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2017年12月23日土曜日

【劇評97】決して分かり合えない関係。吉田鋼太郎、藤原竜也の『アテネのタイモン』

現代演劇劇評 平成二十九年十二月 彩の国さいたま芸術劇場

演出家蜷川幸雄がなくなってもう一年半あまりが過ぎた。今更ながら不世出の演出家だったとの思いが深い。現代演劇の世界は、長くこの演出家の芸術性と大衆性を綱渡りする才能に大きく頼ってきた。全作品上演を掲げた彩の国さいたま芸術劇場のシェイクスピア・シリーズの残りは、今回の『アテネのタイモン』を含めて五本となった。
もちろん最後まで残った五本には、それなりの理由がある。いかに地球史上最高の劇作家といえども、すべてが傑作とはいえない。『アテネのタイモン』も、観客の共感を呼びさます登場人物がいない。芸術監督を引き継ぎ、今回は演出・主演した吉田鋼太郎は、よくこの仕事に取り組んだと思う。
吉田がこの劇の焦点としたのは、藤原竜也が演じるアペマンタスの忠告を聞かずに、取り巻きへの饗応に溺れ、やがて破滅するタイモンとの決して分かり合えない対話にある。自らの人生が破滅しようとしても、アペマンタスとの対話は、永遠にすれ違っている。考えてみれば、他人から耳障りのよくない忠告を得て、喜ぶ人間などいるだろうか。いや、いるかもしれないが、金と友人に裏切られようとも、その否を決して認めないタイモンは、あまりにも人間的である。その愚かさを愛おしく演じたところで今回の『アテネのタイモン』は、あえてする上演にふさわしいだけの舞台となった。傍若無人に徹した藤原竜也のアペマンタスも、内部にみなぎるような怒りが貫いている。
この二人を対象化するようにして、柿澤勇人のアルシバイアディーズは、軍人としてのありかたを崩さない。横田栄司のフレヴィアスが滅私奉公ではなく、タイモンの人間性に惚れた執事を好演する。
スタッフワークを含めて、蜷川幸雄演出を思わせる部分がある。私にはかえって、このオマージュが中途半端な結果を生んでいるように思えてならなかった。大劇場で上演するには、蜷川のスペクタクルな演出は、不可欠かに思えるが、芝居の実質を考え、より小さな空間での上演も考えられる。
いずれにしろ大きく張る吉田流の演技術が他の多くの役者にも浸透している。今後の上演は、演出もまた、吉田流を貫いていくのだろう。二十九日まで。一月五日から八日まで兵庫県立芸術文化センターにて上演。