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2018年5月6日日曜日

【閑話休題77】幸福な劇場 野田秀樹とソーホー・シアター

 世の中には、幸福な劇場と、薄幸な劇場がある。
さすがに国内の劇場は、これがそれと名指しするのははばかられるが、シアターゴーアーであれば、単にレパートリーの好き嫌いを越えた幸福の度合いを感じているに違いない。
野田秀樹にとって、ロンドンでもっとも幸福な劇場といえばソーホー・シアターになるのだろう。ウェストエンドの中心にあり、周囲は繁華な街並である。ロンドンのパブは、日本の感覚からすれば早く閉まってしまうから、演劇人が舞台の興奮をさますために、息を入れるチャイナタウンもほど近い。『THE BEE』『THE DIVER』が終演したときの興奮を今でも劇場とともに思い出す。そのソーホー・シアターで四月の三十日から、野田が作・演出する『One Green Bottle』が幕を開けた。この作品については、当ブログで劇評を書いたので参照していただきたいが、私にとっては、故・十八代目中村勘三郎と野田が俳優として、最初で最後の舞台となった事実が重い。
東京芸術劇場でリハーサルを観たときも、初夏の暑さが厳しく、出演者たちが汗びっしょりだったのを思い出す。
ウィル・シャープによる英語翻案は、この思い出を覆すように、新たな創作と呼ぶにふさわしかった。

私はかつて、ソーホー・シアターについて以下のような文章を書いている。

旅はどこか開放感がある。
日頃の敷居をまたいで、毎日のように野田と会った。特にソーホーシアターは、劇場の一階にバーとレストランが併設されており、芝居が終わると野田は若い友人たちに囲まれて飲むのを好んだ。東京では近づきがたい存在に、もはや野田秀樹はなっていた。日本やアジアの留学生に囲まれ、友人として話し込む姿を何度も見た。
ひとしきり話すと向かいのインド料理店や中華街に繰り出した。私は東京で野田と食事に行ったのは数えるほどだけれど、海外ではよく話した。舞台についてだけ話していたわけではない。他愛もないばか話もずいぶんした。野田は飲むと陽気になった。しかも、笑顔の魅力がさらに輝きを増す。才能はもとよりだけれども、この笑顔に惹きつけられて、人々は野田のもとに集まってきたのだと思った。
すでに演劇界に確固たる地位を築いたにもかかわらず、野田が偉ぶるのを観たことがない。特に若い俳優に対しては、対等に接するのを好むのを目撃してきた。劇作家・演出家ではなく、同じ舞台を踏む同僚として、若い世代とかかわろうとしている。演出家は孤独である。野田は決して巨匠にならないことで、孤立を避けているように思える。

今回の初日も、観客の反応がよかったと聞く。その喜びを受け止め、おそらくは、芝居が終わると、野田は若い友人たちと陽気に話し込んでいるのだろう。仕事に追われ、今回は現地の空気をともに出来なかったのが残念でならない。