瓦礫とともに描く。やがてゴジラの通り道に放射線が残存しているとわかる。観客は必然的に自然災害と人的災害が複合して起こったフクシマを東京にだぶらせる。東京に未曾有の災害が起こったとき、政府の政治家や官僚はいかに対応するかが、ドラマの軸となる。さらには、世界の強国がこのような事態にどのように反応し、強権的なアメリカの解決策をいかに切り抜けるかが、ゴジラ登場時の政府の課題となる。
その意味できわめて政治性の高い娯楽映画の位置づけとなる。「良質で」しかも権力性を隠さない政治家と、きわめて専門性の高い(いいかえればオタクの)官僚や学者が危機をきりぬける。基本的には日本人が好む自己犠牲と特攻精神に貫かれた「泣かせる」ドラマである。しかも、力点は、こうした政治家や官僚の美化ではなく、人類が作りだした文明の歪な結晶体に、次第にゴジラは化身していく。マーチ風の音楽からやがて叙情的な音楽がかぶさるようになり、身勝手な日本人によって作られ、混乱と破壊をもたらし、そして死に絶えていくゴジラへの挽歌が歌い上げられる。
疑問がいくつかある。総理官邸の上空からの絵はなんども繰り返される。ヘリポートが屋上にあることの強調だろうか。また、皇居の緑もまた俯瞰で映し出されるが、天皇と皇族がこのような災害のときにどうしたのか、どのような助言が政府からなされたのかが描かれていない。鎌倉に再上陸したゴジラは、自衛隊が引いた防衛線を突破して霞ヶ関へと迫る。政府首脳は霞ヶ関から立川に政府の災害本部を移す決断をする。この議論の前に、天皇家をいかにこの災害から逃すかが慎重に描かれなければ、政治劇としての体裁に綻びが生まれてしまう。閣議の場で台詞にするのがはばかられるのであれば、菊の紋章がついた黒い車両が列をなして走っていくカットを入れるだけでも、作り手の意志は伝わっただろうと思う。私は一度みただけなので、こうしたカットが入っていた可能性も否定できないが、私には確認できなかった。
これは疑問ではないが、現在自衛隊が保有する攻撃的な装備が、どのような状況にあるか、そして米軍のそれが遙かに上回ることを、イデオロギーを抜いて紹介したのは大きなことだった。首都東京への侵攻がどこかの国から行われた場合、防衛はどのような兵器で、どのような立案がなされるのか。自衛隊と海上保安庁だけが指揮命令系統に乱れなく、しかも文民統制がなされているように描かれていた。防衛大臣は余貴美子が演じたが、総理に決断を迫る様子はなかなかの見もので深く考えさせられた。
いずれにしろ、日本の現在が抱え込んだ問題を摘出する力のある映画で、アニメの実写化だといった非難はあたらない。むしろこうした危機的な状況では、人間は平坦な表情に返っていきがちで、もっとも生き生き振る舞っているのはゴジラだという逆説もまたおもしろかった。
また、ゴジラの歩き方が尋常ではない。後から聞いたのだが、狂言の野村萬斎がクレジットされていて、ゴジラの歩き方をモデリングするための素材となったのだろう。なるほどと思った。
この一点をとってみても、あなどれない映画である。

2016年8月13日土曜日

【閑話休題55】小太郎とアイスクリーム

ぶどうのアイスクリーム。今日は小太郎を連れていなかったので、外ではなく内。ところで小太郎が来てからほとんど毎日散歩に行く。パティシエやスーパーに入れないのはもとよりあきらめている。もっとも血糖値はほとんど正常との境界値まで下がったからよしとしている。おかげで時々(でもないか)アイスクリームを食べています。
残念なのは時間の関係で趣味だった小口径自転車(プロンプトン)でのポタリングとプールに行く機会が減ったこと。自転車はほどんど放置状態で、今日久しぶりにだしてきたら、空気は抜けているわ、錆はでているわみじめな惨状である。自転車のメンテナンスにちょっと時間を作らなければと思うが、はてさてどうなることやら。自分でも自信がないのが情けない。
それにしても、小太郎の世話と他の趣味を両立させるのは、仕事を犠牲にしなければむずかしい。今のところ優先順位は、小太郎、仕事、プール、自転車の順となる。はてさて何をやっているのやら。
先月の歌舞伎座でみた真山青果の『荒川の佐吉』に(性格ではないが)こんな台詞がある。「隠居が飼う犬猫じゃあ、あるまいし」。大親分(中車)が、預かった子を手放せない佐吉(猿之助)を叱る。これまではこの部分にまったく反応したことがなかったが、妙に気になり、身に応えた。「小太郎は隠居(つまり私)が飼う犬猫か」。まあ、だからこそ、相応の責任しかない。猫かわいがりしてもいいともいえるのだろう。

【劇評58】納涼歌舞伎の新作は、いかに。『東海道中膝栗毛』と『廓噺山名屋浦里』

 八月納涼歌舞伎が満員御礼を記録しているという。この猛暑にもかかわらず観客の好尚にあった番組が組めたのはなによりのことで、特に『ワンピース』以来、新作を待ち望む声が強く、また、それに対応する役者の側も速度を求められているのだと思う。鉄は熱いうちに打て、と芯に立つ役者は常に新しい企画を練っているのだろう。
さて、新作はまず、第二部の『東海道中膝栗毛』(十返舎一九原作より 杉原邦生構成 戸部和久脚本 市川猿之助脚本・演出)である。「膝栗毛」ものは弥次さん喜多さんが旅をしていれば、他に制約はない。お伊勢参りなのにラスベガスへ行ってもなんの問題もない。ただし『ワンピース』と比べると、特にスタッフワークにおいて作り込みが不足している。固定した映像でラスベガスの光景や噴水を表象するのは安易で、歌舞伎座の広い間口に投影されると、淋しい心地さえする。悪ふざけも歌舞伎のお得意だから、それに対して文句をつけるつもりはない、ただし、直近の出来事を引用する場合は、楽屋落ちになる危険がある。古典のパロディはともかく、パロディとして成立した新作をさらにパロディとするためには、慎重なさじ加減が必要だろう。いや、楽屋落ちも歌舞伎の大切な要素ですといわれれば、その通りです。
新しい観客がこれに懲りずに、また歌舞伎座に足を運んでくれるように望む。
三ヶ月にわたって歌舞伎座で奮闘し、宙乗りを毎月見せた猿之助は、才気溢れ、企画力にとんだ役者だけに、一作一作を大事にしていただきたい。金太郎、團子が子役として芝居をする。弥次郎兵衛は染五郎。喜多八が猿之助。
続いて第三部の『廓噺山名屋浦里』(くまざわあかね原作 小佐田定雄脚本 今井豊茂演出)は、筋立て、演出ともに手堅い。勘九郎の宗十郎は、謹厳実直な武士。藩の大名かが江戸留守居役を命ぜられ、他の藩の同輩とつきあううちに、吉原に相方をつくるように迫られていく。偶然出会った全盛の花魁浦里太夫(七之助)が、宗十郎の人柄に惚れて間夫とするファンタジーである。冒頭の場面、装置のしつらえが『鳥辺山』を思わせるので、観客は悲劇を予感するが、いやいや、偶然を頼む筋立てながら、巧みに芝居を運んでいく。扇雀の山名屋主人を巧みに受ける駿河太郎も出色の出来。彌十郎と亀蔵の執拗なイジメがおもしろい。
笑福亭鶴瓶が平成二十七年一月に落語として初演した噺の歌舞伎化。新作の歌舞伎化としては人情噺としてよくできている。その意味では破綻を怖れぬ『東海道中膝栗毛』とは対照的だ。成功不成功は、その月のこと。こうした新作が納涼歌舞伎だけではなく、年に二本、三本と上演されてはじめて、歌舞伎は現代演劇の中心となったといえるのだろう。勘三郎が志した道は遠いが、猿之助、勘九郎、七之助には、この道をいつまでも貫いていく意思が感じられ、頼もしく思った。二十八日まで。

【閑話休題44】現代演劇としての歌舞伎。まつもと大歌舞伎と木ノ下歌舞伎の行方

信州毎日新聞の10日水曜日朝刊に、「現代を呼吸する歌舞伎」と題して、まつもと大歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座がいかに世界に対して現代演劇としての歌舞伎を主張してきたか、その歴史をたどりました。平成中村座の『夏祭浪花鑑』、コクーン歌舞伎の『天日坊』、今回、まつもとで上演された『四谷怪談』、木ノ下歌舞伎の『勧進帳』についても短くですが触れました。
今回、まつもと歌舞伎のシンポジウムに参加して、朝の11時から熱心な観客が集まったのには驚きました。継続して歌舞伎が上演されている地方都市はめずらしいと思います。それだけ歌舞伎がめずらしい到来物ではなく、広い意味で受け入れられているのだな。こんな都市がもう少し増えればいい。それには何が必要なのか。当然のことですが、よい劇場と芸術監督、そして継続性のあるスタッフがまず用意されて、すべてがはじまっていくのでしょう。
その意味で「身軽な」木ノ下歌舞伎は、地方公演も多く持っていく予定のようです。原テキスト主義でありながら、演出は従来の型にこだわらずに大胆に、というのが私が受け取った木ノ下歌舞伎の傾向ですが、若い集団だけにこれからまた、変化し、進化していくのでしょう。歌舞伎が身体の演劇であるとすれば、歌舞伎役者の舞踊によって作られた身体にいかに拮抗していくのか。女方がはらむ性の問題をどう考えていくのが、今日深い問題をかかえていて目が離せません。

2016年8月7日日曜日

【閑話休題43】『船弁慶』のアクシデントを右近の義経は見ていた

尾上右近さんの第二回「研の會」『船弁慶』で、知盛の霊が花道からの出からすぐに薙刀の先が折れるアクシデントがあった。
後見がしっかりしていたこともあって、尾上右近さんはなんなく切り抜けた。
こうした落ち着きがあったのは、なぜか。
もう、十年以上前になるけれども、平成十七年の八月、広島の厳島神社で尾上菊之助さんが『船弁慶』の静御前と知盛の霊を勤めたことがあった。義経は右近さん。弁慶は團蔵さんだった。
私は一日目だったのでこの回を観ていないが、二日目に知盛の薙刀の先が飛んでしまう事故があったと聞いた。
当時高校生だった右近さんは、間近でこのアクシデントを体験している。知盛役にとってこの事故は決定的なものになる危険がある。
そのため、今回も万一を考え、決して用心を怠らなかったのではないか。
そんなことを思いながら、充実した舞台を味わっていた。

【劇評57】尾上右近「研の會」知盛の雄渾。

歌舞伎劇評 平成二十八年八月 国立劇場小劇場

尾上右近が盛夏に開く「研の會」も二回目。前回は「吉野山」と「鏡獅子」。今回は『仮名手本忠臣蔵』の五段目と六段目、「船弁慶」である。いずれも六代目菊五郎ゆかりの演目で、右近がいかに音羽屋の系統の芝居、舞踊を大切に思っているかが伝わってくる。
全体に右近がすぐれているのは、本格の継承をなによりも大切に思っているところだろう。彼にとっては客受けするケレンやあざとい当て込みは無縁である。六代目と指導にあたった七代目の名を汚さぬように懸命に勤める。その姿勢がはっきりと打ち出されている。
まずは五段目。鉄砲渡しでの鉄砲と縄の扱いに丁寧さがある。段取りだとあなどるのではない。三代目から洗い上げられてきた勘平の型を神妙に受け継ぐところからはじめている。種之助の千崎弥五郎も神妙で、ふたりが判官の仇討ちをめぐって、それとははっきり言葉にしないけれども、肚を探り合い、それとなく計画を知らせるあたりに若々しい侍の自負心が読み取れる。闇から財布にぐっと手が伸びて、蝶十郎の百姓与市兵衛は突然、斧定九郎によって殺害される。染五郎が斧定九郎と六段目の不破数右衛門を付き合っているために、がぜん勉強会だったはずの舞台が大きくなる。長年、芯を取ってきた役者の風格が周囲の芝居を引き立てる。今回の舞台の成功は、染五郎の力によるところも大きいだろう。
「二つ玉」。あたりは深い闇である。勘平がみずから仕留めた「見知らぬ」死骸から金を奪う件りの怖れ、おののきに、まっすぐな気持がこもって、型と気持がともにひとつになった。
さて、六段目だが、さすがに緻密な段取りを追うだけでは手に負えない部分が出てくる。米吉のお軽とのやりとりも、勘平に気持の負い目が感じられず、抑えた情愛に乏しい。勘平は確かに若くはあるが、おのれの現実に我を忘れてはならない。お才(吉弥)、源六(橘太郎)お軽、義母おかや(菊三呂)、二人侍(染五郎、種之助)、そして自分自身との距離が、鮮明に描き分けていなければならない。さらにいえば、右近の勘平はまだ自分自身の困難が強く出て、周囲の人間への気遣い、配慮、そして真実の発覚へと順をおって追い詰められていく過程を追うには至らなかった。勉強会最初の回にこのようなことをいうのは酷かもしれない。回数を重ねて身につけていくべき事どもだろう。けれど右近にはそれだけの力量とセンス、そしてたゆまぬ努力ができる役者だと信じている。菊三呂はせっかくの大役だけに内にこもりすぎず、よりつっこんで勘平を責め苛んでほしい。このつっこみがあってこそ、勘平の苦渋はより深まるのだから。
休憩を挟んで『船弁慶』。ここでも染五郎の武蔵坊弁慶が、群を抜いてよいのはもちろんである。鷹之資の義経に品格と明晰さがあり、この一行が静御前を都に帰して、逃避行へと向かう辛さ、苦しさが冒頭からよく伝わってくる。右近の静御前は、その身体のありように落ち着きがあり、踊りによって鍛えられた成果があらわれている。口跡にやや難があるが、後段の知盛の霊との描き分けを考えるとよい出来であると思う。
知盛の霊となって花道から出る。この一瞬で悪霊であるとわかるかどうかが勝負だが、私の観た回は異様な高まりと凄みが感じられた。薙刀の先が折れるアクシデントも後見の機転で難なく切り抜け、右近自身の芝居も乱れを見せなかった。勇壮なだけではなく、敗軍の将の恨みが色濃く出て、今回の勘平、静、知盛のなかではもっともすぐれている。幕切れ近く、染五郎、右近、鷹之資と三対、絵面に決まる件りも大歌舞伎の大きさがでている。本舞台に定式幕が引かれ、知盛の引っ込みとなってからも、荒ぶる魂を鎮める気持が伝わってきた。雄渾きわまりない花道の引っ込みであった。
筋書きによるとすでに来年の第三回が決まっているという。次は音羽屋の系統にはない芝居もだしてはどうか。右近は幅の広い役柄を勤めるだけの力があるだけに、単に六代目の継承を試みるだけではなく、自分自身に合った当り役を当り狂言を探る意味で「研の會」を発展させていただきたい。そう願って蝉時雨の国立劇場を出た。