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2017年12月21日木曜日

【劇評96】吉右衛門と菊之助。無間地獄の対話

 歌舞伎劇評 平成二十九年十二月 国立劇場

吉右衛門の一座に菊之助が頻繁に加わるようになったのは、歌舞伎座新開場の『熊谷陣屋』のあたりからだろう。単に初役を勤めるから先輩に教わりにいくのではない。時代物の第一人者の吉右衛門と同じ板を踏むのは、これからの歌舞伎の伝承を考える上で大きな出来事に相違ない。今月の国立劇場は、時代物ではなく世話物。ふたりがしっかりとからむ芝居を見ることができ、平成二十九年の掉尾を飾る舞台となった。
演目は『通し狂言 墨田花妓女容性(すみだのはるげいしゃかたぎ)ーー御存梅の由兵衛ーー』。並木五瓶の作、国立劇場文芸研究会が補綴した台本だが、引き締まった出来で退屈しない。梅の由兵衛は、初代吉右衛門の当り役で、初代白鸚が二度演じているとはいえ、二代目吉右衛門にとっては初役。頻繁に出る狂言ではないだけに、理詰めでいけば劇作上の傷はあるが、その傷を傷と思わせないのが役者の技藝である。理屈では解けない登場人物の行動を、歌舞伎の趣向と技藝でさばいていく手際を愉しんだ。
まず、序幕の「柳島妙見堂」は、吉右衛門演じる梅の由兵衛の頭巾が見物。この芝居のシンボルとなる。鷺と烏の文様の衣裳とともに、男伊達の粋が凝縮されている。舞台上の記号にとどまらず、周囲の人物や観客は、この頭巾に幻惑されて、時間を過ごすことになる。
言い交わす小三(雀右衛門)と金五郎(錦之助)に千葉家の家臣伴五郎(桂三)が横恋慕。伴五郎は土手のどび六(又五郎)を使って、御家から持ち出した色紙を売りさばこうとするが、このお宝と百両の金が人々を迷わせ、なんともやるせない結末へと導いていく。
「妙見堂」「橋本座敷」「入口塀外」と人物をうまくさばいて面白くみせる。由兵衛の妻でもとは芸者の小梅(菊之助)にしつこくからむ源兵衛(歌六)。小三の身請けの金を用立てる勘十郎(東蔵)と吉右衛門一座の役者が、それぞれ類型に陥らず、活き活きとした人物を立ち上げていく。
「橋本座敷」では、先にいったシンボルとなる頭巾をカタに、身請けの金の刻限をのばすところがみそ。男の意気地を担保としたために、由兵衛はのっぴきならない立場に追い込まれていく。このあたりの仕組みを、吉右衛門の技藝がのちの圧倒的な嘆きと絶望へとつなげていく。
二幕目は一転して、姉の小梅に頼まれた金の工面に追われる弟長吉(菊之助)の苦悶が焦点となる。なぜ、奉公人の身で百両の金を何とかしようと思ったのか、また、恋仲にある主家の娘お君(米吉)を金策に巻き込んだのか。こうした劇作上の難も、ようやく姉やその夫のために手にした百両の金を、こともあろうにその由兵衛に奪われ、無残に殺される結末で償うことになる。このあたりの因果応報を当然のものとして運んでいくのが、吉右衛門と菊之助の息の良さ、芝居の行儀のよさで、不自然さはない。運命に翻弄される市井の人の苦しみばかりが伝わってくる。恋敵の居候、長五郎(歌昇)が若くして巧み。チャリを担って、真面目に生きる人々を相対化している。
「奥座敷」のよそごと浄瑠璃「梅ヶ枝無間の鐘」の哀しさ、長吉には、無間の地獄が待っている。「大川端」では、金を争って吉右衛門と菊之助が争うまっすぐな気持。この場の吉右衛門は腕を組み、思案顔で花道を出るが、紫の地におおぶりな梅をちらした着付で粋の極み。「長吉殺し」では、様式美に終わらず、写実に徹した吉右衛門の腕が冴える。「どうぞ、許して下されいのう」とふたりが重ねていうときに内実がこもる。長吉を殺し、由兵衛が「なんまいだぶ」と念仏を唱えるうちに、叢雲からおぼろに半月が現れる。寂しい江戸の夜が浮かび上がる。
大詰の「梅堀由兵衛」は、由兵衛の出から、義弟殺しの罪に押しつぶされている体。米吉のお君が長吉は生きていると信じていて由兵衛内を訪ねてくるが、幼さがゆえの強引さがよくでている。歌六は吉右衛門を相手に一歩も引かぬ源兵衛の心情を見せる。小梅に対する恋慕を訴える件りに実がある。
菊之助が長吉から小梅へと替わり、自ら小指を落としてまでも、弟殺しの罪をかぶろうとする。菊之助は長吉、小梅を自己犠牲に傾く人間として一貫させている。小梅が場を去っては、何度も登場する趣向は歌舞伎ではめずらしいが、まるで無間の地獄を彷徨っているかのようだ。
この場を引き締めるのは、吉右衛門の名台詞「二十三夜の月代に、死顔見ればお前に生き写しと、思えどあとのしがいの片付け。差し汐なれば大川へ、この由兵衛は人殺しの、仕置きにあわぬその先に、心はしんでいるわいやい」である。「心はしんでいるわいやい」は、絶望のアリア。吉右衛門のこれまでの蓄積が一言に凝縮されて胸を打つ。

通し狂言の前に雀右衛門の『今様三番三』が出た。「三番叟」に「布晒し」を綯い交ぜにした趣向の踊り。雀右衛門が当て込まず、確かに踊る。平家の白旗を使って軍兵とからむ「布晒し」も自在な境地で愉しんだ。佐々木小太郎に歌昇。結城三郎に種之助。
実質のある着実な舞台で、師走の慌ただしい時なれど、見逃すには惜しい。二十六日まで。